shin-1さんの日記

○「日本一細長い佐田岬半島を夫婦でドライブ

 今日は昨日からの春雨も上がって久しぶりの好天に恵まれました。彼岸の中日なので殊勝にもお墓参りに行こうと妻と相談がまとまり出かけることにしました。妻の職場の同僚が家庭の都合でお休みしているため、職場の仕事が少しハードでお疲れモードなので、気分転換のつもりで出かけました。リタイアしたといいながら妻はまだパートに出ているので、中々二人の休日が出会わないし、たまの休日には子どもたち家族がやって来るので、妻の休暇は久しぶりなのです。

 まず近くのお寺の境内にあるわが家のお墓に向いました。今年は寒い冬だったことあってしばらくそこら辺を散歩していなかったのですが、トレセン前の土手には私が若い頃に植えた杏の花が満開で今を盛りと美しく咲いていました。その後海岸国道378号を長浜、保内経由で行き、妻の実家のお墓がある八幡浜まで足を伸ばしました。お彼岸らしく大法寺の墓地には沢山の墓参りの人が上り下りしていました。遠く見下ろす八幡浜の湾内はもう春の穏やかな海で、北東の風が強く吹いていた瀬戸内海とはうって変わった穏やかさで、九州と四国を結ぶフェリーの汽笛や航跡が何ともいえない雰囲気を醸していました。

 墓参りを済ませ妻の実家に立ち寄りました。前年に喉頭ガンの手術をした義兄のその後の様子を見舞うためです。義兄は家にいましたが思ったより術後の経過も良く元気な姿を見せてくれました。ただ声帯を取っているため、対話は筆談しか出来ず、私たちの話にいちいちうなずくばかりでした。

 実家をおいとまして、私たちは元来た道を保内まで引き返し、国道197号を以下多方面に向って走り、伊方の亀ヶ池温泉を目指しました。最近出来た温泉ですが、私はまだ一度も行ったことがないのです。妻は民生委員の研修会で一度行ったというので、ドライブがてら出かけました。国道から宇和海に向って九十九折れの山道を下りると亀カ池に出ます。その湖畔に綺麗な温泉が出来ていました。

 丁度昼過ぎだったので妻は瀬戸御膳、私はとんかつ定食を注文しました。このレストランは三崎の大岩さんの系列店らしく、メニューも凝っていました。近頃は夫婦仲が良いのか悪いのか分りませんが、二人で食事に行くと必ず別々の違った品を注文します。そして二人でそれぞれの料理を半分ずつ食べて満足するのです。

 妻の注文した瀬戸御膳は瀬戸町の特産品である釜揚げのシラスがたっぷり乗ってるどんぶりに刺身がついていました。私のとんかつ定食はオーソドックスながらキャベツが沢山ありました。妻の刺身は私が、私のとんかつの半分は妻が、そしてシラス丼は半々に食べ堪能しました。

 やがて妻の予約した岩盤浴の時間になったので男湯、女湯に別れてそれぞれゆっくりとお風呂を楽しみました。風呂は新しくて清潔で、塩サウナまである豪華さです。私はサウナに二度三度入ってたっぷり汗を流しました。妻だけではなく私も少し体がお疲れモードで、休憩所で仮眠をしてゆったりと過ごしました。途中「若松さんじゃないですか」と、知っているような知らぬような人から何人も声をかけられ、立ち話をしたりしました。

 帰りは亀ケ池の近くの旧国道を通って町見や九町を通り、山道をビジターハウスまで登りました。そこでソフトクリームを買い、帰りに長浜町の村上薬局に立ち寄りました。過日私が風邪をひいた折、助けてもらった返礼に行ってない事に同乗の妻が気がついたのです。村上のご主人は奥さん店員共々笑顔で迎えてくれました。気持ちのいい店です。お店はこうでないと繁盛しないと思いました。例によって元気の出るホットニンジンエキスをご馳走になり、身も心もリフレッシュして恋する二人の「日本一細長い佐田岬半島を巡る早春ドライブ」(笑い)を終えました。目出度し目出度しでした。

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shin-1さんの日記

○刀の手入れ

私の親父は若い頃から骨董に興味があって、やたらと色々な物を集めていて、家の敷地内にそれらを展示する海の資料館「海舟館」という個人の資料館を開設しています。資料館といっても家の倉庫を改造した簡単な建物なのですが、多分公立でもないような珍しい物を展示していて、我が家を訪れた殆どの人はその珍しさとこだわりに目を見張って驚くのです。

(わが家秘蔵の刀剣類です)

 親父の偉さはそこら辺に落ちているガラクタ同然のものでもしっかりと手入れをして磨きこみ、しっかりと展示に耐えるようにしているセンスのよさです。例えば親父は元漁師ですが、自分が底引き網の操業中網にかかって引き上げられた戦闘機の機銃を根気良く磨いて展示をしているし、ナウマン象の化石だってきちんと塩抜きをして展示しています。また自分の乗ったり見たりしたことのある瀬戸内海で活躍した木造船の模型を自分で手づくりし20隻も展示しています。

 そんな展示に混じって、刀や槍、火縄銃といった日本古来の美術品も展示をしています。多い時には刀など10振りも持っていましたが、息子や親類に剣道をやる人間が多く、譲ったため今は刀が5振り、槍や薙刀、火縄銃などが所狭しと並べられています。

(刀の手入れをする親父)

 今朝親父の隠居に行くと、刀箱から刀や槍を取り出して時代劇映画で見るような姿で刀の手入れをしていました。そして「お前も長男だし、これらを大事に孫子の代まで伝えるためには、手入れの仕方をもうそろそろ習わなければなるまい」と神妙に言うのです。「まだまだ親父の仕事だ」と思いつつ、「そうじゃねえ」と同調しました。親父の話によると刀や槍は2~3ヶ月に一度は箱から取り出し、刀を保存鞘から抜いて打ち粉を打ち、それを拭き取ること二度三度、その後刀用の油を引いてもとの鞘に収める、次に柄をを抜いて手元の手入れも怠らないようにと、指導を受けました。打ち粉を振り過ぎるといけないし、油をつけ過ぎると光が鈍くなるなど、刀の手入れは細心の注意が必要だと厳しく注意され、手ほどきを受けました。親父のいうのにはそれらの作業はわが息子にも既に伝授しているそうで、知らないし出来ないのはどうも私だけだったようなのです。

(親父自慢の一振りです)

 親父が一番自慢にしている刀は昭和41年に打った現代刀ながら「肥前国住兼元」作の一振りです。これはかなりの金をつぎ込んで手に入れたもので、鑑定書では「重要貴重刀剣」にランクされているのです。親父は元々古刀が趣味ですが、この分厚くて長い優れものを大切に保存してきました。「わしが死んでもこの刀と機関銃だけはこの家の宝物として孫子に伝えて欲しい」というのが口癖なのです。

 刀箱に入れ大切にしまっているこれらを私は長男としてしっかり受け継ぐ決意をした朝でした。それにしても3ヶ月に一度手入れが出来るか心配です。

  「長男の お前が受け継げ そういって 刀の手入れ 仕方教える」

  「値打ち物 売れば値打ちを 感じるが ただあるだけで 値打ち分らぬ」

  「そういえば 二人の弟 嬉しげに 刀貰って はしゃいでいたっけ」

  「三ヶ月 一度は刀に 向き合って 打ち粉油で 手入れする羽目」 




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