shin-1さんの日記

○サツマイモの種芋を伏せました

 「命のリレー」なんて格好いいことをテーマにサツマイモをつくり始めて2年が経ちましたが、一年目はイノシシの被害に遭って全滅、昨年は予想以上の収穫だったけれど種芋の確保がほとんど出来ず、今年3年目に突入です。生涯学習の一環として人間牧場で始めた野外活動体験事業ですが、しみじみ「いいことと出来ることは違う」事を実感している今日この頃です。

 昨年の12月から始めた命のリレーのための土作りも一見順調そうに見えて大変な重労働で、子どもたちは結局のところ土作り講習会だけの参加になってしまいました。息子に手伝ってもらって人間牧場の畑の隅に穴を掘り、ベニヤ板で囲い場を作って落ち葉を集め、油粕や米糠を入れる作業もかなり重労働で、腰を痛めぎっくり腰になってしまったり、その後の切り替えしなどの作業は殆ど私一人がやりました。それでも大洲市田処の亀本さんが牛糞や豚糞をわざわざトラックで運んでくれたり、バイオマスペレット事業の県補助金をいただいて牛糞ペレットを貰ったり、そこそこの援助があって、どうにか今日を迎えました。


 外気温度が温かくなり寒さも峠を超えたようなので、先日ビニール掛けを終えたため今日は何が何でも種芋を伏せたいと意気込んで準備を進めました。まず種芋の確保です。子どもたちは種芋を残さず殆どを食べてしまったので、私の分け前である3個をわが家で段ボール箱に籾殻を入れ部屋の中で大切に保管していました。これでけではどうしようもないので、今朝早く田舎のオープンカーで伊予市の青果市場へ行ってサツマイモの種を購入しました。一箱に30個入って2200円ですから、1個73円とかなり高価な芋です。段ボール箱に書かれた銘柄は鳴門金時「里むすめ」だそうで味は見るからによさそうです。

 今日は朝から天気がいいとテレビの天気予報ではいっていましたが、私が人間牧場へ上がった頃には早くも小雨が落ち始めました。急いでハウスのビニールを剥がして中に鍬で筋をつけ、植える場所の目安にしました。そして種芋を外から植え付け予定の場所に投げ入れ、自分も囲い場に入って、一つ一つ丁寧にスコップで穴を掘って植え付け、土を被せて行きました。最後はビニールを元に戻して出来上がりです。


 近所の農家の奥さんがお墓参りに来ていて、私の農作業の様子を見ながら、世間話しをしました。奥さんが「ここはやまぜ(南西の風)が強く吹く所だから、ビニールが飛ばないようにしっかりと固定しなさい」とアドバイスをしてくれました。早速端材を寄せ集めてあちらこちらに釘でこれでもかといわんばかりに打ちつけました。多分この奥さんは農業を生業としているので私のやってることが、お遊びのように感じたのかもしれないのです。

 よくいわれる言葉ですが、儲けなければならない農業はそれなりの苦労が伴います。しかし儲けなくても良い農業は実に楽しいものなのです。もしこの種芋から芽が出なかったら、お百姓さんの場合は死活問題です。ところが私たちのようなえせ百姓はたとえ芽が出なくても、その時期にイモヅル苗を買えばいいのです。2200円の投資は被らなければなりませんが、まあ首をくくるような責任問題にはならず、むしろ失敗の体験として、それなりの評価は残るのです。

 子どもたちが考えた命のリレーは果たして上手く行くのかどうか、今のところ半信半疑、五分五分といったところでしょうか。

  「芋の種 植えはしたもの 芽が出るか 五分五分半疑 自信が持てず」

  「里むすめ 名前がいいね 種芋の 食べたいような いい顔してる」

  「ビニールで まるで封印 苗床を ワクワクしつつ 金槌の音」

  「何しても ひと筋縄では いかぬもの ツルの高さを 今頃実感」 

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shin-1さんの日記

○気の会う仲間と一杯やりながら「初心」を語る

 昨晩は松山市内のかつて行き着けだった四十雀という縄暖簾のかかった居酒屋で、3人だけというこじんまりとした雰囲気でお酒を飲みました。勿論私はお酒が飲めないので注ぎ役に徹し、大瓶6本を空けました。酒の強い方の部類に属する二人が飲むほどに段々酔ってくるのが分るはずなのに、ウーロン茶を飲みながらこちらも酔ったような雰囲気になるのですから酒席とは面白いものです。

 私を含めたこの3人が中心になって夢工房という小さな勉強会を始めたのはもう二十年も前です。その後県庁や市町村役場、それに団体職員も加わって多い時は20本の指では数えられない程に増えましたが、最初は勉強会のつもりで始めたグループが、いつの間にか飲み会の延長のような雰囲気になっていて、何とかしなければなるまいという話になって、昨晩は作戦会議のような飲み会になったのです。

 いつも大勢で利用する飲み屋も昨晩は殆ど空で、顔なじみの客とあって予約もなしに行ったにも関わらず、女将さんが空いた4畳半の部屋を用意してくれました。「適当に見繕って」と言っただけで私たちの胃袋と懐具合を察知して料理や酒を出してくれるのですから、20年の重みはさすがだと思いました。

 話は飲むほどに酔うほどに深くなり、様々な意見が飛び交いました。元々この二人は県庁職員の中でも私が最も敬愛する人たちなので、読書や人脈で人間の生き方をしっかりと学んだ、自らを律した生き方は謙虚さと冒険心を兼ね備えているのです。昨晩はそんな生き方を心を開いて話し合いました。

 「初心に帰る」という話は、奥の深い観阿弥世阿弥の話しにまでも及びました。「初心に帰る」という言葉はよく使いますが、初心とは全ての始まりを意味します。しかし人間には年齢や発達段階、発起に応じた様々な初心があるようです。成人式を迎えて決意を新たにするのも初心、役所へ入庁した時の決意も初心、また23歳の時に作った生活設計も初心なのです。

 さしずめ私が50歳で決意した人間牧場構想も初心であり、60歳の定年リタイアの時に決意した生き方も初心かも知れません。昨日二人の話しを聞いて60歳から始めた今の生き方の初心を考えてみました。

 私の生き方は概ね21年サイクルです。既に3つのサイクルを終えて最終章である4つ目のサイクルに突入します。4つ目のサイクルから新たに始めた事は毎日ブログを書くこと、人間牧場をフィールドに恩返しの人生を過ごすこと以外そんなにはありませんが、彼らが言うのにはブログと人間牧場だけでも羨ましい生き方だと褒めてくれました。

 私の周りには60歳という人生の節目を向かえた人たちが、「自由人」というものに憧れてどんどんリタイアして来ています。あと2週間でその数はどんどん増えてゆくことでしょう。しかし憧れていた「自由人」もいざなってみると、案外不自由なものなのです。年金をいただく年齢にはまだ到達しませんから、給料を断たれるという不自由がまず襲いかかります。そして今までの職場人生が地域人生に変わりますから、地域のお世話をしなければなりません。これも嫌おうなしで不自由です。また妻や家族と給料という一本の太い線で結ばれていた人間関係が壊れ不自由になるし、規則正しい生活が不自由になって健康だって害します。まあ自由の裏に隠された不自由を想定認識し容認することを覚悟しておかないと「こんなはずではなかった」という失望の結果になるのです。

 私は幸せな事に4サイクル目の始めに当ってしっかりとその事を考えて出発したから素敵な「自由人」になり、人もうらやむ素敵な生き方をすることが出来ています。多分そのバックボーンとなる健康さえ注意をしていればもっともっと素敵に生きれると希望が持てるのです。

 心に望みを持って三年前に始まった新しい私の生き方は、まさに新たな「初心」であり、この「初心」に帰ってこれからも楽しく生きてゆきたいと思ういい昨夜の飲み会でした。

  「初心とは 決意したこと 全てです 後は実践 やるっきゃないね」

  「尺取の 虫に例えた わが人生 残った旅路 やはり尺取」

  「言い事を 観阿弥世阿弥 教えてる 今も昔も 道は変わらず」

  「自由人 みんな憧れ いますけど 不自由おまけ 沢山あるよ」


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