shin-1さんの日記

○農作業とつわぶき

 忙しさと寒さもあって、「前回は何時ごろ行ったのだろうか?」と思うほど長い間暇していた人間牧場へ、行きました。昨日90歳の親父が「白内障の手術の後の検査に連れて行ってくれ」というものですから、伊予市の本宮眼科クリニックへ連れて行ったので、10時という遅い時間になってしまいました。

 昨日の雨も止んで、北西の風が強いものの天気が回復して気温も10度以上に上がり、農作業をしていると汗ばむほどでした。気が急くのは腐葉土を作っている木枠の中の腐葉土を切り返し、その上に土を被せてサツマイモの種芋を伏せる準備をしなければならないのです。腐葉土はこの冬の外気温が予想以上に低かったため被せたビニールの下で落ち葉が上手く発酵せず、このままだと間に合わない恐れがあるのです。木枠の中の腐葉土を切り返し、その上に息子と一緒に外に出していた赤土を乗せてゆくのです。スコップで赤土を入れる作業は、昨日の雨で粘っていて、スコップや履いている長靴にまとわりつき、思うようにはかどりませんでしたが、それでも休み休みしながらでも30分程度で終わりました。

 今度はその上に端材を使ってハウスのような屋根を付ける作業をしました。人間牧場には建築当時の端材がまだ何本か残っていて、寄せ集めてきてノコギリで切ったり釘で打ち付けたりしながらの作業です。私は親父に比べ大工作業など大の苦手で器用ではありませんので、中々上手く出来ませんでしたが、それでも小一時間で何とか様になってきました。

 さてその上に透明のビニールを被せるのですが、中央公民館の日山さんから貰ったビニールは、風の強い中での一人の作業なので風に飛んでいう事を聞いてくれないのです。ハウスみかん農家の苦労が分るような気持がしました。これから春先にかけて突風が吹く恐れがあって吹き飛んでしまうかも知れないので、足らない端材を持参して近いうちに補強をしなければならないようです。

 さて種芋の購入を考えなければなりません。計算だと4畝に7個づつ植わる予定なので28個の種芋が必要です。私が小さかった頃母親が芋坪から芋を取り出して半分に切り、腐敗防止のため切り口に木灰をつけて植えていたのを思い出しましたので、そうしてみたいと思っています。種芋は鳴門金時か土佐金時くらいがいいかも知れません。

 無事作業も一段落したので、梅林の横に生えている椿の木に絡まったカズラを剪定ハサミで切る作業や、畑の草取り作業をしましたが、今の間に地道な作業をしておかないと、カズラや草に負けてしまうのです。

 ふと畑の隅のツワブキの古株を見ると綿帽子を被ったツワブキが数本頭を持ち上げていました。ツワブキの赤ちゃんを見る度に春近しの感じがします。早速何本か収穫しました。これが春特有のアクの強い食べ物で、ほろ苦さが特長ですが、皮を剥ぎ茹でてアク出しをして煮付けにするとこれが結構美味しいのです。特産品センターの店先には早くも皮を剥いだツワブキが一袋300円程度で売られているようです。

 家に持って帰って新聞紙を広げその上で剥ぎました。アクで手が真っ黒になるため、薄い手袋をはめて剥ぐのですが、これが中々上手く剥げないのです。手を使う仕事をしている妻には到底頼むことが出来ず、結局自分一人が最後まで剥いで水に晒しましたが、楽しみが増えました。春はもうそこまで来ています。

  「芋のツル 育てるための ハウスでき いよいよ命 つなぎスタート」

  「不器用な 男に生まれ 得をした 作業は全て 親父に任せ」

  「芋の種 買う金あれば ツル買える そんな悪評 聞こえてきそう」

  「ツワブキの アクで染まった 指の先 働き者の レッテルのよう」

 

  

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shin-1さんの日記

○心の原点に帰った思い

 昨日は地元で開かれた菜の花ウォークというイベントに参加しました。最近は県内外に出る機会が多く、自分の町に居ながらいつも自分の町を疎かにしているような、後ろめたさが心の隅に引っかかっているのです。勿論役場職員だった昔のように給料を貰い仕事でまちづくりをしている訳ではないので、税金さえ納めれば私が何をしようと勝手なのです。しかし少なくとも双海町という地域をまちづくりのフィールドにして、ある時代を必死になって生きてきた私にとって、まちづくりの世界から目をそむけて生きることは意思に反すると思っているのです。多分自費で造った人間牧場もそうしたふるさとに対する想いと、ふるさとと自分をつなぎとめる心の鎖にしたいと思う現われだったに違いないのです。

 夕やけコンサートにしろ、菜の花ウォークにしろ、サンセットロマンチッククリスマスにしろ、今あるイベントの数々は殆ど私が発案し始めました。あり難い事にまちづくりの仲間によってその殆どが内容を変えても継続されているのですが、彼らの人集めの苦労を思うと、もう少し私にできる協力をしなければとならないと思っての参加した。

 イベントの良し悪しは量と質がありますが、中でも参加する人の量は大切な用件です。「一人でも多くの人を集めたい」と思う主催者の意思に反して、役所の職員は部署が変われば殆ど見向きもしません。ましてや何年か前まちづくりの部署でまちづくりの担当をした経験のある人でさえ参加しないのですから、役所の職員の冷たさにはほとほと参ります。「じゃあお前はどうなんだ」と言われそうですが、確かに役所を辞めた私たちも知ったかぶりでそれなりの知識で役所や職員を批判しますが、参加してものを言うような人間にならなければならないと思うです。その意味で次の三つは特に大事な心がけだと今も肝に銘じて生きています。

 「自分たちの歴史に思いを馳せられなくなった時」、人は良心」をなくします。たった35年間の役場生活、その中でも20年ほどの短い間、無我夢中でやったまちづくりの仕事は自分の歴史でもあります。リタイアしてその一線から身を引きましたが、真摯な態度でまちづくりという世界に向かい合いたいと思っています。

 「利益を考え過ぎた時」人は「良心」をなくします。かつて私は第三セクターをつくり、「赤字にならない」ことを至上命題にして無我夢中で儲けに走った時代がありました。それは「赤字になったらどうするのか」と議会から文句をつけられた時、「赤字になったら黒いボールペンで書く」と大見得を切った私自身に対する挑戦でもありました。その結果第三セクターは13年間、一回も赤字になることなく黒字経営を続けていることは承知の通りですが、儲けに走り過ぎてお客様本意を忘れて失敗した苦い経験ももっています。

 「仲間の顔を忘れた時」、人は「良心」をなくします。私の周りにはいつの時代も常に沢山の仲間が集まり、今も多くの仲間とともに生きています。その仲間も時代とともに顔ぶれが変わるのですが、かつての仲間の顔を忘れてはならないと、まちづくりの素人である妻が口癖のように私に言うのです。妻は古い私の仲間に対して、去年一年間だけでも50箱ものふるさとの味を仲間に宅配便で送り続けてくれているのです。そのことは仲間の顔を忘れないで欲しいという妻の願いかも知れないと日々感謝しています。

 人には様々な心がけがあります。朝早く起きようとか、毎日はがきを三枚書こうとか(いずれも私の心がけ)、何気ないことですが考え行動に移します。その行動がいつの間にか習慣になり、自分の規範となって生き方を確立して行くのです。

 もう少しだけ気張って、もう少しだけいい人間になれるよう努力したいと思います。

  「過去見るな 未来に向えと いうけれど 生きた歴史も これまた大事」

  「利益上げ 成果誇示する 時もある でも本当は 相手思って」

  「あの顔も この顔もまた 忘れえぬ 思いで彼方 仲間沢山」

  「過ぎてなお 初心忘れず 暮らしたい これから先も 肝に銘じて」

 

 

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