○今日から上島町弓削島~福岡県博多~秋田県能代市へと日本縦断の旅に出ます
○旅の思い出近日ブログ公開予定・乞うご期待。
双海より
○ひな祭り
日本の各地からひな祭りのニュースが届くようになりました。昔はどの家庭でもお雛様と鯉幟は子どもの健やかな成長を願う伝統行事として広く定着していた子どもの伝統行事でした。ところが住宅事情の変化や少子化の影響によってお雛様や鯉幟を飾る風習が段々消えて、子どもの記憶から消えようとしているのです。昔を懐かしむ人にとって復活を望むのは当然の成り行きかもしれません。
そこで登場したのが地域づくりの手法です。家庭で持て余している伝統的なお雛様を譲り受けて商店街に飾ったり、大規模な町では体育館に飾って人を呼び寄せ、村おこしで成功を収めた所だってあるのですから面白いものです。人形を飾るひ毛氈やきらびやかな衣装と対照的な何処か寂しそうな憂いをこめたお雛様の顔立ちは、まさに日本の伝統文化である詫寂の世界で、見る人を幽玄の世界へ誘ってくれるのです。
一昨日ふたみシーサイド公園のイベントホールへ出かけてみると立派なお雛様セットが飾られていました。もう恒例行事になりましたが、漁協女性部の皆さんが飾ってくれているのです。
「これをイベントにしたらお客さんが来て、何ぼ儲ける」と、野暮な事を考えてイベントを仕組んだ昔が懐かしくなるほど、お雛様の飾りつけは女性たちの手で素朴に飾られていてついつい嬉しくなりました。
そして最も嬉しいことは前日の土曜日、猫の手も借りたい忙しい手を休めて漁協女性部の皆さんは雛豆を作っていました。私たちの町では古い風習として雛節句には豆入りというのを作ります。干し飯をホウロクで炒ってはじかせます。同じように旧正月ころに色とりどりのアラレを作っておき、アラレもホウロクで炒って膨らませます。それらを水あめや砂糖を溶かして煮詰めたもので絡めモロブタに入れて熱いうちに切り分けるのです。これは少々硬くて歯の丈夫な人でないと食べられませんが絶品で、物のない時代に育った私などは記憶の片隅にちゃんとおご馳走レシピとして残っているのです。お雛様に供えた豆入りを何度くすねて食べ叱られたことか、今では淡いお袋の思い出なのです。
漁協女性部の皆さんはひな祭りが月曜日ということもあって一日早い日曜日にこの豆入りをジャこ天の店に来訪した子どもたちに無償で配るのです。大判振る舞いといえば聞こえはいいのですが、こんなささやかなおすそ分けが、行列の出来る店の隠された秘密であることを知っている人は私くらいなものでしょうが、「感謝と真心、そして本物を売る」ことに徹したからこそ年間6千万円もの売り上げを記録するまでに成長したのです。
団体をリードする指導者は余程カリスマ性がないと誰からも慕われるような運営は出来ないものです。しかもまるで暖簾のように長年続けることは容易なことではありません。漁協女性部を長年リードしてきた富岡喜久子さんや松本洋子さんはその点凄いリーダーで、私のいなくなったシーサイド公園のジャこ天部門を見事に発展させてくれているのです。「信用は石垣の如くひとつひとつ丁寧に積み重ねる」、そう肝に銘じた14年間は確かに苦労の連続でした。しかも折角積み上げた信用の石垣も、一瞬のうちに吹っ飛んだ苦い経験も幾度かありました。それでも諦めずまた一から積み上げてきたのです。豆入りという小さな善意が今年もまた多くの仲間によって成し遂げられました。嬉しいの一言です。
「信用は 心幾つも 積み重ね 手間暇かけて 造るものなり」
「ひな祭り 今年もお裾 分けしたる 豆入り配り 感謝の気持ち」
「お雛様 どこか寂しい 顔してる 子どもの数が 少ないからか」
「嬉しいね 心の出来た 人に会う 何処かほのぼの 春風のよう」
○黄砂とスギ花粉
「今年のように冬が寒いのは久しぶり」と、90歳になる親父がいうように今年の冬は寒い日が続きました。確かに昔から比べると、冬日なんて0度以下になることは、海沿いの町ゆえに殆どなく、氷が張ったなんてことも殆どないのですから、暖冬傾向に違いはないのです。私の記憶でも若い頃氷点下に下がって水道管があちこちでは損したこともあったし、大雪に見舞われて交通が麻痺した事を広報に写真入りで書いたことも何度かありました。まあ寒いといっても早三月ですから、そのうち三寒四温の巡りの中で温かくなることでしょう。
春といえば黄砂と花粉症が代名詞のように言われます。黄砂は日本の西に位置する中国大陸の砂塵が風で吹き上げられ、ジェット気流に乗って東に移動して日本の上空でばら撒かれるのです。昔は春を呼ぶ自然現象として仕方がない春の風物詩として諦めていましたが、最近は高度成長著しい中国の開発が原因とする見方もあって、黄砂のように何かモヤモヤした気持ちになるのです。中国は三千年も前の古い時代から文明においても政治経済においても常に日本の前を走っていた国です。そしてその影響をもろに受けて中国とともに成長してきました。その中国というランナーを後追いの日本が抜こうとしたのは戦争でした。小さい国力を過信した日本は侵略という形で中国に侵攻しましたが、各国の同盟や反対にあって戦争は失敗し終戦となり、深手を負いながら元の形に戻ったのです。その後占領されたアメリカの影響で日本は著しい発展を遂げ、経済的には中国を抜き、経済を国力と勘違いし再び遅れをとった中国に経済戦争という形で進出し、やがて日本やアメリカの影響を受けた中国の目覚しい経済発展の影響をもろに受けて現在に至っているのです。
その中国と靖国神社でもめた歴史認識問題も覚めやらぬのに、今度は餃子という食べ物が原因でもめ始めています。中国の食べ物である餃子を日本人が常食するようになったのはつい最近のことです。しかも安くて美味い餃子を中国人に作らせてそれを食べる、商社の仕組んだシナリオに乗って、今では給食にまで普及しているのですから驚きです。もし黄砂に何かを交ぜて上空に舞い上がらせたら日本はどうなるのでしょうか。昨日は折からの雨に混じって黄砂の量が特にひどく、車の上は黄砂の固まりのような状態で見る影もありませんでした。前日洗ったばかりの車はもう廃車寸前の車のようにみすぼらしく見えました。悪いことは思いたくありませんが、自慢の夕日をも包み隠した黄砂を見ながら、中国と日本の間に立ち込めた暗雲のようなものを感じた一日でした。
黄砂と並んで春の使者はスギ花粉です。今は天気予報に洗濯情報と並んでスギ花粉情報というのが加えられる程です。私のように子どもの頃からスギ花粉の中で育っていると別に花粉の影響など受けないのですが、現代人はスギ花粉アレルギーの人が多いようです。これも暮しや食べ物の変化が日本人の体調を知らず知らずのうちにアレルギー傾向にしているのだと思うのです。日本がまだ発展途上だった頃は、衛生状態も悪く子どもの殆どが体内に回虫を宿していました。その頃は食べ物アレルギーの子どもは殆どいなかったそうです。一見何の関係もないアレルギーと回虫の関係は、回虫の撲滅とともにアレルギーを生んでいるようです。
昨日頃から妻も「私も花粉症かしら」と自覚させるように目をしょぼしょぼさせ、くしゃみをし始めました。そういえば私も目がしょぼしょぼするような感じがしてきました。「えっ、私も現代人?」、私だけは古い時代の人間だと思っていたのに・・・・・・。
「黄砂降る せっかく洗った 車さえ まるでポンコツ 文句は西に」
「見えぬ国 黄砂に交ぜて 飛ばしたら 日本一コロ 考えゾッと」
「スギ花粉 くしゃみと涙 合わせ出す 涙もろいと 勘違いです」
「春来たが 黄砂と花粉 持ってくる 要らぬ土産に うんざりしつつ」