shin-1さんの日記

○友遠方より来る有りまた楽しからずや

 今日は熊本県天草市から7名のお客さんがやって来ました。今年の1月15日に天草市経済同友会の招きで講演に行ったことが縁での視察です。時代の流れが早い現代にあっては半年も経つと、人の記憶など失せゆくものなのでしょうが、私にとって天草は忘れられない思い出の旅となっているのです。天草への講演は何故か妻と孫を含めた3人旅でした。というのも夫婦で行こうと計画していたのに出発の前日になって娘が切迫流産とかの危険で急遽入院してしまい、孫の面倒を見なければならなくなったからです。私はさて置いて、妻はこの旅を楽しみにしていましたし、孫にとっても始めての長旅でみんなワクワクの旅でした。結果は天草経済同友会の中川会長さん始め多くの方々に大切にしてもらい、良き思い出ができたのです。孫も妻も今でもあの旅のことは記憶の底に鮮明に残っているようです。今朝も天草の人たちが見える話をしたら孫などは、「幼稚園を休む」などと、すっかり天草モードでした。天草が孫にとって印象深いものになった原因は水族館でイルカやアシカに会えたこと、行きたくても行けなかった恐竜の化石の島へ今度行く約束をとりあえず納得させるためにしたからなのでしょうが、まあ天草となると嬉しそうに話すのです。

 天草からのお客さんは中川会長さんはじめ7名でした。朝9時にはシーサイド公園に到着され、そこら辺を散策されていました。私にとっては特別なお客さんですから、少し違ったシーサイド公園、人間牧場、翠小学校、海舟館という日ごろは考えられない視察ルートを案内しようと思いました。

 シーサイド公園を出発してまず人間牧場へ案内しました。この日は前日の雨模様とは違って、時折薄日の差す梅雨の晴間で、高温多湿でレンタカーを降りて少し歩き多少汗もかきましたが、人間牧場には心地よい風が吹き渡り、水平線の家でのリラックスタイムとなりました。参加者は議員さんや市役所職員さんたちでしたが、日本人は自由時間の使い方が下手だといつも思っているので、水平線の家ではあえて自由時間を取るように心がけています。解き放たれた自由時間の中で人間は何かを感じるものです。それが人間牧場の特徴なのです。今日は梅雨時特有の霞がかかって遠望はききませんでしたが、海も空も穏やかな感じがして瞑想には最適な条件でした。

(天草の人たち)
(翠小学校を訪ねる)

 昼近くまで人間牧場で過ごし、翠小学校へ案内しました。飛び込みの視察にもかかわらず校長先生や教頭先生、それに諸先生が手を振って快く迎えてくれて、いつもながらの気配りに感謝しました。天草の人もノスタルジックな学校の雰囲気に驚き、感動し、感嘆の声を上げていました。これこそ日本の忘れかけた原風景なのです。既にエコ改修の準備も着々と進んでいるようです。

 最後はわが家の海舟館や煙会所です。この施設も私にとってはありきたりですが、来訪者にとっては私設の施設だけに心を揺さぶる何かを感じて欲しいとの願いからの案内でした。結局はまちづくりは自分という原点に帰ってゆくものだと感じていただければ、今回のご案内はヒントになるかもしれないと思っています。

 シーサイド公園で遅い昼食を済ませ、長浜、大洲、内子を経由して松山へと帰って行きましたが、シーサイド公園では顔見知りの愛大学生が調査に来ており、道の駅のあれやこれやを4人の学生を相手に小1時間喋り、名物の夕やけソフトをご馳走して別れました。

 人に会い、人を案内し、人に語る。こんな出会いを繰り返す日々の中で、私自身も少しずつ成長してきたのです。これからも人と会い、人を案内し、人に語りたいと思っています。

  「遠いけど 天草だんだん 近くなる 人の思いは 離れていても」

  「このルート 人の生き方 探す旅 自由な空間 何を感じる」

  「人に会い 人を案内 あれこれと 対話しながら 軌道修正」

  「偶然に 出会う学生 道の駅 夕やけソフト なめつつ話す」  


 

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shin-1さんの日記

○柏島・大月町ルポ④

 今回の大月町への旅のもう一つの楽しみは柏島とコーラルフルーツの岡さんが経営する蜜柑園を見学することです。柏島は黒潮実感センターに勤めていた山下さんとの交流から一度は訪ねて見たいと思っていました。まず私は山本さんの車に便乗し海岸沿いの道を走りました。宇和海の入り口宿毛湾は今の時期は穏やかで、梅雨の晴れ間の蒸し暑さで汗ばむほどでした。

 山もさんが途中「ちょっと立ち寄ってみますか」と案内してくれたのは、小高い海を見下ろす丘の上にある彫刻のモニュメントです、殺風景な場所に威風堂々と建っている石造は実に見事なものでした。

(作者の想いによって建立されているモニュメント)
(イサムノグチと並び称される流さんの刻印が刻まれていました)

 ふるさと創生がらみの資金で建立されたそうですが、今は僻地ゆえ、またそれらしき誘導もなく訪れる人は皆無に等しいこの文化的モニュメントを町民はどう評価するか、かなり難しく投資効果としては疑問の残るものでした。まちづくりは町の格を上げる運動でもあります。こうした施設を文化の薫り高いまちづくりといくら声高に言っても町民の文化のレベルを上げない限り単なる石の置物でしかないのです。

 そこへゆくと、自然が作り出した芸術とでもいうべき大堂海岸は素晴らしく、先程見た何千万円もかけたモニュメントがまるで小さな存在にしか見えない観音岩を足のすくむような展望台から見下ろす姿は絶景で、思わず息を呑んでしまいました。私も色々な旅をして色々な自然を見ていますが、この大堂海岸は北陸東尋坊にも決して引けを取らない景勝地だと想うのです。

(観音岩)
(大堂海岸の絶景)

そこから少し走ると柏島の全貌が見えてきました。この島は釣りバカ日誌に高島礼子さんが出てくる島なのです。「あああの橋の上から高島礼子さんは海にダイビングしたなあ」と映画のワンカットシーンを思い出しつつ橋を渡って島に入りました。島のあちこちでは黒のウエットスーツを着た若い男女がダイビングに向かうの酸素ボンベを運んで船に乗り込んでいました。また民宿のあちこちでは若い男女が眠そうな目つきでたむろしていました。

?(柏島の全景)

(高島礼子さんが飛び込んだとされる橋の上)

(島と陸地部を挟む海峡、この上に2本の橋がかかっています。昔は木製の端だったそうです。橋の下の海はとても綺麗で魚が沢山泳いでいました)
(子宝に恵まれる安産のアコウ樹)
(碁盤の目のようにすっきりした通りの柏島集落)
(防潮堤の裏側に広がる海と海岸、絶好のダイビングスポットのよで既にダイバーが船から海中目がけて飛び込んでいました)

 山本さんの案内で少し島を歩いて見ることにしました。立派なアコウ樹の大木が茂る神社に車を止めアコウ樹の不思議な姿に感心しながら路地のような集落を裏手の海岸まで歩きました。高島礼子が出てすっかり有名になった大和屋旅館の前で山本さんが記念写真を撮ってくれました。

 それにしても柏島は島も島の周辺も海も人情までもまるで別世界のような雰囲気でした。出くわせた何人かのダイビングを楽しむ若者のような過ごし方もいいなあと思いつつ、一度ゆっくり民宿にでも泊まって地元の人と交流をしてみたいとも思いました。柏島には都会にはない魅力があって、都会の人の憧れがそこにあります。わたしたちがかつて都会に憧れた青春時代と同じように、都会の暮らしに疲れた若者もこの島や海で疲れを癒し都会の雑踏の中に戻ってゆくのでしょう。時計を気にせずゆっくりと流れる時の流れを体感したような一日となりました。

 次の目的地はコーラルフルーツ大月の農場です。岡さんと出会ったのは二年も前の事になりますが、当時岡さんの生き方に強いショックを受けました。彼の持論は「半年働き、半年遊んで暮らす」というのです。そんなことしたくても?と否定する人が殆どだろうと思うのですが、それを実践しているのです。しかも適当に海外旅行もやって人と交流しているのですから、羨ましいとしかいいようがありません。

 彼の農場は人里離れた場所にありました7ヘクタールと8ヘクタールともいわれる農場には12千本のみかんが配列よく植わり、園内を無尽に走る作業道を含めた姿はまるで青年の船で余りかに行った時カリフォルニアでみたアメリカの農場とまったく一緒の光景なのです。岡さんはいきなりトラックに積んだ消毒設備でデモンストレーションを見せてくれました。「凄い」の一言です。これだけ広い農場の防除でも僅か2時間半で終わるというのですから驚きです。


(コーラルの入口に架かった看板)

(私のためにデモンストレーションしてくれた噴霧の様子です。剪定はチエンソー、草刈は小さい草刈機ではなく大型の機械で草を刈るのだそうです)

(まるでブラジル移民にでも出会うような雰囲気の岡さんです)
(岡さんを象徴する岡さんの言葉が事務所の壁にベニヤ板に書かれ貼ってありました)

 「もし 龍馬が 百勝をしていたら 私と同じことを していただろう」という言葉には衝撃を受けます。今の農業は草との戦い、病害虫との戦いだといっても過言ではありません。その百姓が最も嫌がる重労働を軽便化し、一次産業を六次産業に仕組んで悠々と暮らす岡さんの理念はこの言葉で証明できそうです。


 山本さんと3人で大月町が作った海を見下ろすお洒落なホテルで昼食を取りました。かつて山本さんがその運営に携わったホテルです。今は指定管理者の手によって運営されていますが、田舎の暮しあり、お洒落な暮しあり、それでいて上手いものと生きることの意味を問いかける岡さんのような人ありで、また私の全知全能に新たな生き方への道が切り開かれたような旅となりました。

  「念願の 柏と岡に めぐり合い 新たな夢が 膨らみました」

  「人生を 龍馬にダブらせ 生きる人 おんしゃ何を しよるながか」

  「面白く ないと思えば 世の中は 面白くなし 心変えねば」

  「逆風は くるり反対 向けばいい やがて追い風 受けるだろうよ」

 

(大和屋旅館の前にて)

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shin-1さんの日記

○一宿一飯一夜の宿・大月町ルポ③

 研修会と夕食交流会を終えた私と山本さんは、迎えに来た山本さんの奥さんの車に乗って夜の道をお宿となる山本さん宅へ向かいました。夜のことゆえ何処をどう走ったかは分りませんが、海岸沿いの曲がりくねった道を走ったような雰囲気で約20分走り、午後9時ころに到着しました。奥さんはかつて山本さんと同伴でわが家へ手土産を持って来られたことがあるので凛とした懐かしい顔は直ぐに思い出しました。こうして旅を続けていると、かつての私がそうであったように、一宿一飯の恩義に甘んじなければならず、緊張と恐縮な気持ちが入り混じりましたが、ここは仕方がないとあきらめて山本さんの家族に甘える事にしました。

 2人の子どもにも出会って声をかけ、山本さんと奥さんと3人で酒やお茶を飲みながら12時頃まで話しこみました。今日の研修会のこと、家族のこと、将来のこと、気がかりなこと、人生いかに生きるかなどなど、意の向くままにお互い他愛のない事を心を開いて話しました。特に道の駅を担当しての苦労話や道の駅の活性化については、私も経験者だけにノウハウをかなり突っ込んでアドバイスしましたし、教員をしている奥さんとは学校教育や家庭教育などについても、私の無人島経験、家庭の様子などを時には羽目を外しました。

 お風呂をいただいて明くる日の朝6時半の散歩を約束して床に就きましたが、長旅の疲れか毎日実行している就寝前15分の読書も持参した本のさわりの部分だけしか読めないほどに眠気をもよおし、外の静けさも手伝って早々と深い眠りについていました。毎日12時に就寝し朝4時に起床する習慣も随分慣れてはいるのですが片道4時間の運転と、3時間半の研修会、2時間の夕食交流会の連続はさすがにいい疲労をしたようです。

 嬉しい事に朝4時きっかりに目が覚めました。この日の朝はパソコンもないので久しぶりの朝読書です。失礼ながら部屋の電気をつけ津本陽の「開国」という本を読みました。この本は愛媛県中央青年の家の先生に貰った本です。少し難しい明治維新の歴史書ですが、貰った先生に今度会うまでには何とか読破したいと思って持ち歩いています。時代の流れが変ったとされる日本を震撼させた黒船の衝撃が「遠雷」「黒船」「彦根牛」「大獄」の4つに分類されて書かれている本です。大筋は幕末の動乱は米艦隊ペリー来航で幕を開けました。開国をめぐる幕閣、諸大名、朝廷の激しい対立、米総領事ハリスとの条約調印と将軍継嗣問題で強権を振るった大老井伊暗殺、徳川幕府崩壊の前夜いかなる暗闘と流血があったのか、現代に通じる指導者たちの苦悩と決断が生々しく描かれています。

 やがて30分もすれば外が明るくなりましたが、6時には朝の読書に一区切りをつけ、昨晩のかつて知ったる洗面所で顔を洗い身支度を整えました。山本さんも約束の6時半前に身支度を済ませて二階から降りてきたので二人で外に出ました。外は曇り空ながらすがすがしい朝です。思い切り深呼吸をして歩き始めました。

(海に向かって建つ山本さん宅、閑静な一軒家で辺りには隣近所の家がまったくないのです。)
(少し歩くと山本さん自慢の田んぼが見えてきました。青田の向こうに広がる海は何とも美しい光景でした。3歳でお父さんを亡くした山本さんはお母さんと共にこの田んぼを守り、工事に伴う圃場整備でこんな立派な田んぼに仕上げていました。勤めながら6反もの田んぼを守っています。

(田んぼの前に広がるプライベートビーチは海底が透き通って見えるくらい綺麗な海岸でした。都会の人が羨ましがるような雰囲気の海岸で海を遊び場に何か考えてみたいと直感しました。山本さんの未来の人生が見えてくるようでした。)
(どうです。この美田。思わずうっとりしました。田植えを終えた水面に映える夕日の残照は見てみたい光景です)

 心のこもった朝食をお母さんと4人でご馳走になりましたが、記念にと旅立ち前にお母さんと奥さんを外に連れ出し記念写真を撮らせてもらいました。

(家族の記念写真です。)

 最近心臓の手術をされたそうですが、何だか自分の死んだおふくろさんを思い出してしまいました。手に持っていたカバンからハーモニカを持ち出し、下手糞ながら「夕やけこやけ」「赤トンボ」「娘よ」の3曲をお礼のつもりでお母さんに吹いて聴かせました。お母さんは神妙な面持ちで拍手までしてくれました。嬉しかったですね。お元気でお過ごしください。奥さんとお母さんとに見送られ私は山本さんの運転する車でリアス式海岸の美しい景色を眺めながら次の目的地である柏島を目指しました。

 お茶を買うため迂回した奥まった道沿いに小学校と中学校が併設されている学校前を通りました。中学校は既に廃校になって、小学生も4人しかいないとか、ここにも間もなく廃校という過疎や少子化の悲劇がひしひしと忍び寄っているようで胸が痛みました。

  「お別れに 下手糞ながら ハーモニカ 吹いて拍手を いただき照れる」

  「一宿と 一飯いただき 後にする 一夜の宿の ほのぼの感じ」

  「若き頃 こうして人と 知り合って 今があるのか 思い出しつつ」

  「海沿いの 青田を渡る 風涼し 向こうに青い 海が開けて」 


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