shin-1さんの日記

○「今日と明日は高知県大月町へ出かけて留守です 」・大月町ルポ①

?こんな見出しのような捨て台詞を書いて昨日高知県大月町へ出かけました。というのも、私のブログを熱心に毎日愛読している方々から、2~3日家を留守にしてブログの記事を書かないと、「おいどうした」とか、「病気ではありませんか?」などと心配してメールをくれる方々がいるので、今回はあえて見出しだけで本文のないブログで消息を知らせていました。6月23日の大月町での仕事を終えてわが家へ帰ってみると、さすがに「おいどうした」や「病気ではありませんか?」はありませんでしたが、「高知県大月町は如何でしたか」とか、「毎日忙しそうで何よりです」とか、微細なメールが何件か入っておりました。

 昨日は梅雨の中休みとでもいうのでしょうか、雨に合うこともなく宇和島道路の完成などもあって予想以上に早く大月町に到着しました。途中2ヶ所で途中休憩をしました。まず1ヶ所目は愛南町の旧内海村のトンネルを出た所にある元内海村助役だった木口さんのお家です。私は宿毛市などに行くため南に下る場合は必ず道筋の知人友人に会うよう心がけていますが、昨日は木口さんのお家の玄関先でにお会いしました。木口さんとは元村長の加幡さんと同じく若い頃から肝胆相照らす仲で、お宅に泊めてもらったりしながら村づくりやまちづくりについて、酒を酌み交わしながら夜のふけるのも忘れて話し合ったものです。この日は運良く木口さんは在宅、家の庭で作業中で久しぶりに面談しました。合併で退職した後の消息、今の日々の過ごし方、合併後の行政や政局などなど立ち話ながら色々な話をしました。木口さんは私よりも若くての退職なので、今は教員をしている奥さんが出働き、家を守るのは木口さんという面白い構図になっているようですが、体調もすこぶるよいようで、お互い元気でいようと励ましあって分かれました。

 2ヶ所目は大月町の目と鼻の先である宿毛市の道の駅でトイレ休憩をしました。宿毛はご承知のようにダルマの夕日で売っている土地なので、これまでも特別な意識をもって見てきました。ダルマの夕日が見える場所を尋ねたりした記憶があり、この道の駅にも何度か立ち寄ったことがありますが、この道の駅は少し右肩下がりではないかと思われるような雰囲気に見て取れました。

 まず道の駅の構成です。道の駅には休憩機能、情報機能、経済機能がありますが、休憩機能は果たしているものの、情報機能は駐車場にある看板のみで、インフォメーションする場所も分らず、市の顔としての機能が果たせていないように思われました。この国道は高知の重要な観光資源である足摺岬へのルート上にあるのですから通過するだけでは勿体ないと思うのです。

 問題は経済機能です。たしかに自動販売機はいっぱいありますが、その自動販売機も環境などには配慮せず無造作にむき出しって感じでしたし、何よりもお店がテナントで地域との密着や地域の主張がまるで見えてきませんでした。道の駅の草も伸び放題、救いはトイレが綺麗かったぐらいでしょう。道の駅の裏に広がる宿毛湾の風景への誘導などはまったくなされておらず、和風野外ステージの中には通行人がわが者顔でテントを張って洗濯物を干し、何やら食事を作っていました。管理者の見回りもなく、道の駅に思いを寄せる私としては少し心が痛み、他人事ではないほど心が痛みました。この現状を施設設置者の市役所は果たして知っているのか、知っていても黙認しているのか分りませんが、とにかく凋落ぶりが目に付きました。

(道の駅の表玄関、草が伸びているため何となく活気がないように見えました。)

(いい施設だのに野外ステージや海への誘導が出来ていませんでした。)
(海岸には穴の開いた洞窟などもあっていい原風景が広がっていますが、この資源が生かされていませんでした。)

(まるで自動販売機の展示場です。道の駅は環境がテーマの時代なのに余りにも無造作です。)

(この看板はやはり目に付くいい看板でここのランドマークでしょう。ならばこの夕日の看板の前で記念写真を撮ると一枚の絵になるような工夫が必要だと思います。)

(幡多地方は広域観光を推進しているのですから、幡多のインフォメーションセンターとしての昨日が必要だと思います。)
 宿毛の道の駅を出て大月町の道の駅に到着しました。多分2年ぶりくらいの立ち寄りだと思うのですが、直前に見た宿毛の道の駅と比較すると、随分活気があるように思えました。掃除も行き届き、今までなかった野菜や魚を専門に売る施設が完成し、多くの商品が入荷して盛況でした。特に魚売り場は新鮮な魚が並んでいて、道の駅の近くには見えない海ながら、大月町が海の町であることを深く印象付けました。

 道の駅に入って直ぐに「若松さんようこそ」と、一人の紳士風の方に声をかけられました。その方が後の会議に出会って大月町長さんだったと知り2度びっくりでした。私は美味しいイチゴ味のソフトクリームを注文しそれを食べながら駅長さんや事務員さんと楽しいおしゃべりをしました。お二人とも愛想がよく、知人である道の駅の前の弁当屋さんが休みなので尋ねましたが、早速電話をしてくれて午後の研修会に来られるとの連絡を受けました。インフォメーションも抜群で何かほのぼのとした気持ちで道の駅を後にしました。多分明くる日の今日帰りにもう一度立ち寄って魚を買い求め、発泡スチロールに入れて持ち帰る気持ちになったのは、職員さんの温かさに触れたからでしょう。さらには今日、かつてわが町に視察に来た見覚えのある柏島のおばちゃんに声をかけてもらいじゃこ天までお土産にいただきました。嬉しい出会いでした。

  「今日と明日 留守だと書いて 家を出る さすがにブログ 効き目抜群」

  「旧友と 久しぶりにて 会話する 俺と同じの サンデー毎日」

  「道の駅 ピンからキリまで ありまする 思い寄せねば 今に飽きられ」

  「南国の 太陽に似た おばちゃんが 懐かしそうに 俺に声かけ」



 

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shin-1さんの日記

○男時と女時

 昨日は夏至でした。一年中で夜が一番短く昼の長ーい一日でした。このところ娘のお産後の実家での休暇による新生児の世話の疲労が蓄積している妻は、肩こりと睡眠不足の重なりで少々お疲れモードのようですが、特に夜の短い睡眠不足は私から見ると寝ている方なのに、なかなか解決はしないようです。冬至なら灯火親しむのでしょうが、夏至は朝が早く夜が何時までも明るいのでお天道様を親しみ、外明かりで本を思う存分読みたい心境です。

 昨日ある本を読んでいると「男時」という言葉を見つけました。はて「おじ」と読むのか何と読むのか分らず、ましてや意味さえも分らないので、広辞苑で調べてみました。残念ながら私の広辞苑には載っていません。しからばとヤフーの辞書で調べると「おじ」と読む、意味は「何でも上手くいく時」だそうです。ちなみに反対用語は「女時」で「めじ」と読みます。「上手くいかない時」です。

しかし驚きました。男が上手くいって女が何故上手くいかないのか、語源を辿るほどに男女の差別が見えてくるのです。日本はその歴史を見ても明らかなように、今でこそ男女同権の世の中に見かけはなっていますが、つい最近まで男尊女卑の国でした。「女性は子どもを産む機械」などと大臣が言って世間の批判集中砲火を浴びたことは記憶に新しいことですが、言葉の世界ではこうした差別が沢山現存しているのです。

 「男時」「女時」の語源は能の世阿弥であることに行き着きました。世阿弥といえば風流を楽しむ詫び寂びの世界で名を成した歴史上の人物ですが、もし世阿弥が今の時代に生きてこんな言葉を言ったなら、世の女性たちはどんな叱責を浴びせるのかと思うと、人の世の華やかさに比べ、裏側に陰湿めいた感じを覚え、少し世阿弥の評価を下げねばなるまいと思ったものです。

 昨日は一日中雨模様の天気でした。松山で開かれる金融広報員の研修会があったので車で出かけました。梅雨の季節、夏至の寝不足などが重なり気分を高めるような条件ではありませんでしたが、何故か信号が殆ど青で、出勤時だというのにスイスイと

僅か30分で松山へ到着してしまいました。このことを「男時」というのだろうと納得して、仲間に「今日は男時でしたと言ったら「剃れ何ですか?」と聞き返されきょとんとしていました。しかし私のようにラッキーだった人だけではなく、昨日は朝からアンラッキーな人が沢山いた事をテレビのニュースで知りました。東京や埼玉では電車の架線が切れて4時間以上にわたって列車が止ったそうです。線路を歩く長い列や、列車に閉じ込められ気分を悪くした人の怒号や体調を崩した人の姿を見ながら、女性には悪いのですがこれこそ「女時」だと思いました。

 上手くいく時を「男時」、上手く行かない時を「女時」という言葉に、62年間生きてて昨日始めて出会いました。「ああ私はまだまだ知らない言葉がたくさんある」とも感じました。人間は様々な時と場所と方法を得て言葉を覚えます。そして様々な時と場所と方法で相手にその言葉を伝えて暮らしているのです。言葉の豊かな人であっても、使う相手がその意味を知らないと「何ですかそれは?」なんて調子で相手に伝わらない言葉も沢山あるのです。別に難しい言葉を使わなくても日々の暮しは出来るのですが、せめて人間に生まれた以上豊かな言葉を持ち、豊かな言葉を持った相手と豊かな会話をしたいものです。

 昨日の研修会には東京から来た講師がお話しをされ、発表や発言、司会や好評など様々な役割を果たされました。「いい話だった」と思う人、少し的が外れた話だったと思う人もいましたが、それは自分という物差しでの話での尺度ですが、少しだけ満足度が足りないような感じで、一日の最初は「男時」、一日の最後は「女時」のようでした。

  「この言葉 何という意味 知らなんだ 六十二年も 生きてて未だ」

  「昔人は 男女の差別 知る由も ないよな言葉 残せど風流」

  「男時だと 知ってウキウキ 全て青 信号だって 青は男時」

  「わが妻に 女時話して 目くじらを 立てられしもた 話すじゃなかった」 

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