shin-1さんの日記

○時刻表の文字が読み辛くなった

 出張で県外へ行く場合、最近までは大判の時刻表を繰って目的地までの予定を書き込んでいましたが、インタネットの使い方が分ってからは、出発日の出発地と出発時間時間か目的地と到着時間を入力さえすれば簡単に検索が出来るようになって、とても便利になりました。先日博多と人吉経由であさぎり町へ行く場合も、あらかじめデータを集めて、到着時間を相手に知らせておきました。ところが間に合わないと思っていた博多発の列車より一本早い列車が到着したので思い切って飛び乗りました。早朝だったので列車は空いた席も目だっていましたが、さすが日曜日、しかも父の日とあって特急の止る駅に着く度に乗客の数が増え、特急といっても僅か2両の自由席には立っている人もいるほど込み合って、球磨川沿いを走る頃には鮨詰め状態となりました。熊本駅の売店で買い求めたワンコイン500円の小版の時刻表を見ながら、旅の夢を追おうとしましたが、外は曇り空、しかも車内は室内灯の光も弱く、時刻表の数字がなかなか読み取れないのです。この歳になってもメガネの要らない私ですが、さすがに時刻表の文字は小さく、3と8、9や6と0などが判別がつきにくいのです。それでも目を細めながら最初のページの絵地図の中のページ番号を頼りにメー時をめくり、到着と発車の時刻を結んで行くのですが、これが意外と楽しいものなのです。

 「時刻表は空想の本」だとしみじみ思います。例えばわが町を基点に考えると予讃線海岸周りの載ったページを索引し、「いよかみなだ」の出発時刻を見ます。この時刻表ではまだ海岸周りが予讃線の本線で、内子線は支線として掲載されてます。宇和島発から高松着の上り列車の時刻がお行儀よく並び、伊予か松山からは特急に乗り換えるため「特急しおかぜ」の欄にリンクして時刻を追って行きます。何度も乗車経験のある私としては頭の中に駅舎や車窓の広がる風景を連想しながら、旅程を組み立てて行くのです。先日行った秋田などは松山空港まで車で行き、そこから羽田を経由して秋田空港に降り立つ巻末近くの航空ダイヤを索引しますが、航空ダイヤは季節によって発着時刻が変るので注意しなければなりません。また空港へ迎えに来てもらえる地方は心配ないのですが、羽田だと東京モノレールを乗り継いで再び列車の時刻表に戻らなければなりません。こうして次から次へとページを捲りながら夢を紡いでゆくのです。この作業をインターネットは条件入力さえすれば瞬時に作業をしてくれ、出発時刻の早い順に3案を提示し、しかも金額や乗り換え待ち時間まで出るのですから大したものです。旅の不安は時間と金額ですから、その二つの大まかな予定が立つと案外安心できるのです。

 役所に勤めていた最近までは、JRの駅にに電話をしたり前回の出張で計算した旅費明細を捲りながら旅費計算をしたものですが、今ではその必要もなく正確な普通料金と特急料金が出ます。今年の春先税金の確定申告の時、始めてこの便利なシステムのお世話になって重宝しました。例えば普通私が講演に行く場合、何がしかの講演料を貰います。その講演料と旅費を合算した金額から10パーセントの税金が差し引かれて手渡し若しくは振込みとなるのですが、私はこの方法は間違っていると主張しました。だって講演料の税金は理解できますが、旅費は税金を引かれるとその分だけ赤字になるのです。旅費は必要経費だからとお話したら、要った旅費を一覧表で提出するよう求められました。旅は終わっておりそんな難しいことを言われても出来ないと思っていたのですが、何とこの作業が瞬時に出来てしまい、一覧表を提出して税務署への申告を終わりましたが、何と何とこの作業によって凄い金額が還付されたのです。還付の通知ハガキを貰った妻は大喜び、小躍りしていました。

 私の旅はまだまだ続きそうです。折角手に入れた小版の時刻表は6月号です。そんなに長い間は使えないと思いますが、駅に備え付けの大版時刻表と共にせいぜい利用して旅の夢を膨らませたいと思っています。

  「これだけの 厚みと文字で 五百円 安いものだが 間もなく古く」

  「空想を 巡らせ捲る 時刻表 駅弁・風景 人の姿が」

  「特急の 名前全てに 物語 路線を走る 夢乗せ走る」

  「カバン提げ まるでフーテン 寅のよう 今日もどこかの 駅に降り立つ」


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shin-1さんの日記

○タマネギのインテリア

 昔の田舎家は薪の風呂が多く、冬の間に薪を割りその薪を風呂場の近くにうず高く積んだ姿はどこか田舎を演出する光景でした。また夏から秋にかけて収穫したトウモロコシの皮をむいで束ね、軒先に吊るす姿は干し柿とともにどこか懐かしい子どもの頃の光景として私の目と心の残像として残っています。トウモロコシの種を買うような余裕はなかっので、春が来るとそのトウモロコシの実を丁寧に取って種として蒔いた記憶がありますし、そのトウモロコシを炒って粉に挽いてはったい粉にしたり、時にはドン豆にしたり、時にはとうきび飯にして食べたりもしました。今でこそ雑穀はヘルシー食品として見直されていますが、お米のご飯が食べたい私たちが子どもの頃はトウモロコシは憎い食べ物として「またトウモロコシか」と敬遠をしたものでした。

 先日梅雨の前に収穫したタマネギの乾燥が終わって、そのタマネギがわが家の離れにある私設公民館「煙会所」の軒先に吊るされました。例年だとこの作業は年老いた親父と私の共同作業なのですが、このところ私が忙しく家を空けるときが多かったので、親父はそのタマネギを魚網を使って自分で作った袋に入れて軒先に吊るしていました。脚立にも上がれない親父がどのようにして吊ったのかは不明ですが、今朝起きて家の周りを散歩すると綺麗に吊り下げている姿に嬉しくなってカメラを持ち出し一枚パチリと撮りました。いやあいい風景です。絵になる田舎の風景だと思いました。

(軒先のタマネギのインテリアアート)

 私設公民館「煙会所」の窓は今でも和風な障子でできています。雨風が吹き付けないように北側の障子の外にはサッシ窓をはめ込んでいますが、サッシ窓を開ければ障子の風景が出てきます。白い障子と黒い焼き杉の板塀、むき出しの軒先にタマネギの吊るした袋が加われば、これは立派なインテリアだと思うのです。

 最近はどの町へ行ってもその町やその街に個性がなくなったと感じています。勿論最近は建築的には洋風の個性的な家がどんどん増えて見る目には楽しいのですが、家は群れを成してこそ町や街なので、どこかまるで住宅展示場のような違和感を覚えたり、個性ある地域の顔がないような気がするのです。

 先日熊本県のあさぎり町への道すがら人吉駅で降りました。時間があったのでそこら辺を散策しましたが、駅の近くに阿蘇神社というそれは立派な神社の森がありました。大きな楠木群や社群はそれは見事で思わず見とれてしまいましたが、その周辺の風景はこれまた遠い少年の頃にタイムスリップしたような懐かしさを覚えました。旅先で見つけたこんな日本の原風景に突然出会うとついつい嬉しくなるのは、私の心の中に日本文化のDNAが存在するのではないかと思ったりするのです。

(残念ながら満開を見落とした盛りを過ぎたくちなしの花)

(朝日がまばゆい初夏の庭)

 毎日見ている何気ない風景のわが家の庭ですが、梅雨の晴れ間の今朝の庭にはまばゆいばかりの朝日が差し込んで何ともいえない季節感を漂わせています。この季節の移ろいを私は忙しさにかまけて毎日見忘れているのです。窓を一杯開け深呼吸をしましたが、「ああ俺は生きている」って感じのすがすがしさです。深呼吸をすると何やら芳しい匂いが漂ってきました。見ると盛りを過ぎたくちなしの花が沢山咲いていました。多分くちなしの花は冬の寒さを越えて一生懸命咲いたのでしょうが、見られることもなく、香りを感じてもらうこともなく秋の赤い実となって食用に摘み取られる運命にあるのでしょうが、この花も一枚撮りました。

 何気ない風景や何気ない季節の移ろいをもっと肌で感じ、もっと生きている実感を味わって生きて行きたいものです。

  「タマネギが 我家軒先 吊るされて ああ梅雨だなと 空を見上げる」

  「窓開け 匂いの向こうを 眺めれば 白きくちなし 既に遅しと」

  「梅雨晴れて 朝日緑を ことさらに 引き立てるよう 今朝のわが庭」

  「ああ俺は 生きてるんだと 思う朝 自分が自分に 気付く愚かさ」

 

 

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