shin-1さんの日記

○郷土に錦

 旧双海町奥東出身で東京で活躍されている人に清野茂次さんという人がいます。ふるさと大学「伊予塾」の講師として2006年6月9日に来県されリジェール松山で開かれた講演会には300人もの人が集まりました。私は出席できなかったのですが愛媛新聞で特集が組まれその一部始終が報告されました。

 その清野さんが母校である下灘小学校と下灘中学校でそれぞれ1時間ずつ児童生徒の前で講演するというので、市の上田教育長や地元出身の三徳電機社長の三井新太郎さんたちとともにお世話をさせてもらいました。私が役所在職中に一度お会いしている方だし、実家の清野家の皆さんとはご実懇にさせてもらっているので肩肘張らない同行となりました。

 シーサイド公園で待ち合わせ昼食を取った後まず下灘小学校に向かいました。校長室に案内されましたが、久しぶりに訪ねた母校の姿に感慨一入のようでした。

 池田校長先生の案内で会場となった体育館に入りましたが、50人ほどの児童数に驚いたようでしたが、児童の暖かい拍手に迎えられ、清野さんの講演が始まりました。清野さんが褒めるほど児童の聞く態度は立派で、パワーポイントを使って分り易く話すものですから、子どもたちも納得の感じでした。特に日本の国家的プロジェクトといわれる明石海峡大橋や瀬戸大橋の設計に深く関わられているため、子どもたちは講演会終了後の質問の時間も、殆どの子どもが手を挙げる盛況ぶりでした。

 また最後は望郷の思いを歌に託され、ピアノの伴奏に合わせて「みかんの花咲く丘」を児童とともに大合唱しました。

 続いて下灘中学校へ会場を移してのお話です。

 新しく赴任してこられた二宮校長先生の案内でこちらも体育館での講演となりました。清野さんは戦後の学制改革以前に小学校を卒業しているため、中学校は松山工業高校、松山南高校へ進んでいるため、残念ながら下灘中学校の卒業生ではありませんが、それでも中学生には中学生なりの少し難しい話を「おじいさんから孫たちへおくることば」と題してしてもらいました。

 文系でなく理系の人なので最も得意とする専門分野の話は聞いても分らないものなのですが、技術士らしく理路整然と分り易く話されました。
 清野さんは1933年生まれ、52年松山南高校卒、56年日本大学工学部工学科卒、58年オリエンタルコンサルタンツ入社、86年に社長、会長を経て2005年から相談役・名誉会長を務めています。建設コンサルタント業振興への貢献で97年に建設大臣表彰、04年に黄綬褒章を受けています。建設コンサルタンツ協会、日本技術士会顧問なども努めておられます。

 小さな田舎町から飛び出し、日本や世界を股にかけて活躍する郷土の生んだ逸材なのですが、やはりふるさとへの思いは相当なもので、いつも頭から離れないと述懐されていました。そのことばを裏打ちするように心がけてきた次の5つを話されました。

 心がけてきたこと

 1、自分のふるさとに誇りを持つ

 2、両親や兄弟、仲間に感謝する

 3、毎日の仕事を大切に知る

 4、日本人としての誇りを持つ

 5、いつも感謝の気持ちを忘れない

 「郷土に錦を飾る」という言葉があります。清野さんや私たちを含めて戦後の混乱した世相の中で221世紀は誰もが都会に憧れ、都会の雑踏の中に消えて行きました。一旗揚げる気持ちで出かけてものの殆どの人は挫折や失敗を繰り返しましたが、清野さんの場合は夢をたゆまぬ努力で勝ち取り大成功を収めたのです。まさに一旗揚げ、郷土に錦を飾りました。今は亡きご両親もさぞかし自慢の息子であったに違いありません。清野さんの偉さはやはり原点であるふるさとを忘れないことだと思うのです。

 この日清野さんは小学校と中学校に目的ご芳志として図書を寄付されました。やがてこの本を読んだ子どもたちが第二・第三の清野さんを目指してくれることを期待したいものです。


 講演会終了後、わが人間牧場や翠小学校を案内しふるさとささやかにを満喫していただきました。

 その夜、三井さんの肝いりで交流食談会が持たれました。

  「ふるさとに 錦を飾る 人ありて 話すことばに 苦難感じる」

  「熱心に 聞き入る児童 それぞれに 今に自分も 夢が芽生える」

  「学校に ありし銅像 金次郎 幼き頃の 思い出ダブらせ」

  「美味いね 郷土の料理 堪能し 思い出話に 花を咲かせて」


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shin-1さんの日記

○ビワの実の熟れる頃

 雨の少ない年は果物が美味いとよく言われますが、確かに今年のビワは玉太りもよく甘味も十分乗ってどれを食べても美味しいものばかりです。今年一番最初にビワを食べたのは確か先月17日でした。あれから1ヵ月近くが経過しているのに、極早生、早生、中生、晩生とそれぞれ微妙に違う品種の特性があって結構長い間その味を楽しめるのです。わが家には残念ながらビワの木がないたことが幸いし?、近所の知人友人が思い思いに持ってきてくれるのです。みかん一辺倒だったわが町も自衛本能とでもいうべきか生産の柱をみかん・晩柑・キウイフルーツ・ビワなどを組み合わせて栽培している人が多くなりました。とりわけこの10年ほどでビワの植栽や収穫量は急速に伸び、海沿いの温暖な気候を利用して新興産地となりつつあるようです。やまのあちこちには4月頃、袋を被せた美しい光景があちこちで見られるのも今様なのです。

 ところが最近はカラスがこの袋目がけて飛来し、辺りかまわず食い散らすのです。農家は折角の労作を食べられては大変と食害対策としてあの手この手を考え、ガス玉で驚かせたりビワの木にテグスを張ったりと、要らぬ労力をかけてカラスとの知恵比べをしていますが、今のところ不意打ちを得意とするカラスに軍配が上がってるようです。しかし当のお百姓さんにとってカラスの食害死活問題ですから、憎きカラスの夢を見たり時には有害鳥獣駆除という方法でお尋ね者の一掃駆除を猟友会にお願いしていますが、撃ったカラスの足を役場に持参する確認方法で調べてもまだカラスが一枚上といわざるを得ないようです。

 わが家に持ってきて貰うビワは出荷できない品質の全て2級品なのですが、味は1級品と殆ど変らないのです。ここでも買う側消費者の「見た目」の美しさが求められているようで、少し風傷のあるものや、形の悪いもの、カメムシ虫害にあったものなどいわく因縁の付いたものは製品であって商品にはならないようです。冬の寒さの中での摘果や高い木の上での袋をかける危険な作業をした成果がこれなのかと思うと、報われない苦労に感謝しながら食べない訳にはいかないのです。

 ビワは他の果物に比べ種の分量が多く、皮やヘタや種が約半分もあるのが難点だ思うのですが、それでも季節を感じる果物としては最高に美味しく、傷み足が速い果物だけに今は毎日食事代わりのような感じで楽しく食べています。

 公民館に勤めていた頃、生活改善グループの特産品開発でビワの瓶詰めの実習をしたことがあります。ビワを半分に割り中の種を取って黒く参加しないように下処理をして瓶に詰めシロップを加えて機械で栓を締め、蒸気殺菌をして出来上がった瓶詰めを何本か貰ったことがありました。何ヶ月か後に食べてみましたが美味しくいただいたし、今でも妻は瓶詰めのビワを入れた寒天ゼリーを作りますが、これも夏の涼を誘うデザートとしてわが家では親しまれています。

 台風被害、ヒョウ被害に遭った「訳ありリンゴ」や「訳あり柿」などを農家を助ける運動としてやっていて、私も地域づくりの仕事をしている関係上よく買いますし、日曜市などにはこうした産品が安値で出回ります。見た目本位から味本位や安全本位に変わって欲しいと思いつつ、相変わらず風評被害を撒き散らす庶民意識に青色吐息のこの頃です。

 今年も美味しいビワを届けていただいた農家の知人友人に感謝をしつつ、今朝も朝フルといきましょうか。

  「ビワを見ず 俺の顔見て 見た目より なんて口する 二人食卓」

  「下取りを して欲しいねと 種の量 皿に山盛り 腹はそんなに」

  「もう一個 更に一個と 食べ過ぎて ビワ腹ふくれ ご飯食べれず」

  「食前に 食べるが本当 果物は 食後デザート 太る原因」 


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