shin-1さんの日記

○梅酒の漬け込み

 人間牧場の梅林に梅の実が実り、この一週間は暇を見つけて梅の実の収穫作業をしました。選定もろくにしていない梅林ですが草だけはきちんと刈っているためいたって作業はし易いものの、梅の木の刺に阻まれ体中嫌というほど引っかき傷が出来て、何とも哀れな姿になってしまいました。それでも27日の午前中と昨日の午前中の作業で20キロのキャリーに6箱ですから120キロも収穫しました。消毒もしない無農薬無消毒の安心で安全な梅は自家消費には多過ぎてご近所へおすそ分けをして喜ばれましたが、それでもわが家は梅酒と梅干用に半分を処理しました。

 今日は午前中妻と二人で(瓶や容器を洗う作業は帰省中の娘と息子嫁が手伝ってくれましたが、まずこれまで長年にわたって漬け込んで消費しながらそのままになっている梅酒用の瓶を空ける作業から始めなければならないのです。約10本の梅酒用容器にはまだ梅酒も漬け込んだ梅もそのままで、その梅酒を漉して一升瓶に入れてゆくのです。「まどろこしいったらありゃしない」とブツブツいいながらも一升瓶に15本ほどの梅酒が完成しましたが、酒を飲まなくなって8年も経つと梅酒の中に入ってる梅を何個か食べただけで酔いが回ったようで最後はかなりきつい作業となりました。梅酒に漬け込んだ梅は本当なら料理用に活用するのですが、量が多いので結局は捨ててしまいました。「スイーツづくりをしたらこれまた美味しいものが出来るのに勿体ない」とも思いました。

 今度は容器洗いです。中も外も蓋も洗って熱湯消毒し、いよいよ洗って水切りした梅を砂糖と一緒に漬け込んでゆくのですが、これもまた梅の量を計ったり砂糖を計って交互に入れたりと中々の作業でした。それでも朝から昼間での作業で8?の梅酒用容器に9本と3l容器4本を作りました。普通梅酒は梅と砂糖と焼酎を使いますが、わが家は子どもや家族が飲むため焼酎やホワイトリカーは使わない梅ジュースと呼ぶにふさわしいノンアルコールなのです。ですからわが家の梅酒は梅酒にして梅酒にあらずとでも申せましょう。

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 さてこの梅酒の漬け込みを完了した瓶類は一体何処へ保管すればいいのか、元の場所も芸がないと妻と二人で悩んだ挙句人間牧場へ収納し熟成の時を待つのが一番という結論に達しました。昨日はあいにくの雨でしたが、軒先の仕事で妻は少し雨に濡れて水も滴るいい女になったので、私が自分の自家用車に積んでお昼時だのに昼食を食べることも忘れて運びました。水平線の家のフロアーに並べて見ましたが凄い量です。この分だと人間牧場に来られた方々に振舞う一年分は有にあるのではないかと思いました。早速押入れを片付け収納しました。深い眠りに付く梅酒を使い「新酒が出来ました。今年もコクのある美味しい梅酒を味わいに来てください」なんてイベントを考えてみようと思います。

 梅は隔年結果が激しく天候に左右されたり裏年だってあるため、一概には言えませんが、今年の春植樹した10本の梅の苗木や5本のスモモを加えると、梅酒を造る体験ツアーも企画できそうです。今年のように大豊作だと参加した方々に梅酒をプレゼントすることも可能かもしれません。私の持論ですが、「儲けなければならない農業はしんどいけれど、儲けなくてもよい農業は楽しい」いものです。せめて年金暮らしの私ぐらい儲けなくてもよい農業で仲間や社会に還元したいものです。こんなセリフを言うと妻は「それがいい」と同調はするものの、「漬け込みに必要な容器や砂糖など、思わぬ出費が家計簿を直撃する」と少し曇り顔になるようです。結果的に余った梅の処分は漁協女性部のじゃこ天のお店で働く女性の方々に20キロほどプレゼントし喜ばれました。

(水平線の家の倉庫に保管されて熟成の時を待つ事になった梅酒瓶)

  「梅酒梅 食べてほろ酔い 下戸の俺 変れば変る 嗜好の変化」

  「年代は 申年生まれの 梅酒にて 不老長寿の 妙薬ラベル」

  「あっそうだ 人間牧場 ラベル貼りゃ 素敵な梅酒 特産増える」

  「昨晩は 梅酒の寝酒 お陰かな ぐっすり四時まで 安眠楽し」

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shin-1さんの日記

○来客多し初夏の人間牧場

 昨日は双海のほたる祭りで多くの方がほたるを見に来られました。ほたるを鑑賞しようとする人、ほたる祭りのイベントを見ようとする人、翠小学校周辺の原風景を見ようとする人、ほたる市で買い物をする人、イチゴ狩りを楽しむ人などその目的はそれぞれ違いますが、その目的に少し彩りを添えようというちゃっかり組もいて、昨日は私にとって大忙しの一日となりました。そのちゃっかりはほたる祭りに来たついでにわが家と人間牧場を見学するセットメニューなのです。わが家への訪問は直ぐにでも案内や説明が出来るのですが、お陰様で8キロも離れている人間牧場へは車での案内しか出来ないものですから7回も往復しました。飛び込みでやって来た一番遠いのは東京からのお客さんで、「今晩人間牧場へ泊めて欲しい」というのです。急な申し出だったので

準備も出来ず一応丁重にお断りしたのですが、それでも人間牧場だけは見て帰りたいと夕闇迫るころせがむので7組目の締めとしてご案内しました。3人の東京組はえらい感動でビールを飲むなどして帰って行きました。

 昨日のお客さんの中で特に嬉しい出会いは2年前まで下灘小学校の校長を務めていた玉井千恵さんたちです。玉井先生は現在松山市余土小学校に赴任していますが、私が現職中は何かと気の会う仕事をしました。特に忘れられないのは「双海の子育て10の約束」なるものを考えた私の企画に賛同し、上灘中学校の窪田校長先生(現在は松山市九谷中学校勤務)や中尾先生(現在はオーストリアウィーンの日本人学校勤務)などとともにその原案のまとめ役をやってくれました。この約束は当時かなり注目を集め内外から高い評価を受けた運動だったのです。

 3日前公民館のステップアップセミナーに参加されていた玉井先生と赴任後はじめてお会いしましたが、近々人間牧場を訪ねたいとの申し出だったので、思い立ったら吉日とほたる祭りとセットの話をし、携帯電話の電話番号を教えて昨日の出会いとなりました。往年の美女?3人とともにやって来た玉井先生は、かつて3年間も勤めた下灘界隈を縫って走る細い山道を自ら運転して人間牧場へやって来ました。事故でも起こしたら大変と町道から農道に入る道は徒歩での来訪です。

 昨日は朝から降水確率30パーセント、ひょっとしたら雨が降るかも知れないという朝からあいにくの曇り空でしたが、強運な玉井先生の力でしょうか、時には日傘が要るほどの絶好の日和に恵まれ、爽やかな人間牧場を案内させてもらいました。惜しむらくは孫を連れて行っていたので足湯もお湯のサービスも出来なかったのですが、今度来られる時は自慢の女体をお湯に沈めて欲しいと願っています。

 人間牧場での過ごし方は来た人の思いを瞬時に判断しその人たちに合ったようなコーディネートをしなければなりません。中には焼肉が食いたいなどという人もやって来ますが、玉井先生グループには、「みかんの花咲く丘」などの歌をハーモニカで吹いたりして少し女性の優しさに迫ってみました。これも連れて行った孫がクワガタムシの話で多少興ざめといった感じになってしまいましたが、帰り際何度も「さようなら」という言葉をまるで山のこだまのように大きな声で呼び合う孫の姿を見て、思わず嬉しくなりました。



 人の出会いは不思議です。小さな出会いも大きな出会いもあります。また思い出に残る出会いや感化を受ける出会いだってあるのですが、再開の出会いはまた格別な意味を持っています。離れていてもなお記憶の底に残っている人との再会はこれまた何ものにも変え難い味のあるものです。一年があっという間に過ぎ去る超スピードの時代だからこそ、こうした「出会いの重ね」と「確かめ合い」が必要なのでしょう。人間の一年なんて人間牧場の隅にデンと座っている高知県馬路村魚梁瀬杉の切り株に刻んだたった一つの年輪でしかないのですから、大したことはないのです。

 玉井先生は笑顔の人です。玉井先生に会うと何か心がポカポカしてきます。人に不快の念を抱かせない、そんな人になりたいと思うのですが、私はまだまだ修行が足らないのかその領域には踏み込んでいないようです。それは生まれながらにして持ち合わせた性格ではなく、生い立ちかも知れません。100人のうち99人が反対した夕日なる化け物を日本一だと言い張った苦難の生い立ちが反骨となっているようです。でもそれは過去の生い立ちだから、捨てないといけないのでしょう。でも捨てきれないところが私の不徳なのです。玉井先生のパワーをいただいたような一日でした。

  「七回も 人間牧場 足運ぶ 何をしてるの? 地元不思議目」

  「今日ここに 泊めてくれよと せがむけど それは出来ない 断り御免」

  「ハーモニカ これが私の お接待 心ほのぼの BGMだね」

  「裏山に 椎の木あるから 羨ましい そんなウイット 人は駄洒落と」

  「知らぬのか 白色レグホン 面(尾も)白い これも駄洒落だ 俺の得意だ」 


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