shin-1さんの日記

○浦添という街で

 沖縄県那覇市の隣に浦添市という街があります。那覇から10キロもない隣の街だのに何故か片側3車線もある国道は慢性的な車の渋滞で、今日も行きも戻りも40~50分かかってしまいました。午後3時からの会合だったので、担当者がホテルに迎えに来たのが午後2時だったものですから少々イライラしました。公園が終わっての帰りはラッシュと重なり大変な混雑で、まるで東京並みでした。

 さて沖縄の町村議会議員の皆さんに、どういう話をしたらいいか迷いましたが、結局は私が夕日によるまちづくりで経験した議員さんとのやり取りや、反対を説得したエピソードなどを中心にお話しましたが、結果的には好評で、帰り際沖縄の町村議会議員で最古参といわれる80歳の議員さんから「今まで聞いた話で一番良かった」とお世辞を頂きました。お世辞でも嬉しかったので、「人間は年齢ではありません。いかに心が若いかです」と返したら、「その通りだ」と喜んでいただきました。

 今日の話の中心は「田舎嘆きの10か条」でした。沖縄の町村は離島が多く、那覇へ来るのにも大変な労量だと聞きますし、過疎化・高齢化・嫁不足・第一次産業不振という四十苦を抱える地域が多いようです。愛媛県から比べると合併への取り組みが遅れていて、町村の数は31だそうですが、私の前に後援した沖縄県市町村課長さんの講演内容がスピーカーで流れておりましたが、合併の参考パターンが資料に載っていました。

 こんな場所で余り合併の話をすると差しさわりがあるので封印しましたが、私は今でも合併に対する疑義を感じている一人ですから、聞かれれば答えたいと思っていましたが、質問の時間がなかったので、拍子抜けはしましたがホッとしています。

 普通だと3時間の話を1時間40分に早送りして少しではなく急いで早口でしゃべりました。老朽化したとはいえ市民会館ですからマイクの通りも抜群で、いい話が出来たと内心喜んでいます。議員さんの集団は30分以上の講演は持たないとある大学の先生から聞いていましたが、沖縄の町村議員さんは質が良いのか誰一人居眠りする人はいませんでした。ひょっとして私の話が良かったからなんて思ったりもしました。

 明日は愛媛へ帰ります。

  「居眠りをするはず聞いた議員さんみんな熱心驚きました」

  「田舎者そんな私の話でも海超えこの地人が集まる」

  「結局は人は石垣言ったなら名前も石垣うまい座布団」

  「夕食は最後の晩餐何食おか沖縄そばの味も恋しく」

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shin-1さんの日記

○オリンピックメダルは取りノー(トリノ)

 みんな頑張っているのに、やはり世界の壁は厚く、あれほど期待されながら今のところ金も銀も銅さえもメダルはとれない日本勢、どうしたといいたくなりますが、これも仕方がないことなのでしょう。日本のウインタースポーツは欧米の歴史に比べたらそんなには古くありません。札幌や長野で冬季オリンピックが開かれて随分メジャーなスポーツになりましたが、検討したカーリングなどはまったくスポットの当たらない地味なスポーツでした。あるクイズ番組でおじちゃんが「モーニング娘は知っているが、カーリング娘は知らない」といって大爆笑になるくらいの知名度なのです。

 しかし日本人は「土壇場でメダルが」と淡い期待を抱いています。安藤、荒川、村主の3人娘が挑むフィギアスケートに関心が集まっています。私も今日ホテルの部屋でテレビに釘付けでした。パンツ丸出しといったら怒られますが、氷上で繰り広げられる躍動感あふれる演技はまさに芸術といっていい技でしょう。

 競技は必ず相手がいます。100メートルのように相手と競争してどちらが早いか競うのは私たち凡人にも一目瞭然で分かりますが、競技といいながら与えられた時間を自分が演出し、人の主観が審査する演技は、何がよかって何が悪かったの正直分からず、演技が終わってからスロービデオをまわして解説者の解説がないと分かりません。だから演技が終わって点数が表示されるまでの時間に、演技が終わった競技者の表情は安堵感と期待と不安が交錯し見ごたえがあります。

 今のところ上位に食い込んでいますが、いい結果、つまりメダルが欲しいですね。

 メダルを取ったあとのインタビューに応じたセリフも後々まで伝えられます。「今まで生きてきた中で一番うれしい」「自分で自分を褒めてあげたい」「めちゃ悔しい」などは若さが故の直感的な言葉だと思いますが、やはり心に残ります。

 それにしてもメダルこそ逸したもののカーリング娘の爽やかさは、何といってもトリノオリンピックの大きな話題の1つです。帰ったら他の成績が今一だっただけに、脚光を浴びそうです。

  「メダル取りノーと感じるもどかしさそれでも爽やかカ-リン娘」

  「オリピンは四年に一度と思いきや夏冬交互で二年に一度」

  「雪のない街で雪見る不思議さよ世界は狭くなったものです」

  「村主と書いてすぐると読めという世の中珍名沖縄ザラに」

 

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shin-1さんの日記

○愛媛のみかんは美味い

 今朝の朝食はホテルでバイキング方式でした。洋食と和食の2ルートがあって、和食派の私はいつものようにご飯と味噌汁を選びました。最近はどこへ行っても同じように納豆が出て同じように生卵と味付け海苔です。私の場合はコーヒーも飲めないので野菜と果物にヨーグルトそれにトマトジュースを禁煙席に運びました。梅干も魚の塩焼きもあるので、ぱんぷ苦になるほど平らげたたべ少しエネルギーがオーバー気味なので昼食は控えようと思っています。

 沖縄といえばこのごろタンカンとパイナップルですが、果樹王国である日本一のみかん産地としては少々物足りない果物の味でした。特にいつも思うことはグレープフルーツは一体何が美味いんだろうと疑問を投げかけます。タンカンとパイナップルが特産品ならばもっと完熟したのを出せばいいと思うのですが、今日のフルーツでは沖縄のPRにはなりませんし、買って帰ろうという気分になりませんでした。パイナップルはやはり缶詰の方が美味しく感じます。

 タンカンはオレンジ系の果物ですが、第一外観が悪いです。果物は見た目より味という風潮もいい傾向だと思うのですが、愛媛ではこの外観だと放任園の雑柑で誰も見向きもしないし売れません。

 この頃になると我が家には晩成のみかんや伊予柑やポンカン類の雑柑が沢山届くようになりました。朝フル会の清水さんが自慢するだけあってこれらのかんきつ類を食べていると何だか幸福になったような錯覚さえ覚えるのです。我が家でも双美町の特産品といわれる煮干とみかん類は全国の仲間に送られ、夕日とともに好評を博しています。農協が一時全量出荷の方針を打ち出し、「美味しいけど買えない」という苦情がありましたが、今では脱農協の人たちが中心になって「顔の見えるみかん」と称して夕焼け市などではんばいしています。

 3日前、群馬県から視察がやって来ました。私が案内する姿を見て、夕焼け市のおばちゃんはわざわざ見ず知らずの群馬の人にみかんを一袋「遠いところからご苦労様」お差し上げるのです。結果はどうなったでしょう。視察が終わって帰り際、視察者たちは「あんな美味しいみかんだったら」と買い求め宅配便で送ることになりました。「若松さん、あなたのお陰でみかんが大分売れました。」と感謝されたのですが、私は「いえいえ私の力ではありません。あなたが視察者にみかんを差し上げたからですよ。損をして得を取るとはこのことなんですよ」と言ったら、また帰り際に美味しいみかんを頂きました。

 昔は籠にいっぱい、手のひらが黄色くなるまで食べたものです。今はこんなに美味しいみかんがいっぱいあるのに、愛媛の人はなぜか食べません。「太るから」だって、「じゃあお肉やジュースやケーキを減らせばいいじゃあないですか」と反論します。今年のみかんは美味しいです。あなたも食べて健康になりましょう。

  「沖縄で食べたタンカンより美味い我が家のみかん日本一かも」

  「絞りたてみかんのジュース喜んで飲む孫やはり元気です」

  「タクシーのラジオ流れる懐かしさ知り人投稿こんな所で」

  「旅に出ていつも思うはふるさとの人海夕日花に食べ物」

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shin-1さんの日記

○修学旅行とおばさん旅行

 今は旅行業界はシーズンオフと思いきや、沖縄の何処へ行っても修学旅行とおばさん旅行の集団に出会います。昨晩は久しぶりに交際通りを歩きましたが、一見修学旅行と分かる集団が街中を闊歩していました。修学旅行といえば何といっても「安い」です。昔の修学旅行は大きな部屋に足の踏み場もないほど布団が敷かれ、枕を並べて枕投げなどをして遊んだものです。しかしつい最近の修学旅行はそんな大部屋を持っているホテルはありませんから個室なのです。この季節はシーズンオフでホテルや観光業者にとってみたら修学旅行は救世主のような物で大助かりなのです。したがって多少割安な料金で、多少サービスを落すのです。

 街中を歩く高校生を見て思うのですが、服装が何となくだらしない感じがします。スカートの短さはその時代の風潮ですから気にはなりませんが、それにしても制服の下からシャツを出し、それでも顔には薄めの化粧をしている姿からはもう大人の風格です。でも考えや行動は全く幼稚で、国際通りを我が物顔で歩く姿に、今年の成人式にこの国際通りで暴れた新成人の姿をダブらせました。

 高校生の間を元気に歩くおばさん集団を何組も見つけました。金と暇のあるおばちゃん集団は、旅の恥は掻き捨てのような行動をするし、お土産は行く先々で宅配便扱いです。大勢の力を借りて値切りまくり、『お客さんかないませんなあ」と定員を呆れさせていました。

 沖縄名物のちんすこうの試食箱は空になるほど食べまくり、泡盛もまるで酒盛りかと思うほどに飲みまくり、買うのかと思えば平気で飲み逃げです。多分今晩は食事に繰り出し、そんなやり取りをあたかも殊勲のように酒の肴にするのでしょう。

 人のことをどうこうは言えません。かくいう私の妻も今ごろ北海道の大通りに繰り出し、同じようなことをやっていると思うとぞっとします。ああなげかわしやおばさん集団です。

 青森から来た夫婦連れに会いました。今年の3月で定年退職だそうで、退職記念に暖かい沖縄旅行を選んだそうです。偶然にも同じホテルだったようで、今朝朝食会場で同席して、退職後の感想を聞かれました。「話せば長い事ながら」ではありませんでしたが、こんなほのぼの旅行もいいもんだと思ったものです。

 旅か旅行か、その方法は色々ありますが、観光カリスマの私としては経済効果の上がる旅行より、目的をもった心の選択が出来る旅に、日本もそろそろギアチェンジしないとダメですね。

  「泡盛をあれもこれもとはしごするおばちゃん顔をすっかり赤らめ」

  「高校生シャツを出してる入れなさいあんたは古いこれはおしゃれだ」

  「試食箱ないよと店員大慌て買うか思えば隣の店に」   

  「憧れて沖縄くんだり来たと言う退職記念の夫婦ほのぼの」

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shin―1さんの日記

○私のスケジュール

 市町村合併というきっかけを機に仕事を辞めて間もなく一年が来ようとしています。35年間終身雇用のような大河の流れの中に、何のためらいもなく身をおきながら生きてきた私にとっっても、また私の周りの家族にとっってもその事実は大きな変化でした。冠や裃を取ったとき本当の人間の値打ちが決まるなどと豪語して望んだ「自由と」いう名の生き方でしたが、大きな不安もありました。無職ということ、家計を支えるということ、家にいるということ、健康ということなどなど、日々の暮らしの支えがない人間の心境は相当なプレッシャーでした。でもこの一年、すぎてしまえば何ていうこともなく、むしろ前にもまして忙しく振舞う私を見て、一番身近な妻が一番安堵しているのではないかと思えるのです。無職という肩書きも大学や旧町のご配慮で非常勤講師や夕日のミュージアム名誉館長という適当な役職を適当に使い分けています。給料はなくなったけど年金生活までの2年間、勤めてくれる妻の紐になりながら基礎年金で飢えもせず持ちこたえられました。家では濡れ落ち葉も家でゴロゴロすることもなくこれまた適当に外に出て過ごしています。また心配された健康も2ヶ月に一度の健康診断結果も上場で、お医者さんからは次の健康診断までの賞味期限を約束してもらえるなど、前にもまして元気になりました。

 自分の家の中にいると自分を見失う恐れがあるので、家から最も遠い沖縄に来たことを契機に、自分の一年を総括し、これからの行き方をあれやこれやと考えてみました。今回沖縄の旅に出る間際、ある友人が『若松さん再三沖縄へ行っているようですが、ライブドア関係の人が沖縄のホテルで遺書も残さず自殺したことが週刊誌に載っていましたが、あなたもそんな旅ではないんでしょうね」と唐突に聞かれました。彼は「いやこれは冗談ですよ」と打ち消しましたが、私はそれほど弱い人間ではありません。それでも余り深刻に考えると、そんなことも連鎖しますので、総括はこの辺で止めて起きます。

 さて、私のただ今のスケジュールは自由人といいながら大変混み合っています。私のような人間にも話が聞きたいと講演依頼が舞い込んできます。4月に自由人になったのを機に「1ヶ月に1週間、まとめて休む」を宣言してスケジュールを調整していたのですが、いかんせん秘書たる人もいないので、結局は以前と同じような忙しさです。

 最近多くなっったのが執筆です。私はどちらかというと人の前で話す講演より文章を書くほうが好きですから、原稿依頼は別に苦にならないのですが、それでもいい原稿を書こうとするとそれなりに読み、それなりに社会の動きに敏感でないとダメです。ブログでパソコン文章作りも随分なれて早くなったので大助かりです。最近は昔に戻って少し長めの原稿も書くようになりました。お陰で旅先では本屋へ入る機械が多くなり、本代もかなりかさみます。家の書斎は本に囲まれています。

 講演ともの書き、それに自治会の世話の合間に人間牧場もやらなけらばならない。ああ、やっぱり私のスケジュールは今日も積んできます。

  「予定表持たずに沖縄来たものの携帯かかっって講演依頼」

  「午前中予定空いてるラッキーとホテルのロビーでブログ記事書く」

  「辞めた春辞めて一年再びに巡りて日々の何と早きか」

  「近頃は何処のホテルもパソコンに向かう人あり時代変わった」

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shin―1さんの日記

○沖縄は暖かい

 一年中で最も寒いと言われる2月のこの季節に難と2回も沖縄を訪れるなんてとてもラッキーです。今日は昨日の雨とは打って変わって日本全国が好天に恵まれ、愛媛県松山市から福岡経由で沖縄に入りましたが、四国九州の上空は快晴で、飛行機の窓からは眼下に阿蘇山の全景、雲仙や霧島、そして桜島、屋久島、奄美大島がまるで手に取るように見えました。これらの地域は全て陸上から訪ねた町なので様々な思いが去来しました。特に奄美大島の瀬戸内町上空からは2度も訪ねた加計呂間島の全容が見えて感激しました。今は町会議員となったと風の噂で聞いた池田啓一くんは元気なのだろうかと顔を思い出しました。彼は昨年私との交流の証としてデイゴの木を二本も送ってもらい、その木もふたみシーサイド公園で元気に育っています。

 沖縄に降り立つと2週間前とは違った季節の変わり目を感じました。道行く人の中には早くも半そでに半ズボンの人もいて、「ああ南国だなあ」と感じました。

 昨晩沖縄から電話がかかりました。それというのも前回の沖縄旅行で知り合った民芸酒場かりゆしの弘子さんという女性と知り合った時、「今度沖縄に行くから」と酒の勢いで皆が無責任な話をしていたものですから、律儀にも会う算段となりました。何せ沖縄の夜の町での出来事ですので店の位置もうろ覚えでしたが、記憶の糸を手繰りつつお店を訪ねました。あいにく彼女はまだお店には顔を出してなく、懇親会の途中だったので、顔を合わすこともなく引き上げてきました。また地域政策研究センター研究員の兵頭さんが開発した味と言うお店も、組め郵便局を頼りに歩き続けて立ち寄りました。

 来月の3日には沖縄旅行仲間で反省会をやろうと算段しているので何が何でもであわなければと2万歩にも及ぶ徒歩となりました。

 今日はたっぷり汗をかき、たっぷり沖縄を堪能した一日でした。明日はいよいよ私を招いた沖縄県町村議長会の講演会です。頑張っていきまっしょい。

  「沖縄は暦の上では日本じゃないだって半そでこれほどいるもの」

  「沖縄はみんな元気だ底抜けに酒が入れば踊り口笛」

  「はて私何処へ何しに問われても相手分からず携帯のみで」

  「二週間前に来たのにはや忘れ店の位置など思いも出せず」

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shin-1さんの日記

 ○どこかで春が生まれてる  我が家にもようやく春の気配が漂ってきました。冬の寒さから池で飼っている鯉を守ろうと、12月頃に池の上へどこかで頂いた窓ガラスサッシで囲っていたのを親父さんは取り払いはじめました。冷たい水を張った池の中のことだから、ましてやここ四国では水に氷な張らないのだから、何もそんなことしなくてもというのですが。、私のことなどには聞く耳を持たずせっせとやってしまうのです。それは金沢の兼六公園の雪つりにも似た年間のわが家の風物詩として、どうせ私など手伝わないのだから温かく見守りましょうとばかりにほっておきました。池に置いたガラス戸サッシはさすがに重く、手伝ってくれという始末です。左様に頑固者の親父と頑固者の息子では、二人は親子かしらと思うほどに意見の食い違いが見られるのです。 しかし妙なもので、ガラス戸を張っていた時は身じろぎもせず池の隅に集まっていた8匹の鯉が昨日は嬉しそうに池の中を泳ぎ回っているのです。そして親父のやった浮き餌を水面に口だけを出しながら奇妙な姿で吸い込んでいるのです。鯉たちもどこかで春の足音を聞いたのでしょうか。 庭の梅の木も梅の花が満開を迎え芳しい香りを漂わせています。特に親父の作った箱庭の盆梅はそれこそ見事に花を咲かせています。 しかし、こんないい話ばかりでなく畑には早くも雑草が芽を出し始め、親父は草引きは早目が肝心とばかりに草削りに挑戦しているのです。 春といえば、今年はイワシ漁が豊漁とかで、何度か釜揚げの美味しいカタクチイワシの小さいのをいただきました。酢醤油で食べるとご飯が進むし健康食とあって体の調子も良いようです。このカタクチイワシが豊漁なのは魚の世界でも歓迎されるようで、カタクチイワシを餌にするサワラが先日は沢山獲れて浜は久しぶりに活気に満ち溢れていました。お陰さまでサワラの刺身もアラだきも味わうことが出来ました。 春はもうそこまで来ています。まるでウキウキしますね。  「魚偏春を加えりゃサワラ読む漢字はつくづく旬を表す」  「おすそわけもらった三つのふきのとう春の苦味を添えて食卓」  「梅一輪鼻にそっと近づけて匂い楽しむ春の夕暮れ」  「北寒く南は温い細長さそれでも春は駆け足のよに」

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shin-1さんの日記

 ○私の台所事情 人間の暮らしにとって台所事情とでもいうべき金銭経済は必ずついて回ります。人間誰もが持つの願望の一つに「お金持ちになりたい」というのがありますが、61年生きてきてついにはその願望も果たすことなく終わりそうです。ここで起死回生の馬や自転車、それに宝くじという手もありますが、リスクの大きさは下手をすると小銭どころかケツの毛まで持っていかれそうで出来ない貧乏人の算段です。 しかしものは考えようでチャップリンのライムライトのように、人生は金銭経済だけでは成り立たず、日々の暮らしを成り立たせるささやかな蓄えさえあれば良いのだと自分に言い聞かせれば、たとえ富を築いた人と出会っても別に萎縮することもなく対等に対峙できるのです。 私はこの30年間、日本銀行の中にある金融広報委員会から委嘱を受けた金融広報推進員をやっています。お金のない私がなぜこんな重要な大役を引き受けているか自分でも不思議に思うことがあります。でも私は私なりに推進員の仕事である金融情報の広報、金銭教育の推進、生活設計の普及などに努めてきました。健康の貯蓄、金銭の貯蓄、知識の貯蓄、人間関係の貯蓄を四葉のクローバーに見立て、私は感動の貯蓄を加えて五つ葉の貯蓄を訴えてきました。 結果的に人にはそれほどのことが伝えられなかったものの、私の生き方を大きく変えてくれました。いつの時代も「入るを知りて出るを考える」という極めて単純なことが分かったのです。10万円しか月収がなかったら9万円の生活をすれば1万円貯蓄が出来ます。ところが30万円と3倍の月収があっても31万円の生活をしたら月々1万円の借金が出来るのです。こんな単純計算が出来ない人がこの世の中には余りにも多く、結果的にサラ金に追い回されたり、競輪競馬で大穴どころか落とし穴に入る人が沢山いるのです。 私は昨年退職し、今年の秋にならないと年金の支給が始まりません。妻はそのことをしっかり承知して5年前から生活設計を立て、私もそのつもりで金を使わない訓練をしてきました。人間牧場の構想もその結果が生んだ新しい錬金術といえるでしょう。若松進一という私個人の台所は人間牧場の建設によって底をつきかけましたが、それでもライムライトのような生き方が出来るのは、我が家の大蔵大臣のお陰です。  「金持ちは死ねばら必ずもめてます俺が死んでもわが家もめない」  「生活のやり方次第で足すか引くこんな単純分らぬ馬鹿も」  「大穴を当てるつもりが落とし穴同じ穴でも穴の深さが」  「顔形生きてゆくには要らぬもの財布扱い出来るが美人」

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shin-1さんの日記

 ○私の限界 人間には日々の暮らしの中で、毎日やることが必ずあります。3食食べることや寝ること、仕事をすることなどはこの世の中に生きていく上で、余程の人でない限り誰もがやる日常的行動なのです。そんな行動に例えば朝散歩をすることや読書をするなど、自分が決めたことをプラスして生きると日々の暮らしが充実して人生の生きがいに通じるのです。しかしあれもやりたいこれもやりたいと欲張り過ぎるとかえってそのことが重荷になったり個々のやることがちゅうとはんぱになったりして、いい結果が出ないものです。 誰もが一度や二度の挫折経験を味わっている「日記を毎日つける」という正月の目標も、以外と続かないものなのです。年末にたまたま立ち寄った本屋で見つけた日記帳との出会いだけの単純な動機では、一ヶ月はおろか三日坊主が落ちなのです。 私も日記記帳については随分苦い経験を持っています。字のまずい私は、そのことを克服しようと日記に挑戦したことがあります。しかし結果は自分で書いた日記帳の文字を見てはため息、文章の不味さを見てはため息、書かなかった空白ページを見てはため息の連続でした。年末の大掃除では書かなかった分厚い日記の処分に困り、書いたページを破ってゴミに出したものです。 私の日課はそんな反省もあってか「続けることが何よりも一番」と一年、十年というとりあえずの目標を立てて事に当りました。そしてその目標が達成すると止めるという決断をして、また新しい目標を立てるのです。 私の成果を列記すると、まずシーサイド公園の早朝掃除を朝5時から8時までの3時間、毎日12年間続けました。それから毎日3枚のハガキを書いたら人生が楽しくなるという言葉を信じて毎日3枚のハガキを書いています。これは現在も進行形で新しい年が明けましたので何と19年目に突入しています。早朝掃除とハガキは私に勇気と成果をもたらしました。掃除のお陰で観光カリスマ百選にも選ばれたし、ハガキによって夕日の宣伝や人の出会いが広がりました。ハガキは当面の目標を10年と決めていましたので、私にとって19年という倍の数字は驚異的な成果です。でもやはり20年を区切りに毎日一枚くらいにしないと・・・・と限界を感じるようになっています。それはブログとの出会いでパソコンと向き合う時間が大幅に増えたからに他なりません。私の暮らしもハガキというアナログからパソコンというデジタル時代へと突入したのです。ここにきてやっと時代遅れが解消し、遅まきながら現代社会とのコミュニケーションがとれ始めたのです。 人生の限界が視界に入りつつある還暦を過ぎた私には時間やノルマに追いまくられる日々は充実より疲れを感じる、ここにきて始めての弱音です。「私の限界とは」、これが今年のテーマかも・・・・・・。  「限界を感じず生きたこれまでにそろそろ別れ心の葛藤」  「テレビさえ間もなくデジタル私にもギアのチェンジその時期来る」  「もういいと自分自身に言い聞かせ筆を折るかやハガキ三枚」  「第一は健康体いたわりて余生に春の日差し優しく」 

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shin-1さんの日記

 ○お父さん元気ですか  先ほど雪の北海道へ旅に出た妻から電話が入ってきました。「お父さん元気ですか」、電話を取るなりの開口一番の言葉でした。「お前の夫であってもお前のお父さんではない」と冷やかし半分に答えましたが、やはり旅先でも私とじいちゃんと息子のことは気になるらしく、やれ「食事は何を食べたか、風呂は沸かしたか、ゴミは水曜日だから出すように」とか、「そんなに気になるんだったらいっそのこと旅行なんかに行くな」といってやりたいほどの気遣いです。息子とじいちゃんは炊事や洗濯が出来るのですが、私は忙しさにかまけて何にもしないから気になるのでしょう。ちょっぴりうるさく、ちょっぴり嬉しい電話でした。 妻の電話を取りながら、ふと自分が旅先でかける電話のことを思い出しました。私は妻のように長電話はしません。まさに「一筆啓上火の用心おせん泣かすな馬肥やせ」の類の最も短い電話ではないかと思うのです。「そちらの天気はどうか、明日は○○ころ帰る。夕食は帰ってから食べる」くらいで、妻が「今何処、今日は何をしたの」何て聞こうものなら、今は手が離せないので切る」で終わりなのです。 携帯電話の普及で出張先で「いくら電話してもかからない」なんてことはなくなりましたが、電話が人間について歩くのですから逃げ場がないのです。 それにしても不思議なもので、妻は温かいといわれる四国から雪の北海道へ、夫の私は明日から桜咲く南の沖縄というのですから、性格の不一致もいいところです。妻は職場や仲間、家族、近所のため例によって今回も手に持てないほどのお土産を買ってくることでしょう。方や私は気軽・身軽の旅ですから普通一つのカバンがふたつになったくらいの変化です。一週間前沖縄へ行って下準備も出来ているので、迷うこともなくホテルや研修会場に着くことでしょう。今晩の天気予報によると明日は全国的に好天に恵まれて春の陽気になるそうです。勿論北へ旅に出た妻の方も、こちらのぐずついた天気とは対照的に好天だと、さも自分が天気女のような言い方を電話でして来ました。 今日は就学前の人権集会に出かけたり、執筆の依頼原稿をメールで送ったり、また大学の非常勤講師として学生の評点表を作成して送ったりと忙しい一日となりました。原稿の締め切りが近づいた原稿がまだ3件残っていますが、とりあえず今日はこれにて一件落着です。鬼の霍乱とでも行きましょうか。  「鬼は外福は内なる妻の留守そんな気分は既に終わった」  「元気かと留守を気遣う長電話旅など行くなと言ってやりたい」  「一人でも妻がいないと家の中ガランと広く静けさ 感じる」  「たまに見る雪は綺麗であるけれど雪の重さは今年格別」 

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