shin―1さんの日記

○私のスケジュール

 市町村合併というきっかけを機に仕事を辞めて間もなく一年が来ようとしています。35年間終身雇用のような大河の流れの中に、何のためらいもなく身をおきながら生きてきた私にとっっても、また私の周りの家族にとっってもその事実は大きな変化でした。冠や裃を取ったとき本当の人間の値打ちが決まるなどと豪語して望んだ「自由と」いう名の生き方でしたが、大きな不安もありました。無職ということ、家計を支えるということ、家にいるということ、健康ということなどなど、日々の暮らしの支えがない人間の心境は相当なプレッシャーでした。でもこの一年、すぎてしまえば何ていうこともなく、むしろ前にもまして忙しく振舞う私を見て、一番身近な妻が一番安堵しているのではないかと思えるのです。無職という肩書きも大学や旧町のご配慮で非常勤講師や夕日のミュージアム名誉館長という適当な役職を適当に使い分けています。給料はなくなったけど年金生活までの2年間、勤めてくれる妻の紐になりながら基礎年金で飢えもせず持ちこたえられました。家では濡れ落ち葉も家でゴロゴロすることもなくこれまた適当に外に出て過ごしています。また心配された健康も2ヶ月に一度の健康診断結果も上場で、お医者さんからは次の健康診断までの賞味期限を約束してもらえるなど、前にもまして元気になりました。

 自分の家の中にいると自分を見失う恐れがあるので、家から最も遠い沖縄に来たことを契機に、自分の一年を総括し、これからの行き方をあれやこれやと考えてみました。今回沖縄の旅に出る間際、ある友人が『若松さん再三沖縄へ行っているようですが、ライブドア関係の人が沖縄のホテルで遺書も残さず自殺したことが週刊誌に載っていましたが、あなたもそんな旅ではないんでしょうね」と唐突に聞かれました。彼は「いやこれは冗談ですよ」と打ち消しましたが、私はそれほど弱い人間ではありません。それでも余り深刻に考えると、そんなことも連鎖しますので、総括はこの辺で止めて起きます。

 さて、私のただ今のスケジュールは自由人といいながら大変混み合っています。私のような人間にも話が聞きたいと講演依頼が舞い込んできます。4月に自由人になったのを機に「1ヶ月に1週間、まとめて休む」を宣言してスケジュールを調整していたのですが、いかんせん秘書たる人もいないので、結局は以前と同じような忙しさです。

 最近多くなっったのが執筆です。私はどちらかというと人の前で話す講演より文章を書くほうが好きですから、原稿依頼は別に苦にならないのですが、それでもいい原稿を書こうとするとそれなりに読み、それなりに社会の動きに敏感でないとダメです。ブログでパソコン文章作りも随分なれて早くなったので大助かりです。最近は昔に戻って少し長めの原稿も書くようになりました。お陰で旅先では本屋へ入る機械が多くなり、本代もかなりかさみます。家の書斎は本に囲まれています。

 講演ともの書き、それに自治会の世話の合間に人間牧場もやらなけらばならない。ああ、やっぱり私のスケジュールは今日も積んできます。

  「予定表持たずに沖縄来たものの携帯かかっって講演依頼」

  「午前中予定空いてるラッキーとホテルのロビーでブログ記事書く」

  「辞めた春辞めて一年再びに巡りて日々の何と早きか」

  「近頃は何処のホテルもパソコンに向かう人あり時代変わった」

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