shin―1さんの日記

○沖縄は暖かい

 一年中で最も寒いと言われる2月のこの季節に難と2回も沖縄を訪れるなんてとてもラッキーです。今日は昨日の雨とは打って変わって日本全国が好天に恵まれ、愛媛県松山市から福岡経由で沖縄に入りましたが、四国九州の上空は快晴で、飛行機の窓からは眼下に阿蘇山の全景、雲仙や霧島、そして桜島、屋久島、奄美大島がまるで手に取るように見えました。これらの地域は全て陸上から訪ねた町なので様々な思いが去来しました。特に奄美大島の瀬戸内町上空からは2度も訪ねた加計呂間島の全容が見えて感激しました。今は町会議員となったと風の噂で聞いた池田啓一くんは元気なのだろうかと顔を思い出しました。彼は昨年私との交流の証としてデイゴの木を二本も送ってもらい、その木もふたみシーサイド公園で元気に育っています。

 沖縄に降り立つと2週間前とは違った季節の変わり目を感じました。道行く人の中には早くも半そでに半ズボンの人もいて、「ああ南国だなあ」と感じました。

 昨晩沖縄から電話がかかりました。それというのも前回の沖縄旅行で知り合った民芸酒場かりゆしの弘子さんという女性と知り合った時、「今度沖縄に行くから」と酒の勢いで皆が無責任な話をしていたものですから、律儀にも会う算段となりました。何せ沖縄の夜の町での出来事ですので店の位置もうろ覚えでしたが、記憶の糸を手繰りつつお店を訪ねました。あいにく彼女はまだお店には顔を出してなく、懇親会の途中だったので、顔を合わすこともなく引き上げてきました。また地域政策研究センター研究員の兵頭さんが開発した味と言うお店も、組め郵便局を頼りに歩き続けて立ち寄りました。

 来月の3日には沖縄旅行仲間で反省会をやろうと算段しているので何が何でもであわなければと2万歩にも及ぶ徒歩となりました。

 今日はたっぷり汗をかき、たっぷり沖縄を堪能した一日でした。明日はいよいよ私を招いた沖縄県町村議長会の講演会です。頑張っていきまっしょい。

  「沖縄は暦の上では日本じゃないだって半そでこれほどいるもの」

  「沖縄はみんな元気だ底抜けに酒が入れば踊り口笛」

  「はて私何処へ何しに問われても相手分からず携帯のみで」

  「二週間前に来たのにはや忘れ店の位置など思いも出せず」

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shin-1さんの日記

 ○どこかで春が生まれてる  我が家にもようやく春の気配が漂ってきました。冬の寒さから池で飼っている鯉を守ろうと、12月頃に池の上へどこかで頂いた窓ガラスサッシで囲っていたのを親父さんは取り払いはじめました。冷たい水を張った池の中のことだから、ましてやここ四国では水に氷な張らないのだから、何もそんなことしなくてもというのですが。、私のことなどには聞く耳を持たずせっせとやってしまうのです。それは金沢の兼六公園の雪つりにも似た年間のわが家の風物詩として、どうせ私など手伝わないのだから温かく見守りましょうとばかりにほっておきました。池に置いたガラス戸サッシはさすがに重く、手伝ってくれという始末です。左様に頑固者の親父と頑固者の息子では、二人は親子かしらと思うほどに意見の食い違いが見られるのです。 しかし妙なもので、ガラス戸を張っていた時は身じろぎもせず池の隅に集まっていた8匹の鯉が昨日は嬉しそうに池の中を泳ぎ回っているのです。そして親父のやった浮き餌を水面に口だけを出しながら奇妙な姿で吸い込んでいるのです。鯉たちもどこかで春の足音を聞いたのでしょうか。 庭の梅の木も梅の花が満開を迎え芳しい香りを漂わせています。特に親父の作った箱庭の盆梅はそれこそ見事に花を咲かせています。 しかし、こんないい話ばかりでなく畑には早くも雑草が芽を出し始め、親父は草引きは早目が肝心とばかりに草削りに挑戦しているのです。 春といえば、今年はイワシ漁が豊漁とかで、何度か釜揚げの美味しいカタクチイワシの小さいのをいただきました。酢醤油で食べるとご飯が進むし健康食とあって体の調子も良いようです。このカタクチイワシが豊漁なのは魚の世界でも歓迎されるようで、カタクチイワシを餌にするサワラが先日は沢山獲れて浜は久しぶりに活気に満ち溢れていました。お陰さまでサワラの刺身もアラだきも味わうことが出来ました。 春はもうそこまで来ています。まるでウキウキしますね。  「魚偏春を加えりゃサワラ読む漢字はつくづく旬を表す」  「おすそわけもらった三つのふきのとう春の苦味を添えて食卓」  「梅一輪鼻にそっと近づけて匂い楽しむ春の夕暮れ」  「北寒く南は温い細長さそれでも春は駆け足のよに」

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shin-1さんの日記

 ○私の台所事情 人間の暮らしにとって台所事情とでもいうべき金銭経済は必ずついて回ります。人間誰もが持つの願望の一つに「お金持ちになりたい」というのがありますが、61年生きてきてついにはその願望も果たすことなく終わりそうです。ここで起死回生の馬や自転車、それに宝くじという手もありますが、リスクの大きさは下手をすると小銭どころかケツの毛まで持っていかれそうで出来ない貧乏人の算段です。 しかしものは考えようでチャップリンのライムライトのように、人生は金銭経済だけでは成り立たず、日々の暮らしを成り立たせるささやかな蓄えさえあれば良いのだと自分に言い聞かせれば、たとえ富を築いた人と出会っても別に萎縮することもなく対等に対峙できるのです。 私はこの30年間、日本銀行の中にある金融広報委員会から委嘱を受けた金融広報推進員をやっています。お金のない私がなぜこんな重要な大役を引き受けているか自分でも不思議に思うことがあります。でも私は私なりに推進員の仕事である金融情報の広報、金銭教育の推進、生活設計の普及などに努めてきました。健康の貯蓄、金銭の貯蓄、知識の貯蓄、人間関係の貯蓄を四葉のクローバーに見立て、私は感動の貯蓄を加えて五つ葉の貯蓄を訴えてきました。 結果的に人にはそれほどのことが伝えられなかったものの、私の生き方を大きく変えてくれました。いつの時代も「入るを知りて出るを考える」という極めて単純なことが分かったのです。10万円しか月収がなかったら9万円の生活をすれば1万円貯蓄が出来ます。ところが30万円と3倍の月収があっても31万円の生活をしたら月々1万円の借金が出来るのです。こんな単純計算が出来ない人がこの世の中には余りにも多く、結果的にサラ金に追い回されたり、競輪競馬で大穴どころか落とし穴に入る人が沢山いるのです。 私は昨年退職し、今年の秋にならないと年金の支給が始まりません。妻はそのことをしっかり承知して5年前から生活設計を立て、私もそのつもりで金を使わない訓練をしてきました。人間牧場の構想もその結果が生んだ新しい錬金術といえるでしょう。若松進一という私個人の台所は人間牧場の建設によって底をつきかけましたが、それでもライムライトのような生き方が出来るのは、我が家の大蔵大臣のお陰です。  「金持ちは死ねばら必ずもめてます俺が死んでもわが家もめない」  「生活のやり方次第で足すか引くこんな単純分らぬ馬鹿も」  「大穴を当てるつもりが落とし穴同じ穴でも穴の深さが」  「顔形生きてゆくには要らぬもの財布扱い出来るが美人」

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shin-1さんの日記

 ○私の限界 人間には日々の暮らしの中で、毎日やることが必ずあります。3食食べることや寝ること、仕事をすることなどはこの世の中に生きていく上で、余程の人でない限り誰もがやる日常的行動なのです。そんな行動に例えば朝散歩をすることや読書をするなど、自分が決めたことをプラスして生きると日々の暮らしが充実して人生の生きがいに通じるのです。しかしあれもやりたいこれもやりたいと欲張り過ぎるとかえってそのことが重荷になったり個々のやることがちゅうとはんぱになったりして、いい結果が出ないものです。 誰もが一度や二度の挫折経験を味わっている「日記を毎日つける」という正月の目標も、以外と続かないものなのです。年末にたまたま立ち寄った本屋で見つけた日記帳との出会いだけの単純な動機では、一ヶ月はおろか三日坊主が落ちなのです。 私も日記記帳については随分苦い経験を持っています。字のまずい私は、そのことを克服しようと日記に挑戦したことがあります。しかし結果は自分で書いた日記帳の文字を見てはため息、文章の不味さを見てはため息、書かなかった空白ページを見てはため息の連続でした。年末の大掃除では書かなかった分厚い日記の処分に困り、書いたページを破ってゴミに出したものです。 私の日課はそんな反省もあってか「続けることが何よりも一番」と一年、十年というとりあえずの目標を立てて事に当りました。そしてその目標が達成すると止めるという決断をして、また新しい目標を立てるのです。 私の成果を列記すると、まずシーサイド公園の早朝掃除を朝5時から8時までの3時間、毎日12年間続けました。それから毎日3枚のハガキを書いたら人生が楽しくなるという言葉を信じて毎日3枚のハガキを書いています。これは現在も進行形で新しい年が明けましたので何と19年目に突入しています。早朝掃除とハガキは私に勇気と成果をもたらしました。掃除のお陰で観光カリスマ百選にも選ばれたし、ハガキによって夕日の宣伝や人の出会いが広がりました。ハガキは当面の目標を10年と決めていましたので、私にとって19年という倍の数字は驚異的な成果です。でもやはり20年を区切りに毎日一枚くらいにしないと・・・・と限界を感じるようになっています。それはブログとの出会いでパソコンと向き合う時間が大幅に増えたからに他なりません。私の暮らしもハガキというアナログからパソコンというデジタル時代へと突入したのです。ここにきてやっと時代遅れが解消し、遅まきながら現代社会とのコミュニケーションがとれ始めたのです。 人生の限界が視界に入りつつある還暦を過ぎた私には時間やノルマに追いまくられる日々は充実より疲れを感じる、ここにきて始めての弱音です。「私の限界とは」、これが今年のテーマかも・・・・・・。  「限界を感じず生きたこれまでにそろそろ別れ心の葛藤」  「テレビさえ間もなくデジタル私にもギアのチェンジその時期来る」  「もういいと自分自身に言い聞かせ筆を折るかやハガキ三枚」  「第一は健康体いたわりて余生に春の日差し優しく」 

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