人間牧場

〇線香を手向けに
 新型コロナの感染拡大で葬式事情がすっかり様変わりして、蜜を避けた少人数の家族葬が主流となりました。出歩いたり風の噂で、亡くなった人の情報がいち早く入っていましたが、今は新聞のお悔やみ欄に載せない人もいて、不義理を囲っています。

 下灘の親父の従兄弟の奥さんが、昨年11月に亡くなっていたことを知りました。親父やおふくろの葬儀の時香典を貰ったり葬儀に参列してもらっている義理もあるので、昨日は香典を用意し下灘のお宅にお伺いし、仏壇に線香を手向けさせてもらいました。

 短い時間でしたが、居合わせたご主人と息子さんから、晩年の故人の話や思い出話、それに葬儀後の近況話を聞きました。妻に先立たれると生活力のない夫は無力で、日々の生活は難儀だと吐露されていましたが、わが家でも長年連れ添った母親が他界してから、父親が17年間も隠居家で一人暮らしをしていた姿を見ているので、納得の手合いでした。

 あって欲しくない「もし」ものことがあって妻に先立たれたら、炊事も洗濯も食事作りも殆どやったこのない私はどうなるのだろう?と、一緒に出掛けた妻と帰り道話しましたが、歌手さだまさしさんの「関白宣言」という歌の文句ではありませんが、「お前が先に逝ってはならぬ」の心境でした。

 それにしても、新型コロナの影響で死亡や葬儀の情報を後から聞いいて、線香を手向けに出かけなければならない、こんな状態がいつまで続くのでしょう。多分私が死んでも、ごく近しい内間だけの少人数に見送られて、あの世へ旅立たなければならないようです。なんだか寂しいなあでした。

「知らなんだ こととは言えど すまされぬ 香典持って 線香手向けに」
「連れ添いが なくなり旦那 残される 生活力が ないゆえ大変」
「残されて 17年も 隠居にて 一人暮らした 親父を見てる」
「独り立ち するよう妻が 釘を刺す 明日は我が身か 考えさせられ」

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