shin-1さんの日記

〇フーテンの寅さんとのやりとり(その①)

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 昨日の夕方朝日新聞の取材で下灘駅へ行った折、市役所の松本さんが広報ふたみの縮刷版から、私が書いた昭和52年8月1日付の候補をコピーして持って来てくれました。そのコピーは記者の小泉信一さんが資料として持ち帰りましたが、私の書斎の書棚には私が書いた昭和49年4月15日付け(299号)から昭和58年7月1日付(505号)の広報がファイルされ大切に保管されています。

 取材が終って帰宅後、昭和52年の綴りを取り出して開けてみると、8月1日号に、「男はつらいよ」「寅さん下灘駅でロケ」という見出しで、次のような記事を書いていました。

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 ちぢみの半そでシャツに毛糸の腹巻き、山高帽子で、夏になると必ずやって来る。ご存知「男はつらいよ」のフーテンの寅さんこと渥美清が、ロケのため双海町にやって来ました。

 男はつらいよ19作目は、中心舞台を四国大洲とし、大洲藩主八代目の当主藤堂宗清を演ずるかつての鞍馬天狗嵐寛寿郎殿様と、こころ優しい寅さんの浮世はなれためぐり逢いの楽しい映画だそうです。今回のワンカット撮影地となった下灘駅は、すぐ下が海の駅として全国的にも有名であり、これまでにも小林旭の映画や、長山藍子の出演する映画のロケになったところであり、カメラマンの来町も多い場所です。

 下灘駅のプラットホームにあるベンチに横になって仮眠している寅さんに駅長さんが、「お客さん、上りが来ますよ」と起こすと、寅さんが寝ぼけた調子で、ウウン、あそう」と起き、海に向かって大きなあくびをする簡単なひとコマでしたが、本番に入るまでに幾度となリハーサルをくり返し、そのたびに別人のように芸をこなす渥美清の姿に、さすがプロの人気スターだと思いました。

 それにしても凄いスタッフです。山田洋次監督以下数十人が、色々な役柄で取り組んでいました。撮影の後、上灘駅前の上田商店で休憩、食事をして帰途につきました。

 インタビューに応じてくれた山田洋次監督は「この映画は、寅さんと殿様が友達になるという浮世離れした物語です。浮世は余りにもつらくて、重く、苦しいことばかりです。我々はせめて映画館の中で、浮世をはなれて夢を見たいというのが願いではないでしょうか」と話されました。

 8月6日、全国一斉に封切られる下灘駅の一コマをみたいものです。


 ワープロもパソコンもなかったあの頃は、後方ふたみ専用の13文字20行の原稿用紙に鉛筆と消しゴムを使って原稿を書いていました。思い出せなくて書けない漢字は漢字辞典と国語辞典を使って書いたものです。文字の世界はバーチャルですが、見た目や肌で感じた記事はリアルで、今でも当時の様子が懐かしく思い出されるのです。

 この映画の場面となった下灘駅での出来事は私の心に深く刻まれ、夕日の物語のプロローグとなったのですから世の中は分からないものです。


  「もし私 ロケの現場に 行かずんば コンサート会場 使わなかった」

  「寅さんや 監督さんとの やり取りは 文字に残りて 今もリアルに」

  「早いもの あれから三十 四年経つ 三十二歳の 夏の出来事」

  「寅さんも 今はこの世に いないゆえ 映画だけしか 出会うことなし」 


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