shin-1さんの日記

〇40回目の結婚記念日

 5月5日はご存知子どもの日、国民の祝日です。少子化の影響で子どもの数が減っているゆえ、ことさらに子どもの日の意味を再認識するのですが、子どもを大事にすることと甘やかせて育てることとは別で、豊かな社会ゆえに我慢する心を育てなければと、今年の4月末から同じ屋根の下で同居を始めた二人の孫を見ながら、要らぬお節介の口と手を出しているのです。

 私は一応子育てを終わり、子どもたちはそれぞれの道を独立して歩いています。時にはその歩みがおぼつかなく見えて、これまた口と手を出していますが、そろそろ子どもたちが私たち夫婦のおぼつかない姿を見て、逆に手助けをしたくなる年頃になったようで、何かにつけて声をかけてくれたりと力を貸してくれるのです。

 昨日は私たち夫婦の記念すべき40回目の結婚記念日でした。今にして思えばこの40年間は祖母や母を見送り、家を建て、子どもを育て、仕事に励み、あっという間に過ぎ去った感じがするのです。幸せなことに夫婦や家族が揃って健康で今日を迎えることができたことが何よりも幸せなことだとただただ感謝をするのです。

 昨日は子どもから贈られた温泉入浴券を使って、久しぶりに「そらともり」という東道後の温泉に行きました。温泉といっても別に二人だけで入浴するのではなく男女別々なので、出る時間を約束し2時間ばかりのんびりゆったり温泉を楽しみました。前夜からわが家に泊まっていた孫朋樹を連れての入浴なので目配りをしていましたが、朋樹は家族で度々この温泉を利用して勝手知ったるとばかりに、一人で早々と風呂を出て、休憩室でテレビを見たり本を読んだりしながら自由に過ごしていました。

 昭和45年5月5日は私たち夫婦にとって忘れられない原点ともいうべき日です。夫婦には人に言えない紆余曲折があって、順風万帆なものではありません。時には喧嘩もし、時には悲しみや喜びを分かち合いました。八幡浜から漁村に嫁ぎ、仕事一点張りで留守がちな夫、小姑までいる両親との同居、安月給ゆえのやりくり、隣近所や多過ぎる親族との付き合い、4人の子育てなどドラマにしても絵になるような妻の孤軍奮闘ぶりには、感謝しても余りある出来事なのです。

 昨日は温泉へ少し早めに行き早めに出たので、同行した孫朋樹の要望もあって昼食は時々行く回転寿司へ行きました。孫は手馴れたもので席上のタッチパネルで私たち夫婦の注文を入力して、美味しい寿司を沢山食べました。私の農地を貸している稲葉さんから農地へ鯉幟を揚げる行事に誘われていましたが、息子たち家族が私たち夫婦に代わって招待されたようでした。


 「あと10年したら金婚式だね」と、まだまだ遠い先のことを妻はポツリといいました。10年後夫婦揃って健康で金婚式の日を迎えたいものだと思っていますが、その時私は76歳になります。同じように歳をとるのですから妻は75歳のはずです。一瞬その年齢の多さにためらいましたが、10年後私たち夫婦はどうなっているのでしょう。元気でいれば親父は102歳です。老々介護という言葉さえ現実のものとなりました。老いはもうそこまできています。


  「金婚の その日私は 七十六 一つ違いの 妻七十五歳」

  「よくもまあ 別れもせずに 持ったもの これから先も 二人三脚」

  「子どもの日 結婚記念日と 一緒の日 国旗を立てて 祝ってくれる」

  「また一つ 節目迎えた 私たち 次の節目は 何になるやら」


 

 

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