〇心を磨く100の智恵・その2「不注意な一言に気をつける」
【ふとした出来心が心霊の掟を破り、何気ない一言が平和を脅かし、些細な行為が末代まで禍根を残すことになる。こうしたことは注意が必要だ】
国会の質問に対する答弁などを聞いていると、些細で何気ない一言がやがて大きなうねりとなって世間を騒がセルことが良くあります。ゆえに大臣や参考人などは、災いが自分の政党やわが身に降りかかるのを恐れ、あらかじめ書いたものを棒読みしたり、「忘れました」とか、記憶にありません」などの一点張りで、責任逃れをするのです。周りから見れば明らかに?で固められているように見えても、「わいろを貰った」などと言わず、偽証罪という極めて重い罪から逃れようと必死でもがくのです。幾ら?を言っても世間の風当たりや長期化裁判に耐え切れず、ついには要職の辞任に追い込まれたり、時には自殺までして地獄への片道切符を切るのです。
最近は職場でのセクハラという言動差別が厳しくなってきました。私などのような昔人間はそうした教育を余り受けていない世代なので、異性に対して平気で「あんたは綺麗だ」などと率直に褒めるのですが、それがセクハラの一部だといわれると、何処までが許容範囲なのか分からず、女性に対する言動には慎重にという戒めぐらいしか思い浮かばないのです。でもこれは現代に生きる私たちの基本なので、これからもしっかりと学習しなければなりません。「無知によって生ずる不幸は知ることによって避けられる」という格言は、まさに金言といえる言葉なのです。
私は昭和生まれですから古い人間の部類だと自分で思っています。ゆえに学校で正しい同和教育や人権教育を受けていません。わが町では自治公民館活動など社会教育が活発で、その始動をしていたこともあって色々と教わりました。まさに生涯学習なのです。最初は「問題発言をしたら問題になる」程度でしたが、やがて言葉による差別や人権の広さ・深さを知るにしたがって、相手を思いやる優しい言葉を覚えてきたのです。
何気ないふと漏らした一言が結婚差別を生み、死に追いやった悲しい事例を二度と起こさないため、これからも機会ある毎に自己学習を高めたいと思うのです。
小さなことを気にしない、一見度量の大きいように見える人ほど、自分で気付かぬまま相手を傷つける言葉を発するものです。喧嘩の原因の殆んどは「言うた」「言わない」で始まり、謝ることが嫌いなプライドの高い人はそれがどんどんエスカレートして、二度と口を聞かない大きな亀裂を生むのですから要注意です。
言葉を発するだけではなく、インターネットのデジタル文字の世界も気をつけなければなりません。顔が見えないゆえについつい書きたくなるものです。インターネットの文字は世界に開かれた窓なのですから、みんなが見ているという認識が必要なのです。
「不注意な 一言だけで ご和算に なること多し 気をつけるべし」
「責任を とって辞めない 人多し 国会議員 何がそうする」
「言葉より 言葉を書いた 文字の方 後残る故 肝に銘じて」
「しまったと あとで気がつく 馬鹿の智恵 ならぬようにと 常に学習」