shin-1さんの日記

 13+3+8+9+2=35とは私の地方公務員としての職場経験年数の数式です。社会教育主事(一部主事補と係長)+産業課係長+企画調整室長補佐+地域振興課長+養育長=35年が私の職歴年数の数式です。自分の職歴と経験年数をみて驚くのは公民館活動にせよまちづくりや村おこし活動にせよ、私の35年間の仕事の殆どは、住民に最も近い場所で住民と共に活動ができたという幸せです。

 しかし裏を返せば職場が変わっても仕事の内容は前職を微妙に引き継ぎ、前職を捨て切れないまままるで一本の竹が父子を連ねているような感じがするのです。それはそれとして今の自分を作り上げているのですから良しとしなければなりませんが、私の書斎のあちこちには捨てきれない資料が沢山残っていて、5S(掃除・整理・整頓・清潔・習慣)を目指す私の意思とは裏腹に、捨てきれない資料が山のように詰まれているのです。

shin-1さんの日記

 5Sの鉄則は「捨てる」、特に「1年間目を通さなかった資料は必要でないと判断する」ことだそうですが、そういう訳には行かないものの何とか処分したいと、いつもうずうず思っていました。長男家族と同居することが決まり、家のリフォームを思いついたのを機に、家のあちこちに残っている古いものを一掃するわが家の大作戦に呼応して、この際結婚39年の間に貯めたものまで処分するのですから、この際私の身の回りも片付けようと、大清掃作戦に乗り出しました。資料は見たり読んだりしながらやると捨て切れないので、殆どの資料は中身を吟味しないで次々と梱包をして窓の外に放り出し、まだ植えていない畑の真ん中へ持って行きました。本来なら紙ごみに出すべきなのでしょうが、個人情報なども含まれているためそれもできず、風のない日を選んで焼却処分することにしたのです。火災にならぬよう細心の注意を払い、火を点け、燃やしましたが煙会所倉庫に眠っていた20年分の年賀状や手紙類は、本のに消えて行く度にその人の顔や思い出が浮かび、少し沈んだ気持ちになりました。

shin-1さんの日記

 午前中半日をかけて焼きましたが、中からは写真類も出てきて思わず取り出す騒ぎもありました。当時はデジカメもなかったので、一眼レフや簡易カメラで撮影したものが多く、中にはカラーが消えてセピア色に変色したものもありましたが、危うく焼却を免れた下の2枚の写真はスキャナーで取り込み保存することにしました。

 白黒の写真はご存知フーテンの寅さんの写真です。私が町の広報を担当していたため、山田洋次監督にお願いして撮らせてもらった一枚です。日本で一番海に近い下灘駅のベンチに寝そべり夢を見ている冒頭のシーンなのですが、渥美清さんは「やあ」とだけ私に声をかけてくれただけの会話でした。しかしこの出会いが後に私の「夕焼けプラットホームコンサート」へと繋がって行くのですから世の中は分からないものです。

shin-1さんの日記

 もう一枚の写真は永六輔さんとの写真です。私が主宰するフロンティア塾の40回目のフィナーレ講演会を2001年5月23日に行いましたが、そのご縁を作ったのはこの一枚の写真です。私は永六輔さんをフロンティア塾に呼ぶために、永六輔さんと文通を始めました。律儀にも忙しいマルチタレントの永六輔さんは私のハガキに返信し、そのことがご縁でNHKBS「夕日を見ない子どもたちへのメッセージ」という番組に私も永六輔さんと共演したのです。この写真はそのロケに来た時福本夏芽さんと魚見真理さんを交えて暮れなずむシーサイド公園で、日本一の夕焼けを見ることができました。

 写真にまつわる思い出は切りがないほどあります。今回の大掃除で出てきた写真は再び段ボールに入れられてお蔵入りとなりましたが、いつの日か新聞雑誌のスクラップと共に、これらの整理もしたいと思っています。
shin-1さんの日記

 

  「人生の 大半占める 資料類 この際捨てる 一大決意」

  「捨てて焼く 灰になりたる 資料類 すっきりしたが すっきりしない」

  「火の中に 手を突っ込んで 取り出した 二枚の写真 思いで多く」

  「人は皆 何時かはゼロに 戻るゆえ その日のために 準備おさおさ」

[ この記事をシェアする ]