〇失われつつある日本人の土着思想
子どものころ、「日本人の祖先は何処から来たのか」という話を聞いたことがあります。南方系は黒潮に乗って東南アジアから琉球・九州へ来たという説、北方系はロシア辺りから樺太・北海道へ渡って来たというアイヌ系説、日本に古来から住んでいた大和民族という説など色々です。しかしその当時の人が生きていないので、どれも正しくどれも間違いというのが正確な答で、長い歴史の中で混血しながら日本人が形成されて来たようです。
最近はDNA鑑定などにより、日本人のルーツが科学的に随分明らかになってきましたが、「自分の先祖は一体何処から来たのか」、ミステリーじみた話ですが興味があるのです。私は父母、祖父母までのことは覚えていますが、祖祖父母のこととなると顔もあまり思い出せず曖昧模糊なところがあって、つまり3代前くらいの先祖のことしか知らないのです
日本人は縄文時代までは狩をしながら移動して暮らしていましたが、弥生時代にかけて稲作が始まると土着するようになりました。その暮らしの形態は江戸時代になって幕藩体制や鎖国によって人々の移動が制限されたこともあって、江戸末期まで続いていました。
明治維新により日本が開国され、外国と貿易をするため殖産が盛んになったり徴兵による外国との戦争や大陸への進出によって、日本人の異動が活発になってきたものの、それでも日本人の殆どは土着して暮らしていたようです。
戦後の復興は土着型社会から流動型社会へと大きく変化しました。向都離村の教育と工業地帯が労働力を求めるようになって日本は完全に流動型社会になったのです。
土着から流動への変化で都会は過密、田舎は過疎という構図が昭和30年代末には出来上がり、そのひずみは人間関係や社会風潮において様々な変化をもたらしましたが、そのことに警鐘を鳴らす人はいても大きな時代のうねりの中に飲み込まれ、時の流れとしてある意味目と口と耳を塞いできたのです。
その好ましくない姿に気付いたのは、皮肉にも阪神淡路大震災でした。人間はひとりでは生きてゆけないし、お互いが助け合って生きることの大切さを学んだのです。各地でボランティア活動の必要性や参加が始まり、その流れが多少薄くなりつつあるこのごろになって、未曾有の新潟地震や今回の東日本大震災が起こり、再び土着思想が見直されているのです。
本来人間は家を建て家族や隣人と共に暮らすのですが、今の社会は家は借家や、家があっても転勤などの理由で隣人とコミュニケーションをとらなくても暮らして行けるのです。
しかし日々の暮らしが跡形もなくなくなる今回の大震災のような災害に見舞われると、行政やボランティア以外頼る人がいないという、孤独であった自分の今までの暮らしぶりに始めて気がつくのです。敗戦は土着の思想を呼び戻しました。大震災に遭った今も土着の思想は日本再生の大きなキーワードだと誰もがいいますが、日本人の「喉元過ぎれば」といった風潮に歯止めをすることができるかどうか、日本人の性根が問われているようです。流動型社会から土着型社会への回帰は容易なことではありません。煩わしいコミュニティのしがらみも当然ついて回るのですから・・・・・。
「震災に 遭って初めて 日本が 土着社会で ないこと知りて」
「土着には 煩わしこと 多いけど まさかの時に 大きな力」
「まず自分 その次他人 当たり前 少し他人に 思いを寄せて」
「土着ゆえ 生きる実感 目の当たり みんな仲良く 暮らして行こう」