○ある若いお医者さんからのメール
私のパソコンにはインターネットで毎日たくさんのEメールが送られてきます。先日のように北海道へ出かけていて4日間も家を留守にすると、帰宅後メールを開けるのが何だか憂鬱になるほど未読のメールが軒を連ねて出てくるのです。それでも最近は迷惑メールと必要メールに大まか分けられてフォルダボックスに入るので、迷惑メールは日の目を見ないまま消去され随分助かります。それでも年輪塾をネットや燃える人ネットなど、身近な全員配信メールも多くその分類作業も時間的にはかなりの量のようです。でもネット時代に生きているのですからこれぐらいな作業は当然と考えると、我慢術より楽しむ術の方に軍配が上がるのです。しかし時には大切なメールが迷惑メールに交じって消されてみたりの小さなトラブルは絶えないのです。
先日年輪塾ネットの書き込みについて、立ち上げからかかわって運営している清水さんから、少し辛口なご指導があって、みんな何気なくやっていたメールのやり取りを立ち止まって考える良い機会となったようです。パソコンのイロハを知らない私は、まるでいいとこ取りのような形のメール利用をしていますが、デジタルといえどアナログなハガキのように大切に扱うことを君に命じました。
そんなメールに交じって心温まる一通のメールが届きました。先日の夜、ある病院の顔見知りの看護師長さんから頼まれて病院の職員さんにお話しに行きました。会場には沢山の参加者がいましたが、同じような看護服を着ているので、どの人がお医者さんでどの人が看護師なのか分からず、一ぱからげた話をしました。会場の雰囲気は最初「どんな人がどんな話をするのかな?」という不安がよぎって少し硬めでした。しかしその硬さもいつの間にか取れて、最後は質問まで出る賑やかな講演会となりました。講演が終わって帰り際には看護師長さんに加え女性の病院長までもが玄関まで送っていただき、恐縮しつつもほのぼのとした気持で夜の道を帰郷しました。明くる日その病院から3通のメールが届きました。看護師長さんからのお礼のメールと後の2通は若い女性職員と若いお医者さんからでした。
メールを使えるようになって何年かが経ちましたが、これまでお医者さんからメールが届いたことはないので、一瞬驚きました。と同時に嬉しい出来事なので返信メールを送り、昨晩ハガキをしたため今日投函する予定です。
そのメールによると私の印象を、「会場に入って来られた時は小柄だな~という印象でした」と述べています。そして「講演が終わった後はなんて大きな人だろうという印象に変っておりました」と書いてくれました。それはお世辞だと分かっていても、一方で決してお世辞ではないと思いつつ、メールの持つ意味を考えました。講演などで人の前に立つ機会が多い私ですが、このお医者さんが書かれた講演前と講演後の印象の違いこそ私が目指している講演の姿なのです。
多分私は他の講師のように「○○大学を優秀な成績でご卒業され」という学歴もないため、普通の田舎のおじさんに見られることが多いのです。でも私には学習歴や実践歴は沢山あって話のネタは心のポケットにたくさん詰まっているのです。フィーリングが合えば私の話も医療現場にだって応用できるのです。
「にこ・ぴん・ころの話、潜在能力の話、幸せの話、変えていいもの、いけないものの話、どれをとっても印象深い話でした」と批評してくれました。始めてお医者さんから頂いたメールは、ひょっとしたら私をレントゲンされたのかも知れないと思うのです。人間の心の動きはレントゲンでも名医でも中々見抜くことはできませんが、せめて医療現場に生きる人たちは、患者さんに対して役職や名刺などでその人の偉さを判断せず、一人の人間として向き合って欲しいと思いました。メールをいただいた若い医師のいるこの病院は少なくともそのことができる病院だと思いました。
「第一の 印象小さく 見えた言う 講演終わり 大きく見えた」
「人を知り 人から話 頼まれて 人に話すが 人は変わらぬ」
「お医者さん 相手に話す 度胸持ち 呼ばれた先で 今日も講演」
「若い医者 メールいただく 嬉しさに 涙出るほど 嬉しくなって」