○忘れていた人と覚えてくれていた人
人間はどうやら忘れるように出来ている動物らしく、この歳になると昔のことなどといわず、昨日のことまでも忘れてしまっているのですから始末に負えません。おっと失礼、これは人間全てではなく私個人のことでした。例えば昨日の夜何を食べたかと妻に聞かれると、はてな?と首をかしげ、食べた物の全てを思い出すことができないのです。そこで妻に一言「人間は忘れるということで頭の中の掃除をして空っぽにするから、新しいことが吸収できるのだ」と、説得力のない言葉を発して威張って見せますが、まるで効き目がないのです。
昨日講演のためにお邪魔した新居浜市大生院公民館で、講演の前に講師紹介という形で、角田さんが私との出会いについて話されました。角田さんが私と出会ったのは平成10年9月4日・5日、双海町で開かれた全国レクリェーション大会ネイチャーレクレーション分科会だそうです。偶然出くわして飛び入り参加して私から竹トンボを強引に貰って帰ったそうです。そしてそのあくる年の11年9月4日に下灘駅での夕焼けプラットホームコンサートに参加し、その日に山の上の廃屋で開かれた開かれたフロンティア塾・朱夏塾にも参加したそうです。そこで知り合った木・林・森会(大洲市柳沢」の皆さんの指導で大生院にホタル保護活動が始まり、今のほたる祭りが定着したようで、芋づるの元をただせば私との巡り合いに行きつくのだそうですが、残念ながら私は角田さんの存在を失礼ながら全く記憶していないのです。
昨年11月、国立大洲青少年交流の家で開かれた青少年社会教育ボランティアの研修会で角田さんと会っているのですが、副実行委員長を務めて運営に携わり忙しくしていたためここでも角田さんの存在を認識するには至りませんでした。
大会が終わりアッシー君をしてくれたえひめ地域政策研究センターの松本研究員と二人で帰路、長浜町白滝のもみじ祭りを見学に立ち寄りました。その折同じように別行動で紅葉見学をしていた角田さんが、私に「今回の大会は楽しかったですね。近いうちに新居浜へ講演に来ていただきませんか。お金がないので些少しかお礼ができませんが何とかならないでしょうか」と声をかけてくれたのです。私は「はいはい、私で良かったら喜んでと、別れました。
今年に入った1月8日角田さんは私の自宅までわざわざ来られて、講演の打ち合わせを行い、昨日の感動講演会と相成ったのです。私が忘れている出来事を克明に覚えている角田さんの真摯な態度に頭が下がりましたが、私はこれからも角田さんのことを一生忘れてはいけないと心に誓った次第です。
角田さんは青少年が大好きで、これまでにも様々な活動を展開し、これからもあんなことがしたい、こんなことがしたいと夢を語っていました。そのためには身軽く動くことをモットーにしていて、私に最初に講演依頼した足で長浜町豊茂のイルミネーションを見に行き、それがご縁でイルミネーションの電球を寄付し、交流が深まって、今晩は長浜町の川新という料理屋でフグ料理を食べながら交流するのだといっておられました。多分今頃は豊茂の皆さんとフグのひれ酒でも飲みながら楽しい交流に発展していることでしょう。
人を覚えることは容易なことではありません。人に覚えてもらえるような人間になるのもこれまたこれまた容易なことではないのです。私の目の前に現れ、私の目の前から去り、私の記憶から消え去った人の数はどれほどあるか分かりません。もう少しスローな生き方をして、もう少しいい出会いをして、もう少し記憶に残る人間関係を築きたいと改めて自覚した一日でした。
「覚えても ないのにあなた 覚えてる 嘘などつかず 覚えにゃならぬ」
「十年も 前にあなたと 出会ってる 記憶辿るが 思い出せずに」
「ああ俺も ぼけたもんだと 歳のせい してみたものの 何の効き目も」
「記憶力 俺はいい方 自慢して これまで生きた これからは駄目」