○日本は今に松の国から竹の国になるのでは?
昨日は山口県へ行くため防予汽船のフェリーに乗って瀬戸内海を往復5時間もクルージングしました。もっとも帰りは夜だったので視界は利きませんでしたが、それでもあちらこちらに港や街の明かり見えて寒いながらロマンチックでした。特に私の町の遥か沖合いを通るとき、潮風ふれあい公園の夜間照明の明りが、ひと際明るく存在感を示していたのには驚き、少しだけ望郷の念に駆られました。
瀬戸内海は海の銀座といわれるように、一日中大小様々な船が西に東に行き交うのですが、夜には暗い闇夜を白熱灯と青と赤の鈍い光が近付いては遠ざかって行くのです。船の運航をする人たちはこの三色の明りだけで、船の方向が分かるように訓練されていて、相手が徐けるのか自分が徐けるのか瞬時に判断し前もってその責任行動を明確にするのです。迷走にっぽん丸(日本の政治家)の航海士たちには、こんな操縦方法が分からないようなので教えてやりたいような心境です。
夜の楽しみは灯台の灯りです。灯台の灯かりは一見同じように見えますが、色と灯りの質がちゃんと決められ、海図にはちゃんとそのことが記載されているのです。勿論昼間識別が必要な時間帯に航行する場合も、形と色が一定の法則で決められているのです。昨日通った航路で一番遠くで光っていたのは佐田岬半島の突端にある灯台でした。灯台の灯りにも一等星、二等星と同じように光の強い灯台と弱い灯台があります。概して難所と呼ばれたり航海上重要な場所の灯台は光源の光が強くなっていて、遠くまで届くのです。近くでは釣島の灯台も釣島水道といわれる難所だけに強い光を放っていました。灯台の光を見ながら何秒間暗闇があって何秒間明りがあるのか数えるだけでも、灯台を楽しむことができるのです。勿論私が水産高校の出身だからこんな楽しみ方ができるので、普通の人には知る由もない話なのです。
(周防大島の入口であり出口である周防大島大橋の近くにも、松に代わって竹藪が目立つようになりました。)
日本の海、特に瀬戸内海は白砂青松といわれるほど白い砂浜と松の緑、そして海の青さが象徴的な場所はないと、多くの文人墨客が述べています。確かに私たちが子どもの頃はそうでした。しかし高度成長期が終わった頃から海は汚れ、砂浜は埋め立てられ、松は松くい虫の被害に遭って無残な姿となりました。かろうじて瀬戸内海汚染防止の様々な策が講じられるようになって少しは回復したものの、海は昔の姿いまいずこの感がします。
埋め立てられた砂浜はもう元に戻りようがなく、無造作にコンクリートで固められた海岸が瀬戸内海の美観を
損ねていて、行政に深くかかわりコンクリート工事の片棒を担いできたわが身ゆえ、四笹か心がいたもうのです。それでも失った砂浜や自然を回復させて人々が海に親しめるよう最後はシーサイド公園を造ってつじつまを合わせることができ、多少安堵といったところです。
ところで、松の緑は相変わらず枯れる運命にあって、まるで松が紅葉しているのではないかと錯覚するような姿になっているのです。子どものころ金毘羅詣りや宮島詣りの時に見た、水もないであろう海に囲まれた小さな島に、松の生えている姿に驚きを覚えた記憶と今を対比させていました。
周防大島は沖合から見ると竹藪がやたらと目につくような気がしました。里山にはびこる竹の勢力は旺盛で、松の衰退とこれまた対比しながら、今に日本は松に代わって竹が日本全土を覆い尽くす日が来るのではないかと思ったりしたのです。それにしても「白砂青松」というけれど信号の色と同じで、砂は白ではなく黄色味も帯びていますし、松も青ではなく緑なのです。最初にい出した人は色盲ではなかったかと思うのです。黄砂緑松が正しいのでしょうが、これも例えの一つのようです。
「松が枯れ 代わって竹が はびこって 今に日本は 竹の国なる」
「白い砂 青い松とは これいかに 黄色い砂と 緑松正解」
「灯台の 光見ながら 海の旅 遥か彼方に 佐田の岬が」
「釣島の 灯台灯り 寒々の 心にほのか 温もり感じ」