○歌は世につれ世は歌につれ
学校の音楽の授業で習った歌を除けば、私が一番先に覚えたと思われる歌は「リンゴの唄」でした。私の生まれ育った時期が戦後の混乱期で、そんなに口ずさむ歌がなかったこともあって、この歌を覚えているのかも知れません。作詞家サトウ八ローさんがこの詞を作ったのは戦時中でした。戦時下には軟弱過ぎるという理由で検閲ふかとされ、戦後になって日の目を見ました。可憐な少女の思いを赤いリンゴに託して歌う歌詞が、戦後の焼け跡の風景や戦時の重圧からの開放感とうまくマッチしたのと、敗戦によって焦燥しきった憔捽しきった国民の心を癒す楽曲と評価され、空前の大ヒットとなりました。レコードは昭和21年1月に日本コロムビアから発売され、3ヶ月で7万枚を売り尽くし、17円50銭のレコードに100円の闇値がつくほどでした。
この当時まだリンゴは貴重品で、昭和20年12月に行われた公開ラジオ番組(NHK希望音楽会)において並木路子がこの歌を歌いながら客席に降り、籠からリンゴを配ったところ、会場がリンゴの奪い合いで大騒ぎになったというエピソードもありました。またテレビ番組などの資料映像として終戦直後の焼け跡や空爆、闇市、買い出し列車などのモノクロ映像が流れる度に、必ずと言っていいほどBGMにこの曲が流れていました。
いつだったか、川中美幸さんとそば焼酎雲海酒造提供のラジオ番組「人・歌・こころ」に出演したとき、私はこの歌をリクエストしたことがあるのです。
(歌詞掲載不可のため割愛)
私の心に残る歌はこればかりではありません。集団就職列車に乗って都会へ向かう同級生を送ったとき流れていた井沢八郎の「ああ上野駅」、18歳の時、日本を目指して北上中の愛媛県立宇和島水産高校の練習船えひめ丸の船中で聞いた吉永小百合・橋幸夫の「いつでも夢を」、高校を卒業するころに聞いた舟木一夫の「高校三年生」などなど、歌手と歌詞、それに曲が一致しないものの、自分の人生の端々に様々な歌や歌詞が蘇えり、そしてその歌を聞くと何故か自分の過ぎ越し人生が見えてくるのです。
この歌を口ずさんだり、時には最近凝っているはーモニカで吹いたりして一人楽しんでいますが、もうそれらの歌も私の加齢そのままにナツメロとなってしまいました。先日91歳になる親父にはーモニカで軍歌を吹いて聞かせたところ、とても喜んでくれました。人それぞれ、「歌は世につれ世は歌につれ」思い出の歌はたくさんあるのです。これからも人に何と言われようと大いに記憶の中にある歌を歌いたいと思っています。
「あの歌や この歌歌い 思い出す 過ぎ越し日々が 鮮やかにして」
「若い人 俺の歌聞き キョトンする それもそのはず 歌は世につれ」
「今朝リンゴ 食卓並び 食べながら 歌って聞かせる 妻もしみじみ」
「幸田未来 知ってはいるが 歌えない 古くなったな 賞味期限か」