○笑う門には福来たる
私の理想は少々顔が悪くても毎日笑顔で暮らしていけるような人と結婚したいということでした。ですから始めて見合いしたその人の笑顔に一目で惚れして結婚を決意したのが今の妻なのです。私は8年間の青年団活動で色々な女性を見てきましたが、顔がよくっても冷たい人、金持ちであってもそれを鼻にかけるような人、また学歴などを見せびらかせインテリぶっている人などを見るにつけ、笑顔のいいことを第一条件としたのです。選ぶ自分もこの顔ですから、笑顔ぐらいしか相手を選ぶ条件を提示できなかったのです。私の女性を見る目は見合いをしたこともなく、特定の人と付き合いした訳でもないので肥えている方ではありませんでしたが、それでも私が理想とした「笑顔のいい人」と巡り合ったのです。
私は役場に勤めていましたが、わが家は漁家なのでお嫁さんに来たら家を守ってもらわなければならず、また長男の嫁ですからそれなりに親族や地域の人と付き合って、先祖祀りもしてもらわなければならなかったのです。当時は「家付き、カー付き、ババー抜き」、つまり持ち家があって車を持っていて、次三男がいいというのが流行でした。そこへ行くと私は家こそ持ち家ながら車もなく、ババーどころか祖母、父母、未婚兄弟姉妹など、いわゆる小姑がいたのです。多分嫁いで来る妻からすると最も条件の悪い家への嫁入りだったようで、妻の同級生は盛んに反対したようです。それでも妻は将来性のある私を見込んで(大笑い)、結婚を決意してくれました。
当時教育委員会で社会教育主事をしていた私には青年団活動の延長のように青年が連日私の家に集まって酒盛りをしました。その後はまちづくりで多くの人がわが家の煙会所などに逗留しこれまた宴会を繰り広げました。さらに追い打ちをかけるようにボランティア活動と称して21世紀えひめニューフロンティアグループなどと関わったため妻の仕事は半端ではありませんでした。
それでもそれらの人たちは妻の笑顔に迎えられ、妻の笑顔に送られる出会いを繰り返したのです。「笑う門には福来たる」ということわざがありますが、妻はまさに福の神といったところでしょうか。数年前に逝った祖母や母の面倒もしっかり見てくれ、祖母も母も感謝と満足の言葉を妻に残してあの世に旅立ちました。
こうして結婚以来約40年の過ぎ越し日々を振り返ると、わが家は妻の笑顔で平穏無事にここまで乗り越えることができたのです。勿論子育てもその中には入っていて、普通の子どもながら普通に育って自立の道を歩んでいるのです。
その大本をたどれば、やはりあの5分間の見合いでその女性を見染めた私の眼力の賜物と多少胸を張るのです。(私のブログを妻は読まないことをいいことに勝手なことを書いていますが、この話は内緒の話でここだけの話にしてください。照れますので)。
世の男性諸君「女性の笑顔は八難隠す」ともいいます。くれぐれも笑顔のいい女性を選ぶようお勧めします。
「笑顔惚れ たった五分で 決めました お陰幸せ 家庭築きて」
「世の諸君 結婚条件 第一は 笑顔素敵な 女性を選べ」
「家の中 笑顔取り持つ こと多く 笑い飛ばして どれ程ヘルプ」
「お帰りと 笑顔で迎え ホッとする お金もかけず 幸せ多く」