○正直は一生の宝
人間は殆どの人がみんな、自分のことを正直者だと思っています。しかし他の人から見ると「あいつはタヌキだ」とか「あいつは信用ならない」などと、面と向かっては言いませんが厳しい味方をしているようです。私たちは「正直は一生の宝」だと子どもの頃から教わりました。ゆえに私たちが子どもの頃は嘘などがばれるとその日はご飯も食べさせてもらえないほど叱られ反省させられたものです。
しかし正直も馬鹿正直がつくと、帰って人間関係を底なてしまうことだってあるのです。人がある人の悪口を言っていることを聞いたとします。悪口を言われていることを薄々知っている人は聞いた人に遠回しに探りを入れてきます。「○○さんが私の悪口を言っていたでしょう」と聞かれたら、聞いた本人は正直者であるなら、包み隠さず聞いたことを話さなければならないのですが、フーテンの寅さんのセリフではありませんが、「それを言っちゃあお終い」になって本当のことを打ち明けた人まで悪者の見方にされてしまうのです。そこはやんわり逆のことを言って取りなすことだって世渡りには大切なことなのです。
政治家は嘘をよくいう仕事だとよく言われます。私も何人かの政治家に出会って話を聞くたびに、できもしないことをさもできそうに話すのでついつい引き込まれてしまうのです。政治家は「この人は嫌いだ」と第一印象で思っても、嫌いなそぶりどころか握手を求めて「あなたが頼り」と迫ってくるのです。多分そのくらいのことで政治家に騙される選挙民はいないと思うのですが、選挙の前になると握手作戦によってイメージはすっかり変ってくるのですからまんざら嘘でもないようなのです。
嘘を真顔で言えないような政治家は大物ではないとよく言われるように、政治家の話に良く良く用心をしなければなりません。巷には選挙に出るであろう候補者の顔写真がべたべた貼られ、選挙の事前運動が何のおとがめもなくやられています。
「町を綺麗に」とか「クリーンなまちづくり」というキャッチコピーが印刷された候補者ポスターくらい街の美観を損ねているものはないと思うのですが、美しいまちづくりはあくまでも理想であって、わが身の当選の方が大事なのです。これもやはり嘘でしょう。
私は親から教わった「正直は一生の宝」という言葉をある意味信じています。お互いがお互いの言葉や行動を信じられなくなったら、社会は成り立たなくなるのです。そのための道具として人の心を心地よくしてあげれる笑顔と言葉を持ちたいものです。笑顔は世の中を明るくしてくれます。不景気な世の中だというのに笑えるかといわれるかも知れませんが、笑顔で日々を暮らしたいものです。また人に不快の念を与えないような言葉遣いも心がけたいものです。
「今日は大寒だそうで寒いですね」「お互い風邪をひかないように頑張りましょう」だと隣近所の会話はいいのですが、「今日は大寒だそうで寒いですね」「冬は寒いものと決まっとる!」なんて紋切り型の言葉が返ってくると、石でも投げてやりたいような気持になります。正直は一生の宝ですが、その宝ものも磨かないとダイヤモンドどころかただの石ころです。共磨きで正直といういい宝ものをお互い持ちたいものです。