○終わる時間も守ろうよ
私たちは様々な会合に出席し、それぞれの会合開催の趣旨に沿った内容について参加します。時には参加する側から参加を促す主催者になって会合の運営についても役割を果たすのです。私はむしろ後者の側として長年にわたり、これまでに随分と会合を主催する側に立ってきました。
会合を主催する側が一番労力を費やすのは会合の内容をどのように組み立てるかということと、参加者を目論見どおり集めることができるかという手立てです。参加が義務付けられているような会合は心配しないのですが、不特定な人を集めるオープン参加の会合などは蓋を開けてみるまで人数が分からず、胃の痛むようなことだって随分経験しました。人は会合にどんな想いを持って参加するかという参加する側の立場に立って考えるのが一番ですが、残念ながら行政に携わる人たちにとっては中身がどうであれ至上命令と予算や事業消化という側面が強すぎて、結果など余り気にしていない部分が、傍から見るとずいぶん見受けられる無意味な会合が多いようにも見受けられます。
会合に進んで参加するのは自分にとってフィーリングが合うかどうか、また求めているものが期待できるかという点が重視されます。フィーリングが合って求めるものも期待できるとしたら、多少不便だったり会費が必要でも私だって会合には参加します。しかしその会合の運営次第で結果は変化しますから、そこで失望すると次への足は重くなるのです。私は愛号に参加して良かったと思う3つの条件を頭に入れて会合を組み立てました。①楽しい(楽しみづくり)、②役割感(仕組みづくり)、③達成感(値打づくり)でした。
会合は予定された席に予定された人が埋まるとまず第一段階はクリアーです。ところが第二段階の会合開催の時間が大幅に遅れたり、前の席がガラガラで「前から詰めてください」といくら言っても動かない会合は上手くいったとは言えないのです。会議の冒頭主催者が「今日は他にも会議が予定されていて人数が少ないようです」とか、「今日は農繁期で天気もよく時間が遅れたようです」と言い訳するようでは、最初から上手くいくはずがありません。そんな言い訳をしている同じ主催者の集会に招かれたことがあります。主催者が「今日は雨が降って人が集まりません」と・・・・。「おいおいこの町はいつなら人が集まるのか」と言ってやりたい雰囲気でした。
昨日私はある年金受給者連盟の受給者に講演をして欲しいと招かれました。私の講演予定は午後2時15分から午後3時15分までの1時間の予定でした。私は30分前に会場入りし、ロビーで出番の時間を待ちました。しかし前の人の話が10分伸び、次に主催者の報告が10分もあって、私の講演が始まったのは14時40分となりました。普通であれば私の話はそこからスタートして1時間は頂くはずなのですが、主催者からは何の話もなく始まりました。私は少々虫の居所が悪くなったので、講演が始まると「前の人に私の時間を20分も食べられました。残念ながら私の時間は45分になってしまいました。皆さんは今日の集会が午後3時15分で終わると思って参加されたのでしょうから、どうぞご安心ください。終わりの時間はきっちりおわります」といって、短いながら講演をはじめ講演を約束通り午後3時15分に終えました。参加した人は嬉しくて大きな拍手を送ってくれました。
主催者が、参加した人の意思を無視した会合運営をするのはよくある話ですが、私は久しぶりに痛快な気持ちで会場を後にしました。さて同じ会合が今日は松山、明日は西予で行われます。今日はどんな奥の手を使おうか、今から楽しみです。
「頼まれた 講演時間 食い込まれ 終わりきっちり 予定どおりに」
「始まりを 気にするのなら 最後まで 時間気にして 終えて欲しいな」
「久々の ヒットにみんな 拍手して 援護射撃の 会場を出る」
「この歳に なると会場 空気読め 会場爆笑 舌好調です」
「