○仏の顔も三度
私の知人に賭けごとが原因で離婚しかけた夫婦がいます。原因がはっきりしているので原因を取り除けば復縁は可能とばかり、奥さんが実家へ帰る度にかつて仲人をした人や友人が奥さんを迎えに行ったようですが、4回目ともなるとさすがに敷居が高いのか、私に奥さんの実家へ行ってくれと本人から申し出がありました。私も忙しい身なので時間的余裕もないのに時間を作って本人からこれまでのいきさつを聞き出し、もう二度と賭けごとはしないという約束を取り付けて、県外の奥さんの実家まで行きました。聞けばご両親と奥さんはもう見切りをつけているらしく、私の話で復縁するなどというレベルではありませんでした。
奥さんのお父さんが私の顔を立てて面談してくれましたが、聞けば「毎回同じような詫び方で、絶対しないと言いながら賭けごとは今になっても止まっていない」といい、「痩せは治っても癖は直らない」ときっぱり断られました。しかし「二人の孫の将来を考えると、不憫でなりません。遠いところを娘のために来ていただいたあなたの顔を立てて、もう一度騙されたと思い娘を元の鞘に納めますのでよろしくお願いします。ただし仏の顔も三度です。これが最後の仏の顔だと思ってください」と、逆に頭を下げられてしまいました。
本にはその言葉が余程堪えたのか、その後好きだったパチンコや競輪をスッパリ止めて仕事に励んでいるのです。年末のある日わが家へその親父さんがやってきました。聞けば娘の所へ来たそうで、その後娘が幸せな暮らしができているのはあなたのおかげです」と持ち上げられ、お歳暮にとお酒までいただき恐縮した次第です。
私はその日のうちに本人の家庭へおすそ分けとして野菜や魚を持って行ってやりました。子どもはもう大きくなって高校生と大学生になっているようで、奥さんも私が奥さんの実家に迎えに行って貰ったことをバツが悪そうに話しました。多分忘れているだろうと思いつつ、ご主人に「仏の顔も三度」という言葉を覚えているか」といったら、「若松さん若気の至りで面目もありません。あの時妻の親父に据えられた「仏の顔も三度」というお灸は今も私の頭から離れません」と照れながらいいました。傍で聞いていた高校生の娘さんが「お母さん、「仏の顔も三度って何のこと?」と聞き返しました。奥さんは「もう少し大きくなったら話してあげるからね」と顔を赤らめていました。
人生いろいろです。確かに今考えると愚かなことでも若いころには過ちを犯すものです。多分私も忘れたような顔をしていますが、妻が時々思い出したように話す失態の数々を「もう昔のこと、過ぎたこと」とお茶を濁しています。問題はそうした出来事を二度と起こさない不退転の決意が大事だと思うのです。
妻の顔も今は仏様のような顔をしています(お世辞)が、若い頃は何度も衝突し「鬼嫁」と思ったことが何度かありました。多分妻も私を「許せない」ような思いをしたこともあったんだろうと思います。私の誓いは「女は妻一人。賭けごとはしない。選挙には出ない」です。(笑い)仏の顔が鬼にならないよう、せいぜい努力したいものです。女は優しいが怖い。これが妻と40年連れ添ってみての本音です。(笑い)
「昔鬼 今は仏の 連れ添いに あんなこんなが あったと今頃」
「幸せに 見える家庭も 波風の 一つや二つ あるからいいの」
「賭けごとと 私とどっち 迫る人 今は寄り切り 奥さんの勝ち」
「おっかねえ 仏の顔も 三度とは 四度目鬼に 変身怖い」