○人間牧場で写した写真を届けに
気になっていた地元奥東のおばさんたちが12月10日、人間牧場に来られた時の写真を、風邪でダウンして年いて末に届けることができずそのままになっていたのを、今日やっと届けることができました。本当は何枚かのスナップ写真をそれぞれにプリントアウトしようかとも思ったのですが、それでは余りにも芸がないと思い、愛媛新聞社のシニアサイト【自悠くらぶ】に毎週一回連載している記事の中に、「田舎のおばさんたちに足湯のサービス」というタイトルで書かせてもらっているので、その記事には写真も三枚添付してあり、写真用のA4用紙を手差しで入れて3枚×8部をプリントアウトし持参したのです。
元々この出会いのきっかけとなった黒田富貴子さんからは既にご丁寧な年賀状まで届いて、その返信さえもできなかった呵責も引っ提げて黒田さん宅を訪問しました。
黒田さんの家は双海町奥東の豊田の奥の空と呼ばれる山深い場所にあります。そこから見ると下灘のシンボルである黒山が目の前に聳え、眼下に広がる瀬戸内の海は青島の裏側が見えるほど高い場所にあるのです。黒田さんのご主人は町議会議員や森林組合長を務められた名士で、今はもう亡くなった弟剛さんとは友人として中学時代から付き合いがあって何度か山道を歩いて訪ねた懐かしい家なのです。
ご主人は病院へ出かけていてあいにく留守でしたが、「まあおあがりなさい」との言葉に甘えて居間に案内され、掘りごたつに足を突っ込んでお茶を飲みながら四方山話に花を咲かせました。黒田さんは既に私の「夕日徒然草・地の書」を既に読んでいて、私の生き様や変わった発想について矢継ぎ早の質問がありました。小さな田舎に生まれ高校卒業後7年間も漁師をしたこと、青年団活動を8年間やったこと、公民館で13年間しごとをしたこと、広報を10年間担当したことなど、知っているようで知らない私の過去について質問に答えるような形でお話をしたのです。そして先日【自悠くらぶ】に書いた記事がかなり小さな文字のため読んで聞かせてあげました。
やがて10時が過ぎたのでそろそろお暇しましたが、私が中学生のころ訪ねた思い出と少しも変わらない庭の風情や山並に懐かしさを感じながら、庭の隅に咲く水仙のほのかな香りに送られて黒田さん宅を後にしました。豊田川と並行して走る急峻な一直線の道を下りながら、荒れるがままの段畑に忍び寄る限界集落の暗い影が忍び寄るような寂しさを覚えました。
私の姉がこの集落に嫁いできた頃はまだ活気がありました。姉は嫁ぎ先がモータースをしていたため、役場の近所に引っ越して今はその家も移築したため跡形もないようです。わが家の菩提寺があるこの地域もいよいよ寂しくなりました。人間の想いだけではどうにも止まらない少子化・高齢化・過疎化・学校統廃合・限界集落という厄介な問題も解決策を見いだせぬまま、いたずらに時間だけが過ぎて行くようです。せめて田舎に暮らす人たちにいい老後を過ごさせてあげたいと思いつつ奥東を後にしました。
「車だと あっという間に やってくる 車乗れなきゃ 歩くしかない」
「皮肉にも 人間少なく 田畑が 自然に帰る 荒れるまかすが」
「勉強を した子どもたち 皆都会 残りし人は 爺と婆」
「よう来たと 足突っ込んで 向かい合い お茶をすすりて 四方山話」