○故事ことわざへの挑戦
昨年末に息子が会社から沢山のカレンダーを貰って帰ってくれました。その中から妻が好みのを選んでどの部屋にもやたらとカレンダーがぶら下げています。余ったものは残念ながら処分するしかなく、新年早々畑の隅のドラム缶を切って作った家庭用焼却場で焼却処分をしたのです。そんな中で少し大きめの日めくりカレンダーを見つけました。毎年使う大きい日めくりはもう既に台所にかけてもう7日分もめくられているのです。
この日めくりの中には驚くほどの旧暦を中心とした歳時記が書かれていて、畑仕事や仏事・祝い事などに結構重宝なのです。一番下には「故事ことわざ」というのが載っていて、これが結構いいことを書いているのです。ちなみに1日・一年の計は元旦にあり/2日・柔よく剛を制す/3日・早起きは三文の徳/4日・急がば回れ/5日・残り物には福がある/6日・実を見て木を知れ/7日・一寸の虫にも五分の魂などと書かれています。
さて1月8日は?とめくってみると今日の故事ことわざは「山椒は小粒でもピリリと辛い」でした。よく聞く言葉なのですがさて本当の意味はとなるとかなり奥が深いようです。毎日書いている私のブログも3年余りが経ったので、捨てる運命にあったカレンダーの中からせっかく命拾いをして私の手元にきたので、これ幸いと受け止めて故事ことわざに少しふれてみようと思った次第です。
山椒は七味トウガラシやワサビとともに日本独特の香辛料です。七味やワサビに比べ普通料理には余り使わないものの緑の葉っぱは澄まし汁や山菜の木の芽あえなどの料理に使われてその存在感を発揮します。一方山椒の実は粉にして七味と同じような小瓶に入れられていますが、土用丑の日に食べるウナギのかば焼きにはなくてなならない香辛料なのです。私は今まで山椒を辛いと思ったことは一度もありません。ゆえに山椒が「ピリリと辛い」という表現は首をかしげたくなるのです。そこへ行くと鷹の爪の種などは歯でかむとピリリと辛いという表現ぴったりなのです。
まあ山椒を人間に例えた言葉なので、小さくても存在感のあるような人間でありたちという意味は分かるのです。私は仕事がら色々な場所で色々な人に出会います。地域づくりの世界は名刺や肩書きが比較的物を言わない世界なのですが、それでも財力や権力にまかせた人を見るとうんざりするのです。そこへゆくと意外な場所で存在感のある無名ながら意外な人に出会うのです。まさに山椒は小粒でもピリリと辛い存在の人なのです。私もそんな人になりたいと思いますが残念ながらその道は険しくて遠いようです。
昨年新潟湯沢の駅構内にあるポンシュ館の高村秀夫さんにお会いしました。ほくとう総研の清水研究員さんの仲介で偶然にも出会いましたが、どうやらこの方もピリリと辛い存在のようです。偶然でしょうか、ここまで文章を書いた時私の携帯が鳴りました。何と高村さんからなのです。新潟に八海山という銘酒の蔵元があるのですが、そこへ話に来ないかというお誘いでした。「えーっ、こんなことって本当にあるんだ!」と「驚き桃の木山椒の木」でした。登れない例えとして「山椒の木に登る」という言葉も思い出しました。「山椒大夫」という悲しい物語を思い出しつつ、さて明日はどんな故事ことわざに出会えるやら・・・・・。今から楽しみです。
「ゴミの中 命拾った 日めくりの 故事ことわざに 挑んでみたい」
「山椒を ピリリ辛いと 思わない それでも俺も そんな男に」
「世の中は 不思議なものだ 名前書く すると携帯 嘘?か本当?か」
「スタンドの 社長に感謝 油入れ 実はしかじか 窓越し話す」