○これが私の初夢か?
今朝浅い眠りの中で夢を見ました。布団の中で見る夢はいつもつじつまが合わないもののようです。歴史上の人物と友人が一緒に出てきたり、まるで架空の物語のようでした。夢から覚めて思い出そうとするのですが、これがまた中々思い出せないのです。
結論からいえば「お前は何をしに生まれてきたのか」という問いかけでした。人間は愚かな動物でできもしない見果てぬ夢を見ながら生きています。何度か挑戦するも夢破れ、夢はだんだん小さいくしぼんでより現実的なものとなって生きて行くのです。
私の子どもの頃にはテレビがありませんでした。ゆえに憧れの人は坂本竜馬だのといった歴史上の人物だったりしました。それは本とてふんだんに買えなかった貧乏な私が、小学校の図書室で片っぱしから伝記物を読んだ影響によるものなのです。日本の歴上の人物から外国の歴史上の人物に移って行く中で、私は背表紙もなくなり薄汚れた一冊の本に出会いました。それが「ジョン・万次郎の生涯」という本でした。私は漁師の長男に生まれやがて漁師として生きる宿命みたいなものを感じていましたが、その本を読むうちに漁師でも太平洋を渡ってアメリカへ行けたら・・・なんて淡い夢を頭の中に描いていました。何度も借りて読む私の姿を目敏く悟った担任の先生は私の誕生日に、「ジョン・万次郎の生涯」という真新しい一冊の新聞紙に包んで私にプレゼントしてくれたのです。
もし私にこの本を先生がプレゼントしてくれなかったら、私の人生はこれほどドラマチックに生きれなかっただろうと思うと、今は亡き恩師に感謝せずにはおれないのです。ジョン・万次郎に憧れ、30歳で建国200年のアメリカへも青年の船で行くことができ、私の人生観を大きく変えてくれました。
今朝夢に出てきたジョン・万次郎が「お前は何をしに生まれてきたのか」という問いかけは、今日中に結論が出るものではありませんが、風邪で伏せっていた年末年始ずっと考え続けていたことでもあり、どうやらそのあたりが今年の自分の生き方の大きなテーマになりそうです。
いくら大きな夢を抱いてもこの年齢になるとやれることはたがだかしれています。しかしそれを言い訳に自分の夢を小さくする必要は全然ないのです。社会に漂う不況感や閉塞感を思うと、現実を生きて行くのがやっとで、夢など持ちようがないように思われます。でも歴史はいつの時代にもこのようにその時々の大きな悩みがまるで大きなうねりのように襲いかかってくるのです。ひるむことはなく新しい夢に向かって考えをチェンジしチャレンジすればチャンスは必ずやってきます。他人任せ流れ任せでいい人生もいい社会もないのです。
私は今朝の夢を初夢ととらえたいと思いました。
「何をしに 生まれてきたの?と 夢枕 ジョン・万俺に ささやき消える」
「ああこれが 初夢なのか 思い出す フイルム途切れ 思い出せずに」
「年末と 年始にかけて 伏せながら 枯野巡りた 意味が分かりて」
「よし俺も 今日から夢に チャレンジだ 歳など不問 動くあるのみ」