○作務衣
先日国立大洲青少年交流の家で開かれた地域教育実践交流会に参加しました。日ごろ青少年を中心にしたボランティア活動に取り組んでいる170人もの人が集まり、楽しい集会となりました。この集会を開くにあたり実行委員会が組織され、私も愛媛大学の讃岐先生のお声がかりでお世話人さんの末席に加わり、何度か実行委員会に出席して意見を述べたり、当日の運営に参加しましたが、今回も様々なことを学び意義ある参加となりました。
そんな中で私の思いと運営に携わる人の思いが少しずれていて思わぬ効果をもたらしたのが卓話でした。
私はライオンズクラブや倫理法人会早朝学習会などに呼ばれて卓話をすることがよくあります。ゆえに卓話を今回のプログラムに入れたらどうかと提案したのも私でした。それなら言い出しっぺのあなたがやるべきだといわれ、それなりの覚悟とまではいかなくても、軽い気持ちで引き受けたのです。卓話は一人だけでなく学校の校長先生でもある堺雅子先生を選んで、二人ですることに決まりました。それから何カ月かがあっという間に過ぎ去りました。先生は実行委員会の度に「若松さん卓話はどうする」と誘いの言葉があるのですが、私のイメージとしてはライオンズや法人会のように30分の与えられた時間にしゃべればいいと思っていたので、気にもせず当日を迎えることになったのです。前日事務局からメールが入り、「卓話は作務衣をするようになったのでそのつもりでお願いします」というのです。当日会場に行ってみると既にステージには炬燵まで用意していて、これでは卓話ではなく座卓の卓話、つまり対談ではないかと思いました。仕方がないのでいわれるまま校長先生と一騎打ちならぬ対談をさせてもらいましたが、私のイメージとはかなりかけ離れた結果に終わり、卓話を期待した人も多分「あれっ」と思ったに違いないのです。
私も校長先生も有無を言わせず作務衣に着替えさせられました。聞くところによるとこの作務衣は東南アジアで作られたらしく、HIVに感染した人たちの家族が収入を得るための手段として製作にかかわり、福祉ボランティア団体が販売してその収益金を送金しているのだそうです。
私は紺のM寸でぴったり、自分で言うのもおこがましいのですが、一度は着てみたかった服だけに体にフィットしてとても着心地がよく、一辺で気に入りました。しかし長時間着ていると私の白いシャツがみるみる紺色に変わり、私の手先も紺色になってきました。多分染めてから水洗いが出来ていなかったものと思われますが、まあそんなことは大したことではなく、家に持ち帰って2度ばかり洗えば色も落ち着いて藍染の渋い色が出てきました。
作務衣はもともと禅宗の僧侶が労働(作務)をする時に着る作業着のことですから、薪割りや畑仕事をするときだって着ればいいわけです。最近は作務衣は芸術家のような人が着ていて、それなりに文化を感じるのか、それなりの人が着て町を歩いているようです。わが21世紀えひめニューフロンティアグループの大野事務局長も盛んに愛用しているのです。
さて私は卓話というプログラムの思わぬ勘違いから作務衣を手に入れ、卓話のお礼にと校長先生と私の二人とも試着後いただくことになったのです。タダにはタダの礼という言葉があるように、私はこの作務衣の販売の手助けをしなければなりません。そこで考えたのはこの作務衣を着て、この上に塩崎さんに貰った三崎の裂き織袢纏を羽織って落伍をするという試みです。扇子も日本タオルも、ましてや高座の台までも全ていただき物で落伍は益々オーバーヒートしそうな雲行きです。
勘違いから出た誠とでも申せましょうか、作務衣は思わぬ方向へ向かいそうです。
「作務衣着て 卓話をせよと 言う人の 言うがままにて 卓話終わりぬ」
「作務衣着た お陰で作務衣 いただいた 広告塔にて 作務衣宣伝」
「作務衣着て 落伍をすれば 箔がつく 裂き織上に 羽織ってやろう」
「染物の 色に染まりし シャツズボン 妻に叱られ 自分洗濯」