○身近な晩秋の景色
楽しみにしていた11月の連休も、最後の日が雨にたたられながら昨日で終わりました。私のようなサンデー毎日な日々を過ごしている人間にとって昨日のような一日中の雨は、いい骨休めになるのですが、みかん農家やイベントを企画している当事者にとっては残念としかいいようのない恨めしい雨になったようです。
私は久しぶりに会議や出張のスケジュールもなく、今月初めて家でブラブラできる休暇となりました。今月はまだ一週間を残しているというのに島根県松江市、長野県木曽福島町、大分県大分市、島根県益田市、高知県芸西村など、県外にも度々出て結構忙しい日々を過ごしました。今週末には東京へ行きますので、自分の行動範囲がかなり広いことを実感しているのです。
昨日雨に濡れた家の周りの風景を見て少し驚きました。気がつかない間に家のすぐ前に見えるわが町のシンボル本尊山辺りはハゼやクヌギの紅葉が進んで見事な景色になって季節が動いていると実感できるのです。最近の里山は何処へ行っても杉やヒノキの植林が進んで常緑樹ばかりなので、季節感を感じられないと思っていましたが、こんな身近な場所にこんな素敵な風景があったのです。昔は植林もできない価値のない山だと思われ、車の入る林道や農道もなく放置されている山ですが、それがかえって一周遅れのトップランナーとなって自然林を残しているのですから、世の中は分らないものです。
今朝裏山に登ってみました。雨上がりのしっとり濡れた草を踏みしめながら小道を歩くと、急斜面に昔からある柿の木の実もかなり熟していました。私が収穫しないものですからヒヨドリなどの恰好の餌場となっているのです。遠くで鳴く野鳥の声が長閑に聞こえてきました。柿の実が葉を落とした木に残っている姿は晩秋を表現するにふさわしく、絵になる光景です。折角だからと柿の実を4~5個枝につけたまま折って持ち帰り、玄関先の大きな花瓶に活けてみました。部屋の中へ秋の風情を持ち込んでみたのです。しかし残念がら華道など知らない無趣味な私には上手く表現できませんでしたが、妻は「まあ綺麗」と褒めてくれました。
私のブログ「shin-1さんの日記」にも度々登場するわが書斎の前に置かれている庭石に張り付いて生きるシノブもすっかり紅葉し今は秋の色を見事に表現してくれています。朝な夕な書斎の窓越しに見えるシノブは、私に季節の移ろいを感じさせてくれる道具立てかも知れないと思いました。葉を落とした丸裸の冬、燃えるような芽吹きの春、緑濃く生い茂る夏など、たったひとつの庭石と植物が織りなす詫寂の世界なのです。この庭石に昨冬は孫朋樹と割りばしに輪切りのみかんを置き、野鳥の餌付に挑戦し、メジロやヒヨドリを呼び寄せ、野鳥観察までしましたが、今年もそんな冬の楽しみも味わいたいと思っています。
季節は確実に寒い冬へと向かっています。今朝の裏山から遠望する瀬戸内海は漁船が出漁するエンジンの音も賑やかでした。
「晩秋を 庭に見つけて 写真撮る 間近な冬を 感じさせつつ」
「時流れ 職辞してから 早四年 仲間はすでに あの世旅立つ」
「ヒヨドリの 声も長閑けき 裏山に 登りでハゼの 赤き下行く」
「雨あがる 濡れ草踏んで 路歩く 長靴の中 少しひんやり」
賑やかでした。