○私は若松の親戚です
私が住んでいるのは平成の大合併で再編されたと言いながら、松山市内の一校区にも満たない伊予市という4万人足らずの街です。しかもその中の人口5千人足らずの双海町という所です。私はこれまで物心ついてからずっと「愛媛県伊予郡双海町の若松といいます」と自己紹介していました。ところが3年半前に合併したため自己紹介では「私は愛媛県伊予市双海町の・・・・」と言わなければならなくなりました。伊予郡という呼称はもう小林旭の「昔の名前で出ています」という歌の文句と同じようになってしまい、双海町という自治体は地図上から消えてしまったのです。でも合併の折旧町名を残したためかろうじて、双海町という名前は使えるのです。
そんな小さな田舎町に住んでいますが、「若松さんは若松○○さんと親戚ですか?」と言われることが時々あります。その都度記憶を蘇らせて、あの人はと親類の糸を手繰りながら「私の父方の従兄でして」と説明をするのです。実は田舎というのは同じような姓に家が沢山あるのです。私の親父も12人兄弟の長男ですし、その親父の親父、つまり祖父の代を含めると数えきれないほど「若松」という姓の家が町内にあるのです。でも同じ若松という姓でもまったく関係のない家もあるのですから、余程日頃からルーツを知っておかないと、間違いも起こるようなのです。その例は、私の町内に「わかまつしんいち」というひらがなで書くと同姓同名の人間までいるのです。その人は若松新一と書いて「わかまつしんかず」と呼ぶのですが、若松新一は「わかまつしんいち」とも読めるため、手紙や宅配便の誤配がこれまでにも何度かありました。まあ若松新一さんは私の従兄なので笑ってすまされますが、時々とんでもないハプニングが起こるのです。
田舎に行くと3つ~5つくらいな姓しかなく、「○○さん」と言って姓だけいっても言葉が通じないことがよくあるので、特に島に行くとそんな混乱がよくあるようです。
私は全国や県内をくまなく歩いているので、それなりに名前が知れ渡っているため、親類の若松さんや他人の若松さんは時々前述のように「若松進一さんと親戚ですか?」聞かれるそうです。その都度「あの人は親戚の~」とか、「あの人とは親戚ではないんです」と説明するのですが、面倒くさい時は「親戚です」いってしまうことだってあるようです。特に「あの人が親戚だと言っていた」という話を聞くと、むげに「他人です」ともいえず適当にお茶を濁してしまわなければ相手に失礼なことだってあるのです。
何年か前親父と話していると、「親戚から親戚と言ってもらえるような人になれ」と言われました。もし私が何か過ちを犯し新聞やテレビ沙汰になったら多分親類の人は「昔は親類でもあの人とは付き合っていないので」と、私との関係を否定するでしょう。ところが私が何かいいことをすればたとえ親類の縁が遠くても「私は登園にあたります」と言うに違いないのです。親父の諭しの言葉は後者の人間になるようにとの言葉と受取今日まで一生懸命生きてきましたが、はてさて親父の言うような人間になり得たかどうかは未だに疑問の残るところです。これからも「若松進一さんと親戚です」と胸を張って言ってもらえるような人間を目指したいと思っています。
「親戚と 言われるような 人になれ 親父諭され 今日まで生きた」
「若松の 姓を名乗って 六十年 双海冠 少し小声に」
「市民だが 未だに旧町 名乗ってる そろそろ改名 昔の名前」
「若松と 言っても姓が あり過ぎて しんいちさえも 同姓同名」