○やっと肩の荷が降りました
あれほどみんなが熱中して、あれほどみんなが心血を注いだ全国大会が全て終わり、どこか心にぽっかり穴がいたような一両日でした。私にとっては10月18日と19日、松山市で開いた青年の船の班長会も、11月13日と14日、15日、宇和島を主会場に開かれた地域づくり団体交流研修大会も、これまでにない全国の人を相手の大会で、しかも多くの人を全国から迎え入れたものですから想像以上心配して、想像以上に力を注ぎました。多分そのためでしょうが、想像以上に大きな感動を得たようです。
私はこれまで役所に35年間勤めていたこともあって、全国大会と名のつく集会や会議には数えきれないほど参加してきました。しかしその殆どは司会や助言、基調講演、パネラーなどの出番はあっても、自らが主催するような大事業はありませんでした。勿論今回の青年の船班長会や地域づくり団体研修大会もそれなりの団体や事務局があってしっかりと下支えをしてくれたので、私は飾りのようなものでしたが、それでも責任の重さはあるのですから、周りはどう思っているか分かりませんが自分なりに一生懸命やったつもりでいるのです。多分自分の置かれている立場を考えるとこれから先に、このような責任ある仕事はもうないだろうと思うのです。
昨日旧友から相次いでメールが入りました。青年の船の班長会で31年ぶりに再会した仲間と、地域づくり団体交流研修大会で25年ぶりに出会った仲間からです。31年ぶりに出会った仲間からは、人生の岐路とでも言うべき60歳の坂を越えた今、31年前に青年の船に乗って太平洋を渡りアメリカやメキシコを旅したことの意味が連綿と綴られていました。彼がそうであるように私にとっても青年の船で建国200年のアメリカへ行ったことは、自分のそれまでの価値観を根本から変えるような大きな旅でした。自分のこれまでの人生を振り返っても、もしあの経験がなかったらこうまでも楽しく生きれなかっただろうと思うのです。人間はそれぞれの人生に見合った大きさの世界に生きています。杯ほどの小さな世界もあれば丼鉢のような世界もあるでしょう。また風呂桶や琵琶湖のような大きな世界があるかも知れません。私の場合はそれほど大きくはないものの、それまで杯だった世界がいきなり風呂桶のような世界になったのですから大変な変わりようでした。お陰で自分の世界が今でも風呂桶のような大きさになっているのですから有難いことなのです。
地域づくり団体交流研修で25年ぶりに出会った人は、まだ私がまちづくりという世界に入門した頃でした。その人はすでに私とそんなに年齢は違わないのに、まちづくりの世界では有名になっていて、何かと目をかけご指導をいただきました。まちづくりに対する彼の姿勢への憧れもあって、何度となく出会いましたが、その後音信も途切れがちとなり、お互いの記憶の中でのみの知り合いが長く続いていました。
「全国大会にいくから」といきなり1ヶ月前にメールが入り私をあわてさせましたが、彼は元気な姿で愛媛入りし再会を喜びました。「上は来ず、中は日帰り、三日泊まりの下下の下の客」といわれるとおり、再三の誘いにも応じず去って行きましたが、別れ際に引き時の話をしました。そろそろ引き時かなとも思いつつ、彼の顔を思い出しているところです。
相次いで入ったメールに近況をしたため返信しました。この二人には遠方ゆえもう会えないかも知れません。でも今年一番のビッグな出会いが降って湧いたように31年目、25年目に実現したのですから、密かに再会を楽しみにして生きてゆきたいと思っています。
「この二人 俺の人生 語る時 なくてはならぬ 思い出の人」
「忘れてた 記憶の彼方 呼び戻す 二人相次ぎ 便り届きぬ」
「忙しく 過ごしただけに どことなく ぽっかり穴が 空いたようです」
「盃の ように小さな 俺だった 今は風呂桶 なったようだが」