○親父の大工仕事
何日か前、先日全国から仲間を集めて青年の船班長会を松山で催した折使った16ミリフィルムを視聴覚ライブラリーに返しに行くついでに、四国遍路札所のある寺山門近くの骨董屋に立ち寄りました。この店の主人夫妻とは馴染なので、前触れもなくぶらり立ち寄るのですが、ご夫妻は家にいない時が多く空ぶりも時々あるのです。この日も近くまで来たついでにくらいな軽い気持ちで立ち寄りました。人の気配がするのにチャイムを鳴らしても気がつかないのか、中々出てきません。そこで失礼とは思いながら裏の庭先から声をかけつつ中に入ると、ご主人が出てきました。奥さんはあいにく留守でしたが、立ち話をしながら繁雑に置いている骨董を見せてもらいました。私も骨董屋には時々顔を出しますが、この骨董屋は整理が苦手なタイプのようで、1年前に出かけた時も同じような雰囲気でしたから余り品物が動いてないような気もしました。しかし品定めする方は案外こんなお店の方が掘り出し物に出会うことがあるのです。
(屋外に作られつつある室内展示室、今は昔の手動ポンプが展示されている)
前回出かけた時は汽船に使う霧笛(フォグホーン)を見つけました。今回は小さな木の火鉢が目につき、自分の浅はかな目効きで調べましたが、かなり古いもののようなので少し高いと思いながら小遣いの範囲内なので購入することにしました。ご主人がお礼にと井戸の釣瓶を汲み上げる鉄製滑車をくれました。そこへ奥さんが帰ってきてまた雑談に講じながら大谷焼の壺を値ぶみしました。これも欲しいので買うことにしましたが、残念ながら乗用車には積むことができず、次回トラックで取りに来る約束をして売約済みとしました。
私は親父と同じく親子二代にわたって骨董品の趣味があります。多分親父の影響でしょうが、そのため家には所狭しと骨董品が置かれているのです。家族からはこの趣味は不評で何年か前、倉庫を改造してそこにまとめて置いたため、家の中はすっきりしました。しかし好きなだけにあれからも幾つか珍しいものが増えて、また置き場が狭くなってしまいました。
私が骨董品を収集するのは母が亡くなって寂しくなった親父の気慰みのつもりで集めている親孝行のようなものなのです。親父は息子の私が言うのも何ですが、先ほど紹介した骨董屋さんとは違ってかなり綺麗に整理するタイプなので、収集している品物はそんなに高価なものは殆どありませんが、どこか気品があるのです。親父は私が手に入れた骨董品をしっかりと磨き相応の展示をするのです。今回の木製火鉢も取って帰った時とは見違えるほどに手入れをして展示に備えているようです。
4日ほど前隠居へ行くと親父がこの火鉢の置き場所がないので、屋外の倉庫を改造してそこへ置きたいと唐突にいうのです。余り反対すると血圧が上がってもいけないので、しぶしぶ了解しました。するとどうでしょう。さっさと自転車に乗って近所の金物屋さんに出かけ、材料を運んでもらって着工したのです。
私はこの4日間、島根県や宇和島市などへ続けて出張をして家を留守にしていました。今朝出帳から帰って倉庫辺りに出かけてみると、なんとまあ、すごい勢いで工事は進んでいるのです。とても90歳とは思えないような仕事ぶりに、家族も近所の人も驚いているようでした。
妻はこの工事のことを知らないため、「お父さん、おじいちゃんがまた何かを始めたようですが知ってるの。するのはいいが、また足が痛い腰が痛いというと後が大変なので甘い無理をしないように言ってください」といわれました。いくら同じ敷地内に長年住んでいてもそこは義理の嫁と舅の関係です。お互い遠慮もあるのでしょうが、「病気で寝たっきりよりましだから、好きにさせた方がいい」と、やんわり両方の間を取り持ちました。
あなたは少し体力の衰えを感じる歳なのに、おじいちゃんは果たして何歳まで生きるのかしら。ひょっとしたらおじいちゃんの方が長生きするかも知れない」とは妻の弁です。若くしてガンにかかり一命を取りとめた親父はひょっとしたら100歳以上生きるのかも知れないと思いつつ、妻が心配する自分の体を少し心配するこの頃です。
「おじいちゃん 何か始めた 知っている 妻の言葉に ついついハッと」
「歳とって 活き活き生きる 親父見て 俺も気力と 体力つけて」
「足腰が 痛いといいつ よく動く パンを二枚も 朝食う訳だ」
「骨董を 集め集めて 資料館 自分が骨董 なってる知らず」