shin-1さんの日記

○老い先短い人生笑って生きて行きましょう

 わが家は長年地元紙といわれる愛媛新聞を取っています。別に理由はないのですがまちづくりに深く関わった仕事をしていると、どうしても県内のニュースが欲しいのです。確かに中央紙に比べると国内外のニュースは乏しいのですが、それをカバーできる県内のニュースが盛り沢山で、特にわが町が紹介されている記事はおびただしいもので、私のスクラップ歴は倉庫にしまっているだけでも相当な数になっていて、そのうちプレミアがつくのではないかと思われるのです。

 わが家には毎朝午前6時ころに新聞が届きます。新聞受けならぬ郵便受けに新聞が入る奇妙さですが、この時間は朝一本と決めているブログの書き込みが佳境に入っている時間なのです。新聞がポストに入る音がすると一旦パソコンの前を離れて新聞を取りに行きます。そしてざっと新聞に目を通し、再びブログ画面に戻るのです。

 そのうち妻が台所から「ご飯ですよ」と呼びに来て、食卓に新聞を広げ読みながら食事をするのです。「ご飯を食べながら新聞を読むのは止めて 」ともう何十回も注意をされましたが、癖は直らず今では妻も諦めているようです。一週間に一度文芸欄に川柳が出ます。投稿者の中には知人友人もいて、その度に「どこの誰々」と注釈をつけながら妻に読んで聞かせるのですが、今朝も松山市中島町の古野セキヱさんの句を読んで聞かせてやりました。古野さんの今朝の句は「ちぐはぐな 漫才をする 老いふたり」でした。確かに置いた二人に話は犬も食わないものが多くまるで漫才のようかも知れません。歳をとるとともに話題も頭髪・足腰ひざ・耳・目・歯などの衰えや食べ物・年金・孫・近所のうわさ話など、狭い範囲の話題やニュースに集中するようです。それでもそれを話題にして句を作り投句するとは粋な年の取り方です。

 早速久しぶりに古野さんに電話をかけました。電話口に出た古野さんは元気そうでした。句の批評をまるで評論家のように話しました。彼女もご主人も喜寿が近いようでした。お互いいきなり電話しても阿吽の呼吸で話せるのですから素晴らしいことなのです。

 「私は他は不足はないのだけれど脛が痛くてね」というから、「あんたは脛が悪くても顔がいいから、そのことを川柳にしたらどう」と話しました。「そう思っていても自分では顔がいいなんて言えません」というので、「脛悪い 顔がいいねと 人が言う」てなのどうかと、即興川柳を披露してあげました。「相変わらず楽しいねあんたは」と話は大笑いで終わりました。

 人生は色々と島倉千代子が歌っています。苦虫噛んで生きるのも一生、笑って楽しく生きるのも一生ですから、せいぜい笑って生きて行きたいものです。


  「川柳を 読んで聞かせて 妻笑う 友は人生 楽しく生きて」

  「ああ俺も あやかりたいと 思いつつ 笑売啖呵 四首 作りぬ」

  「元気かい 元気ですよと 跳ね返る 電話の向こう 今日も晴天」

  「人は皆 何か悩みを 持って生き 笑い飛ばせば 悩み吹っ飛ぶ」 


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shin-1さんの日記

○孫の誕生はまだかな

 昨日は長男の嫁の出産予定日でしたが、初産に引き続き今回も出産が遅れそうな雲行きです。嫁の実家も私たちも嫁の出産を心待ちにしているため、外から電話がかかれば「もしや?」と、電話がかかる度に一喜一憂しているのです。昨日は愛媛海区漁業調整委員会の委員をしているため、会議に出席するため愛媛県水産会館へ出かけましたが、途中息子の家に立ち寄りました。1年9ヶ月になる孫希心は出産が予定されているため、4月から近所の保育園に通わせていてあいにく留守で、嫁のあゆみさんが一人いました。

 息子も仕事に行っていたので久しぶりに二人水入らずで色々なことを話しました。出産のこと、子育てのこと、夫婦のこと、将来のことなどなどをしっかりと受け止めて暮らしている様子を聞いてひと安心しました。

 話の中では出ませんでしたが、やがて近い将来私たち親と双海町で同居する話が水面下で進んでいます。私たちは勿論91歳になる親父もそのことを望んでいて、親父からは「同居はいつごろから」と、老い先を考えてせかされていますが、息子と地にとってもそれ相当の覚悟と決断が必要なだけに、一つの目安として孫が小学校に入学する時期を選ぶことも考えているようです。

 息子は設計の仕事をしているので、2世代同居となると家の改造も考えなければならず、私たちが同居した時代とは随分考えを変えねば、お互いがいい家族の人間関係を保てないのです。妻は大家族の中で苦労してきただけにそのことに特に敏感で、息子や嫁の立場をしっかりと考えているようです。いずれにしても、孫の誕生を機にそろそろ同居の話を再燃させたいと思っています。

 昨日は実のところ、嫁あゆみさんの大きくなったお腹の姿を写真に撮りたくて伺ったのです。まるで大相撲の関取のような腹をしている妊婦に、「写真を撮らせて」といったら、例え親子でも「嫌よ」と拒否されるかも知れないとビクビクしながら切りだしました。「そういえば写真に撮ってなかったね。いいですよ」と簡単に応じてくれました。

若松進一ブログ
(堂々とした嫁あゆみさんの姿)

 どうです、この堂々とした姿。私はこの写真は大切にしておきたいと思うのです。というのもやがて生まれてくる孫が大きくなったら、「お母さんのこのお腹の中にお前がいたんだよ」、「お母さんはこうしてお前を産み育てたんだよ」と言ってやるための証拠写真にしたいのです。

 私たち人間はいつの間にか勝手にこの世の中に生まれてきたような錯覚をしていますが、人間が一人生まれるために母親はこんなに大きな仕事をしているのです。そのことを思うと母親に感謝しなければならないのです。「産んでくれと頼んだ訳でもない」と親をののしるような子どもにだけはなってほしくないのです。


 「大潮なのでもうそろそろ」と妻はいいます。人間は海から誕生した数奇な運命を持っています。そのため月の引力や潮の満ち引きなどは人間のバイオリズムを支配しているとまで言い切る学者もいるほどですが定かではありません。でもデーターだと大潮の出産事例が圧倒的に多いようだと授産師さんから聞いたことがあります。いずれにしても遅かれ早かれ生まれるのですが母子健康で孫が生まれることを心から願っています。


  「まだかいな 電話が入る その度に 一喜一憂 嫁の出産」

  「拒否もなく すんなり妊婦 写真撮る 大きくなったら 見せてやりたい」

  「同居する タイミング何時 親父聞く これはそったく 自分だけでは」

  「出産が 間近になって そわそわと 当の本人 意外冷静」

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