shin-1さんの日記

○孫と二人でピクニック

 「おじいちゃん行こうよ」、そういう孫の言葉に引っ張られて今日は孫と山の家へ出かけました。山の家と孫が呼ぶ家は人間牧場の水平線の家のことです。妻の愛車の軽四にお菓子とお茶とデジカメを乗せていざ発信、孫は「出発進行ー発車オーライ」と威勢のよい掛け声です。海沿いの道沿いには満開に近い桜の帯が何処までも続いています。この桜は20年前青年会議がまちづくりの一貫として辺り構わず植えたものです。枯れたものもありますが、風雨や潮風に耐えて根付き今では立派な花を咲かせて道行く人の目を楽しませています。

 孫に「この桜綺麗でしょう」というと、孫は「なんで綺麗の」「どうしてここに花が咲くの」とうるさいくらい聞き返してきます。大人の世界だと「綺麗なもには綺麗」「花が咲くのに理由がいるか」と反発しかねないこの聞き返しの言葉も、「ああ知恵が付いてきつつあるなあ」と思わず目を細めるのです。でも「何で」「どうして」と問われても答えられない事だってありますが、「おじいちゃん何でと聞きよるんよ」と追い討ちをかけられます。仕方がないので適当に答えるとえらい失敗をする事だってあるのです。

 今日は水平線の家の鍵を昨日息子が松山まで誤って取って帰ったため、鍵が開くか心配でしたが、取っておきの道具でピッキングし鍵を開けて中に入りました。備え付けのハーモニカで海と夕焼け小焼けを吹いてやると孫は大きな声で「♪海は広いな大きいな♪」「♪夕焼け小焼けで日が暮れて♪」を歌いました。おじいちゃんと孫の歌声とハーモニカのコラボレーションは最高の盛り上がりです。お互いが「じょうずじょうず」と拍手をしあいました。お礼にお菓子をプレゼントし二人でかくれんぼをしました。かくれんぼと行っても、一部屋の部屋の中なので隠れるところはないのですが、二階のロフトに上がる収納階段をセットすると、さっきまで怖がっていた二階へどんどん上がっていって「もういいよ」と言うのです。面白さは恐怖心を隠したのでした。

 途中からは持参した絵本を孫は読み、私は7つの習慣という本を読みました。孫は読むというより捲るという感じですが、それでも椅子に座って何やら本を捲っていました。昨日の雨もあがり外は春霞、ちょっと肌寒い感じもしましたが、思い切って戸を開けウッドデッキに出て遊びました。悪さをする啄木鳥が相変わらず東隅の外壁をトントンとつついていました。孫は双眼鏡でバードウォッチングの真似事をしていたようですが、間抜けな鳥はいませんから、結局は逃げられてしまいました。帰りに潮風ふれあい公園の桜と、お目当ての消防自動車、滑り台に乗って楽しいピクニックを終わりました。孫のもりも正直疲れます。はい。

  「じいちゃんと せがまれ山へ ピクニック ハーモニカ吹き 歌のコラボレ」

  「山の家 隠れたつもり 尻が出て それでも孫は 怖さ忘れて」

  「疲れます 孫のもりでも 重労働 これから長く 続く思うと」

  「はいポーズ 慣れた手つきで Vサイン 写真納まる 孫は可愛い」

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shin-1さんの日記

○明日はお節句

 私たちの地方では4月4日をお節句といいます。桜の咲くこの頃は春を待つ人間の気持ちを表現するように野も山もパッと明るくなったような気がします。お節句には巻き寿司を巻いてお弁当を作ってもらい野山に繰り出して友だちと花見をするのが慣わしでした。最近は車の普及や少子化、それにマイホーム主義の普及によって子供だけでそんな年中行事をすることもなくなりましたが、それはそれとして私たちにとってはよき思い出です。

 分業化が進み花見弁当さえも家で作らなくなったのですから、「母親の味ってどんな味」と尋ねられても一向に思い出せないのは親子の関係で少し情けない思いもします。私の母親が作った巻き寿司は未だに覚えていますが、アナゴの入ったとても美味しい巻き寿司でした。でも子供の味からすると三つ葉やニンジンは余り好きではなく、いつも食べ飽きたら最後は三つ葉とニンジンを抜いて空洞にして食べたものでした。

 今夕妻は仕事から帰って巻き寿司を巻く準備をしています。この忙しいのによくそんな気になるなあと思いつつも、ほのかなお酢の匂いが家中に漂い「ああお節句か」という雰囲気です。妻は古いタイプの人間でしょうか、結婚して30年も過ぎたというのに、毎年毎年この作業を飽きもせずにしてきました。最近までは民生委員をしているため自分の持分の独居老人の所へ2本ずつ配るほどの気配りを見せてお年寄りから喜ばれていました。最近は独居老人が増えさすがに配りきれないので止めていますが、それでも20本もの巻き寿司を作るのです。そして明日の朝は早起きをして父の弁当を作って持ってゆくのです。

 「お父さんちょっと」とさっき台所から声がして、味見をするよう頼まれました。妻は料理を作るのに軽量カップや量りなどは一切使わず目分量なのです。アバウトな感じもしますがこれでいて殆ど失敗をしないのですから偉いものです。時々そのことを尋ねますが、「そんなことしていたら、大家族には間にも拍子にも合わなかった」と過去の大家族やお客事の凄さを述懐します。

 今日の巻き寿司は案の定糸三つ葉が彩りとして使われるようです。緑色の鮮やかな三つ葉はまさに春の色、子どもの頃嫌だった三つ葉の苦味も今は風味として味わうことが出来るのですから、年齢によって味好みは変わるのですね。

 それにしても家で巻き寿司を巻くことすら珍しいことだと言われるようになりました。食の分業化が進んだのでしょうか、巻き寿司は完全に母の味ではなくお店の味に変わりました。また寒天を使って家で作っていた羊羹も家ではもう作らない、いや作れないようです。

 手作りはかえって高くつくと言われますが、私の妻のように寸暇を惜しんで作る巻き寿司はお金では買えない高価なものだと思います。明日は感謝をしながら巻き寿司をいただきます。

  「巻き寿司は 母の味から 妻の味 二代続けて 味わう楽しみ」

  「節句くりゃ 亡き母作りし 巻き寿司を 思い出します 俺も歳だわ」

  「いい香り 家中漂い 明日節句 つつましながら 巻き寿司妻が」

  「三十年 食べると妻の 味でさえ 飼い慣らされて 美味しく感じ」

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shin-1さんの日記

○煙仲間は今何処に

 私は公務員駆け出しの頃、教育委員会で公民館を13年間担当しました。将来は日本一の公民館主事になろうと固く心に決めて「朝は朝星夜は夜星、昼は梅干身は日干し」なんて笑い話のような話をしながら仕事に没頭しました。結果的には12年目に全国優良公民館職員の表彰を東京赤坂プリンスホテルで受けましたが、その頃一生涯を公民館に捧げようと仲間数人で心に誓い、煙仲間という主事集団を立ち上げました。私たちの集団に見習えと麦だの海武士だのという集団が県下各地に生まれ、競い合っていい発想の仕事を実践したものです。

 あれから30年余りが経ちましたが、煙仲間に所属していた人たちもそれぞれの職場に赴き、最近は人事異動の末尾退職の欄に寂しそうに名前が載っているのを見かけるのです。みんな最後は課長や課長補佐でなどの管理職的名前をいただいているのですが、あれ程燃えてた仲間も、左程の出世もせず雑踏や時代の流れの中に消え行く運命にあるのだと思うと、何か悲しくも寂しくなるのです。

 昨日お寺さん参りに出かけ、帰りに高速道路のサービスエリアで偶然にもかつての煙仲間の一員に会いました。私「おい元気か。今度退職じゃそうなが」、友「ああやっと退職した」、私「これからどうする」、友「これから少しゆっくりしたい。旅行でもしようと妻と二人でこれから大阪へ行く」、友「ところでお前はどうしてる。時々新聞やテレビで活躍の様子は見ているが」、私「一足先に自由人になって全国を講演行脚で回ったり、大学へ教えに行ってる」、友「お前はいいよな、羨ましい。俺なんか今日から何もすることがない」、私「家は百姓じゃあないのか」、友「畑など全然ないからな」、私「近々集まって一杯飲まないか」、友「そうしよう。じゃあ先を急ぐので元気でな」、なんて月並みな会話をお互いが交わして去って行きました。

 こんな会話をする度に、少々幻滅、少々憂鬱な気持ちになります。これから始まるであろう第二の人生を思うと、まるでマッチの燃えカスのようで寂しくて仕方がありません。燃えカスはくすぶる余力さえも見えないのですから・・・・。彼が言うように私はひょっとしたら幸せ者かも、いや本当に幸せ者かも知れません。こうして団塊の世代といわれる人たちに混じって煙仲間たちもいよいよリタイアです。私は彼らの目標になる必要も彼らを立ち直らせる義務もないのですが、せめてあれ程燃えてた人たちですから、もっと燃えて欲しいと思います。私はかつて青年団活動を終えた若者たちが何もしないことに危機感を募らせ21世紀えひめニューフロンティアグループを立ち上げました。結果は様々な社会への揺さぶりや自立に繋がりました。煙仲間もそうあって欲しいと願っています。人間牧場へおいでよ。素敵な生き方をしている私に出会えるから。

  「明日から 何もすること ないですと 情けないかな 退職の日に」

  「ねえ奥さん あんたのご主人 危ないよ このまま過ごすと 早く冥土イン」

  「あれ程に 夢を語った 仲間たち 定年退職 ゴミのようです」

  「俺を見ろ 生き生き輝き 生きている 人間牧場 人気澤山」

  

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shin-1さんの日記

○同行四人の旅

 昨日は久しぶりにブログを書く時間がありませんでした。朝5時に起きて家を出発し、夕方9時過ぎに我が家へ帰るまでずっと愛車の運転をしていました。その距離400キロ余りで、四国八十八ヵ所のうち10ヶ所ものお寺を回ってお参りをして来ました。しかも同行二人の私とお大師様に加え妻と3歳の孫の合計4人(実際は3人)の旅でした。早朝5時に起されて母親と別れるのが辛いと眠い目をこすりながら泣きじゃくる孫をなだめて後部座席のチャイルドシートにシートベルトでくくりつけ、伊予市から高速道路に乗って一路高松を目指しました。高松周辺には沢山のお寺さんがあって、この殆どのお寺にお参りしてないので82番の一宮寺から逆打ちで回りました。昨日は春の雨が時には優しく時には激しく降る中でのお参りでしたが、それでも午後は時折陽も射してやわらいだ温かさに誘われながらいいお参りが出来ました。

 カーナビゲーションをウン10万円もかけて装備したのは5年前、本当は八十八ヵ所参りのためだったのですが、あれから5年も経つというのに、一度もその目的で利用していなかったのが不思議なくらいです。早速目的地のお寺さんの電話番号で入力すると、道順がはっきりと表示しされ、おまけに音声サービスまで付いてきる優れものに昨日は一日中大助かりでした。

 途中のパーキングエリアや門前町のお土産屋さんなどに立ち寄るものですから後部座席の孫も上機嫌で、喋ったり食べたり、時には大きな声で歌ったりと、まるで遠足気分のルンルンです。孫のために用意したお菓子やクーラーボックスの飲み物が胃袋に入ると孫は時々お昼寝で、起すのも悪いと思い、2つのお寺は本堂まで近いこともあってロックして2人で後ろ髪を引かれながらお参りしました。

 納経帳と掛け軸にそれぞれのお寺さんの納経所で書いてもらうのですが、それぞれのお寺さんの対応が違うのも面白いものです。愛想よく声を掛けてくれるお坊さんもいれば、無愛想な女性もいました。納経超は3百円、掛け軸は5百円ですがこれもお参りの証だと思い実行しています。時折同じコースで回る団体客のバスと出会うと、先か後では時間的ロスが大違いです。でも優しい人だと「お先にどうぞ」などと気配りしてくれたりもします。

 お寺参りは修行の一つなのでこれも仕方がないことなのでしょうが、お寺さんはバリアフリーではなく階段や坂がやたらと多い事に気付きます。中高年令の膝や足が悪い人にとってはこれがかなり難儀なようで、後ろ向きではいずるような姿は何とも心痛む光景です。根来寺では何を思ったのか孫がおばあちゃんの手を引いてあげていました。おばあちゃんは嬉しくなって「パワーを貰った」と頭を撫でてくれました。最後の雲辺寺は突風で山頂までのロープウェーがストップしたとかで納経に間に合わないこともあって断念しましたが、帰りには温泉につかり遅い夕食を済ませ、三日月と星の綺麗な空を眺めながら家路に着きました。

 今日から一週間は孫も春休み、これまで通っていた保育園を卒園し、新しい幼稚園に変わるのだそうです。したがって昨日から夜勤の娘から孫を一週間預かることになりました。嬉しいやら大変やらで気のもめる一週間になりそうですが、嬉しさだけにしておきましょう。

 昨夜は孫を寝かせるため「おじいちゃんと寝る」という孫の足を股に挟んで「おじいちゃん温かい」という孫に添い寝の夜でした。孫が寝たらブログでもと思っていたのについつい眠ってしまい朝を迎えました。

  「雨の中 同行四人の 寺参り 大きな傘を さす孫歩く」

  「この辺り 桜蕾は まだ固く 綺麗だろうね 咲く日話題に」

  「カーナビの 案内通り 寺参り 迷うことなく 何と十ヵ寺」

  「孫と妻 それにお大師 様と行く 春の遍路は ウキウキ気分」

 

 

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