shin-1さんの日記

○ジャガイモの芽が出かけました

 私の予定表の記録によると2月18日でした。約8キロものジャガイモを小切りして開墾した人間牧場の畑に植えたのは・・・・。あれからもう2ヶ月近くが経とうというのに、少し離れた五右衛門風呂の高台から見るのにジャガイモの芽は一向に芽吹こうとしません。親父が私より後にわが家の畑に植えたジャガイモは順調に芽を出し早くも5センチくらい芽が伸びています。標高差100メートルの気温差はこうも遅いのか、それとも畑のあちこちに発見された足跡のような痕跡がいのししならば、種芋は被害にあっているかもしれないと要らぬ詮索をしながら畑へ降りてみました。綺麗に除草したはずの畑には草の芽が沢山出て、ジャガイモの芽などはどこにも見つかりません。でも目を凝らしてじっと大地を見てみると、かすかにジャガイモの芽吹きがあちこちに発見されました。多分全ての種芋が芽吹くとは思いませんが、この中の幾つかが育てば種芋代くらいの収穫はあるものと期待をしました。それにしても草の勢いは凄いです。3日前に行った時はそんなに目立たなかったのに一雨で青々と茂って春の力強さを感じさせてくれました。周りの山々からは早くもお百姓さんの草刈機の音が響いています。見渡すと除草剤の影響でしょうかみかん畑の草が黄色くなった所もあるようです。農家では環境に悪いと分っていても足りない労働力に対応する省力化の一貫として除草剤を使っているようです。わが人間牧場では環境は大きなテーマですから除草剤は使わない方針で進んでいますが、10年も草の実を落とし続けているつけは必ず返って来るものと覚悟しています。

 今日は絶好の天気なのですが北西の風が強くて少し肌寒い感じがしましたが、先日次男と下塗りした五右衛門風呂の外壁の上塗り防腐剤を塗りました。先日は大工さん専用の梯子を借りていたのですが工事が終わったためその梯子も既になくスチール製の脚立を代用です。二階建ての家くらいの高さの場所に水平線の家の外壁に塗った残りの色付き防腐剤を塗るのですが、これが難工事で高い脚立の上は足場が悪く、次男と私が交代で脚立を支え持ちながら慎重に作業を進めました。9時半から始めた作業は休むことなく12時30分ころまでかかりましたが、何とか綺麗に塗れて一件落着デジカメに完成写真を収めました。五右衛門風呂には天窓のガラスや入り口の板戸も入って、後は土止めのためブロックで囲って小さな倉庫の屋根さえ付ければ全ての作業が終わります。今回の第二期工事も予想以上の成果はありましたが予想以上の経費がかかって予算は益々ピンチになっています。運営や第三期工事のツr-ハウスのことを思うと何か予算確保の道を考えなければならないようです。

 先日奈半利町で知り合った高知大の堀川奈津さんが春休みの帰省中に人間牧場へやって来ました。雨の中を単車でやって来ましたが、水平線の家や水平線の家の中に置いてある坂本年男さんから貰って作った魚梁瀬杉のテーブルを感慨深げに見ていました。奈津さんも今年は3年生だそうです。今晩奈津さんのお父さんから電話があって色々と増すメサの将来について話をしましたが、春祭りの準備とかで少々酒

に酔ってのお話でした。いずれの親も子どもの将来は気になるものですね。

  「ジャガイモが やっと芽を出し 春が来た 人間牧場 四季の巡りが」

  「三人の 息子協力 やっとにて 牧場らしく あれこれ整い」

  「上塗りを かけて綺麗な 風呂が出来 間もなく風情 楽しみながらも」

  「あれこれと やればやるほど 金が要る 懐さみし 春風身にしむ」

 

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shin-1さんの日記

○産直市が増えました

 商店街の衰退と何か因果関係があるのか分りませんが、最近田舎の各地にやたらと産直市が生まれています。いかにも手作り、いかにも田舎という雰囲気をもろに出して、新鮮市、ぴちぴち市などの手作りのぼりがその雰囲気を盛り上げています。自分で作ったものに値段をつけて売るため商品には中間マージンがかからなにのですから市価より安く、しかも新鮮というのが売りでしょうが、最近はバーコードなどをつけて商品管理するなどかなり苦労や投資の後が見えるのですが、開店後一年が過ぎて行って見ると、かなり様変わりしている事に気付きます。運営が上手く行かず客足が遠のき止めてしまって安普請のプレハブ小屋だけが残っている所、客が付いて繁盛はしているものの明らかに産直とは違う外から仕入れたものが品よく並んでいる所、相変わらずみかん類が主流を占めている所など様々です。

 産直市を始めるに当って行政が補助金や助成金を出して建物を立て、農協や漁協が運営をバックアップしている所は上手く行かない場合はいつでも止めれますが、みんなが共同出資で始めた産直市は出資金を融資に頼っている場合も多く、止めるに止めれぬ事情があるものですから、色々な知恵を出して加工品を作ったりそれは大変な努力です。そうした本物の産直市は補助金や団体に頼らず「本物と真心」を売っているからお客さんも満足するのです。

 産直市の主役は田舎のおばちゃんが殆どです。これまで農家は親父が主役でおばちゃんは親父の言うとおりにすれば飯が食えたのです。ところが作れば農協が売ってくれ、作り方まで丁寧に農協が教えてくれていましたが、農協が広域合併して営農より共済や物売りに熱中し、米もみかんも脳居に任せていたら飯が喰えない時代がやってきたのです。当然生活を守る運動がおばちゃんを主役として農村に生まれました。これが産直市なのです。中にはパソコンを使って産直市を大々的にやってマスコミに取り上げられているものもありますが、おばちゃんが田舎の言葉で自分の作ったものを自信を持って手渡しする信用商売こそ小さくても本物だと思うのです。そんな産直市に行くとなんとなく気が休まるし、また来ようという気持ちになります。私はあまのじゃくでしょうか、そんなおばちゃんの店を応援したくて、大きなお店には殆ど寄りません。先日も南予のそんな店に顔を出したら「あっ、こないだテレビに出とった夕日の・・・・」なんて会話が飛び出して、買わんでもええものまで買ってしまいました。私しゃああまのじゃくです。はい。

  「これ上手い 言うから買って 食ってみた 本当に美味い 今度また買おう」

  「小の店 訪ねる俺は あまのじゃく 世間話が ほのぼのしてて」

  「産直と 言ってる割には 地のものが 揃っていない 看板偽り」

  「親父など 当てにしてたら 飯喰えぬ おばちゃんも一つ 踏ん張り生きて」

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shin-1さんの日記

○花見の乱れ

 今年の桜は実に長持ちです。普通の年だと一雨一風で散ってしまうのに、朝晩の冷え込みか満開宣言が出てしばらく経つというのにまだ見ごろで、あちこちでは花見を楽しむ人の群れが出来ているようです。昨日私たちの町の桜の名所八景山に登ってみましたが、田舎でもそこここにブル-シートを敷いて小さな酒盛りが開かれていました。そんな中見かけぬ集団が花見をしていました。明らかにルール違反の様子です。何とさくらの樹の下にこともあろうにコンクリートブロックを組んで焚き火をし、その上に金網を乗せ焼肉を焼いているではありませんか。満開の桜の樹は焼肉の煙で燻されているようでした。さらに自家発電機を持ち込みカラオケとボンボリまで付ける周到な準備です。察するに夜まで続けるつもりなのでしょう。

 こんな花見を見たらあなただったらどうするでしょう。多勢に無勢、多分見て見ぬふりをしながらすごすごと去ってゆくことでしょう。私は意を決して酒で盛り上がっている集団に分け入って行きました。「すみませんが、皆さんの責任者はどなたですか」と尋ねると、「おおわしじゃが、何か用か」と顔を赤くして立ち上がりました。「ちょっといいですか」と少し離れた場所へ連れ出して、「お楽しみのところ恐縮ですが、この公園では火を焚くことは禁じられております。また自家発電でカラオケなど他の花見客の迷惑になるので止めてください」と言うと、「あんた誰ぞな。何の権利があってそんなこと言うんぞ」と不快をあらわにして言うのです。「私は先日までここの管理をしていた元役場の職員ですが、公園はみんなのものです。ルールを守ってもらわないと困ります」とまくし立てました。側で見ていたグループの物分りのよさそうな中年女性がやってきて、「まことに済みません」と代表の人の手を引っ張るのです。そして、彼女は賑やかな席に割って入り「みなさんにお知らせします。この公園は焚き火は禁止だそうです。自家発電のカラオケも樹に取り付けたボンボリも除けてください。これからはマナーを守って桜の花見をします。いいですね」と仕切ってしまいました。

 花見に水を差した私、最初は息巻いたのに彼女の一言でしゅんとなった代表、私のはなしを理解してくれた物分りのいい中年女性、花見に水を射された烏合の衆など、それぞれの思いが交錯する結果となった花見を思い出しながら、日本人の花見のあり方に疑問を感じた一日でした。

 花を見てお茶をたしなむもよし、花を愛でながら酒を飲むもよし、はたまた花を季題や季語に一句詠むもよし、花の楽しみ方は人それぞれですが、せめて花の気持ちになることや他人のことを思いやるそんな日本人でありたいと思いました。先日原爆の後遺症を生き抜いた桜を増やそうと植えた広島の桜が何ものかによって折られる被害が出たそうです。常識では考えられない目に余る行動に心を痛めました。桜の花は長くても20日間、せめて散り行く桜の花に思いを寄せるような優しい日本人でありたいものです。

  「花見より 酒や焼肉 目当てでは せっかく咲いた 桜かわいそう」

  「悪いこと 悪いと諭す 勇気あり 何事もなく 済んでよかった」

  「あのおばさん 機を見て敏なり さすがだな 何処の誰だか 知る由もなし」

  「六十年 生きてて桜 これ程に 見たの初めて 少し余裕が」

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shin-1さんの日記

○何故・どうして

 孫の成長は私たちのような歳をとった者に比べ著しく、日々が進化でまるで雨後のタケノコのようです。この1週間、「何故・どうして?」の質問攻めに会いタジタジの毎日でした。「どうしてお空は青いの」とか、どうして花は咲くの」なんて言われても、「空は青いから青いの」、「花は春になうと咲くの」としか答えられないのです。ところがそんな訳の分らぬいい加減な答え方をしると、「何故」と二の矢三の矢が飛んできて丸でお手上げ、挙句の果ては「空は青いから青いんじゃあ」なんて開き直らざるを得ないのです。

 孫への答えは大人の言葉が通じませんから、3歳の言葉で分りやすく答えてやらなければなりません。この「分りやすい幼児語」がまたまた難しいのです。それでも納得したら何時までも覚えていて「人間は暗くなったら寝て、明るくなったら起きるのよねえ」なんて説明を、起きる前や寝る前に言って自分を納得させている姿を見ると、こちらも余程真剣に答えてやらないといけないと思うのです。この一週間昼寝をさせるのにこの説明が孫にはまた納得できない新たな問題なのです。「どうして明るいのに寝なければならないの?」、うんそれはね「・・・・・・・・?」です。

 昨日お絵かきをしていて、孫のリクエストに答えて私が得意顔で鯨の絵を書いてやりました。普通鯨は潮を噴水のように吹き上げる姿を書きます。案の定孫が「おじいいちゃん、鯨はどうして潮を吹くの」と質問しました。私は「鯨はね、人間と同じように昔は陸の上で暮らしとったんよ。ある日海に泳ぎに行って海が気に入って海で暮らすようになったんと。海の中ではイキをすることが出来ないから、時々海の上に浮かんでイキをするんよ。朋樹君もイキを止めてごらん。しんどいじゃろう」、イキを止めた孫は「うんしんどいね」、「おじいちゃん鯨はイキをするのにどうして水を出すの」、「・・・・・・?」です。普通だとここから大人のごまかしが始まるのですが、私は水産学校出身なので鯨の話は詳しく、鯨の潮吹きを何度も見ているのでそのことを詳しく話してやりました。

 鯨は哺乳類ですから肺で呼吸します。ですから定期的に海面に出て息継ぎをしなければならないのです。鯨の鼻孔は背中にあり海中に潜るとそのくぼみに海水がたまり息をするときその塩水を吹き上げるのです。でも鼻孔はそんなに大きくはないので貯まる塩水はそんなに多くありません。ですから勢いよく吹き上げたのは吐く息なのです。鯨の体温は常に38度くらいで人間とほぼ同じです。そのため吐く息は温かく、海水や海上の空気が冷たいと吐いた息が白く見えるのです。人間の息が冬白く鼻から出るのと同じ現象なのです。息継ぎの名人はマッコウクジラで時には水深300メートルまで潜り、1時間くらい息継ぎせずとも海中にいることがあります。しかし子どもの鯨はそんなに息がながくないので海面に漂うように泳いで、潮吹きもへたくそなのです。

 私の書いた噴水のような絵と説明に満足したのか、孫の鯨の絵には必ず噴水が出てきます。「何故・どうして」を繰り返しながら孫はこうして成長するのでしょうね。私ももっと勉強しておじいちゃんとしての説明責任を果たしたいと思っています。

  「どうしてと 言われてみても 言葉出ず ついつい首を かしげる私」

  「孫の書く 鯨の絵には 噴水が 爺の説明 納得したのか」

  「空は何故 青いのかしら 宿題を 貰った私 インターネットで」

  「俺だって どうして何故と 思いつつ 途中諦め 分らず終い」

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