shin-1さんの日記

投稿者: | 2009年2月18日

○一芸のできる人は身を助ける

 私は「無芸大食」といわれるように、何の芸当も出来ぬまま若い頃を過ごしてきました。私が若い頃にカラオケなんてものが流行し、凝った人は自分の家にカラオケのスタジオまで作り、仲間を呼び集めて主に演歌を歌って楽しんでいました。その流れは松山の飲み屋でも同じで、せっかく飲みに行ってもお互いの話が聞き取れないほどボリュームを上げたスピーカーから音が流れ、マイクを片手に得意になって歌っていました。そしておついしょ拍手とでもいうのでしょうか、時には下手くそだと思っても「上手い上手」とこれもおついしょで、拍手や言葉を送ったものでした。「今度はあんたの番だ」とせかされるのですが、残念がら18番の歌もなく、歌詞本をめくりながら、「望郷酒場」「味噌汁の唄」「昔の名前で出ています」を適当に歌ってお茶を濁していました。

 今もその流れは続いていますが、夏まつりともなるとカラオケ大会がつきもので、歌の分からない人たちが仕方なく審査員に名を連ねて座り、ビールのジョッキを片手に審査して、これまたカラオケが上手いと自負する人たちが町外からやってきて、自慢ののどを披露しトロフィーをかっさらって行くのです。私はその草創期に司会が上手いいということで司会を担当して、一度だけ役目がら出なければならなくなってみんなの前で歌ったことがありますが、司会ではあがらないのに歌で上がったことを記憶しています。

 あれから何年がたったでしょう。最近の飲み屋や飲み会もすっかり様変わりして、今はカラオケを歌う店はだんだん少なくなって、隣の席に座った仲間とお喋りをするまでに飲み屋の環境は回復して、いい酒が飲めるようになりましたが、皮肉なことに私は酒が飲めない体になったのです。

 さて私はこのまま歌を忘れたカナリヤになる運命でした。ところが息子が無造作に捨てた一本の、僅か15の穴のハーモニカのお陰で一芸を見つけ、見事に自分らしさを表現できるようになったのです。私はまるでフーテンの寅さんのように、そして旅芸人のように木になるカバンを持って相変わらず日本全国を飛び回っていますが、そのかばんの中にハーモニカを忍ばせ、講演の途中で下手くそながハーモニカを披露しているのです。私のハーモニカはカラオケと違って何の準備も要りません。アカペラと呼ぶべきかも知れませんが日本のハーモニカを使い分けて、人の迷惑など顧みず日本人の心の中に染み込むような、「赤トンボ」や「ふるさと」などを吹くのです。相手の顔触れを見て時には「ああ上野駅」や「南国土佐を後にして」なども吹きますが、みんな惜しみない拍手をしてくれるのです。時にはその拍手の多さを「アンコール」と勘違いをして悦に入って吹くのです。

 ハーモニカが吹けるようになって私も俄然集会が楽しくなりました。私がハーモニカを吹いていることを知っている仲間からは、時々リクエストがかかりますが、臆することなく挑戦しています。先日私の親友の高知県馬路村の山猿こと木下君が、マジックを披露してくれました。彼はなんにでも挑戦する積極人間で、目下のところ私の知る範囲では最も積極的な人間だと思うのです。マジックを始めてまだ一年だというのにもう村中をマジックで埋め尽くすほどの勢いです。マジックで村おこし?なんて聞いたこともないだけに、過疎で高齢化で少子化だと嘆く前に、こんな特産品?もあるのだと、他所も真似をしてほしいと思うのです。

 一芸は随分身を助けます。私もハーモニカのお陰でどれほど講演の幅ができたことか計り知れないのです。これからは人が真似のできないような一芸をしっかりとマスターする人を育成したいと、年輪塾で密かにたくらんでいます。一芸も出来ぬ人は最早不必要とばかりに迫ってみたいものです。私の友人には大酒飲みが沢山いますが、タダ酒だけを飲むと今に体を壊します。一階を披露している時間だけでも酒が休めるのも酒量を減らす妙案かも知れません。

  「ハーモニカ 吹いて一芸 披露する 疲労はするが 拍手喝采」

  「マジックを 最近始めた 友人が 友のブラジャー 脱がせ喝采」

  「マジックで 村を起こすか 面白い 特産品より よっぽど楽し」

  「ハーモニカ 新たな人が 出ぬ限り 俺の独断 ざまあ見やがれ」