shin-1さんの日記

投稿者: | 2009年1月27日

○限界集落という言葉は嫌というけれど

 早いもので役場をリタイアしてから3年9ヶ月が経ちました。その間自分が勤めていた頃の役場と、退職後の市役所を比較しながらその落差の余りの大きさに戸惑っているのが正直なところです。役所の中から見るのと一般市民として見るのとでは違うのが当たり前なのでしょうが、それでもどこかに当時の幻影を追い求めながら、言わなくてもいいことを言って煙たがられるのですから、余程お節介に生まれてきているのでしょう。

 昨日は夜、富岡という戸数この集落へ限界集落の勉強会に出かけました。普通こうした勉強会は行政が仕掛けるのでしょうが、これも私たちのお節介で、限界集落の勉強会と称してもう6回目となっているのです。最初は机上のデーターを分析し、限界集落とは一体何かから始めましたが、限界集落のことが限界集落で考えようと、最近は進んで限界集落と称する場所へ出かけ、地元の人の話を聞いているのです。

 伊予市4人、双海町5人の計9人で富岡へ出かけました。今回は双海町が当番なので、私が富岡に住んでいる久保進さんに問題提起のお話をしてもらうようお願いしました。久保さんはかつて町議会議員や町農業委員会会長も務められた博学な方で、奥さんの栄子さんもご一緒に、限界集落に住んで感じることを様々な切り口から話してくれました。


 富岡集落は最盛期24戸もありました。しかし木材、木炭、蚕、かんきつ、養豚と基幹産業が変化する中で時代の流れに翻弄されながら、主流になることもなく昭和45年の台風災害を境に、過疎と高齢化、それに少子化なども追い打ちをかけ、8戸にまで人口が減少し今日を迎えているのです。久保さんの話は要約すると車に乗れる今はいいが、5年後、10年後になったとき、果たして飲料水や道路といったライフラインなどの集落機能が維持できるのか、とても不安だと話されました。

 限界集落という言葉は行政用語であまり好きではないと誰もが言います。しかしそれに代わるいい表現の言葉も見つからないままに、限界集落はさらに厳しい条件を背負って斜陽化の道を転げ落ちているのです。富岡集落では驚くような高齢化率で、最早救う手立ては見つからないというのが正しいのかも知れません。多分行政はそのことすら目と口をふさいで見て見ぬふりをしているのです。

 私たち市民にも今のところ妙案はありませんが、それでもどうにかしたいと思って話し合いや勉強会を持っているのです。


 昨日は久しぶりにいい話が聞けました。やはり現場の声は迫力があります。富岡集落では既に圃場整備も終り、海岸から2キロ余りの川の道沿いには桜や扶養、アジサイ、藤、水仙などが地域の人の手で大事に育てられています。今は水仙が圃場整備の終わった田んぼの斜面にそれは美しく咲いていました。春になるとまるで桃源郷のような美しさを見せてくれるのです。昨日集まった人のほとんどはそのことを知らず、始めて富岡集落を訪ねた人が多かったようですが、春になったら是非みんなで訪ねたいと誘いあいました。

 地域通貨の話や下灘地区に5つもあるお寺をめぐる下灘四国でも開いたらと尽きない夢を大いに語り合いましたが、さて誰がするかとなると思わず口をつぐんでしまうのです。さあ、口を出したのであれば今度は手を出す番です。勿論私も及ばずながらそのお手伝いをしたいと、心を温かくして帰ってきました

  「今八戸 五年十年 先なると 不安が募る 限界集落」

  「気がつくと 諦めよりも 夢語る 姿びっくり 嬉しい話」

  「行政は 当てには出来ぬが 少しでも 話くらいは 聞いてお願い」

  「何故俺が 限界集落 語るのか お節介だと 叱られようが」 

[ この記事をシェアする ]