shin-1さんの日記

投稿者: | 2009年1月14日

○七転び八起き

 私の家の神棚に小さなダルマさんが置かれていました。多分親父がどこかの神社にお参りした際、縁起を担いで露天商で買ってきたものだろうと思うのですが、親父は年末に神棚を掃除する度にこのダルマを転がして「七転び八起き」の話をしてくれました。その時私は子どもながら不思議な質問を親父にしました。「転んで起きて転んで起きてと何回指折り数えても七回転び七回起きるのだから七転び七起きではないのか」といったのです。親父は「昔から七転び八起きと言うんだから、そんな難しいことを考えなくてもいい」と言葉を濁しました。明くる年も同じような質問をしましたが、やはり答えは同じでした。しかし親父もさるもので、どこでどんな本を読んだのか達磨大師というお坊さんの話をしてくれました。達磨大師はインドから中国へ渡り坐禅を広めた人で、中国へ渡ろうと船に乗るものの七回も失敗し八回目にやっと中国の杭州に到着したそうで、お釈迦さまから数えると二七代目の祖師というえらいお坊さんだと教えてくれました。達磨大師は百二十歳まで長生きをしたそうで、坐禅をし過ぎて足が使えなくなったなどと、アレンジした話をしましたが、どこまで本当かは不明です。

 しかし最初起きている姿から数えると確かに七転び八起きであることに、今になって気がつくのですから私も大したことはない凡人だと思うのです。日本人はダルマが大好きで、どこの選挙事務所でも眼の黒く塗られていないダルマが置かれていて、選挙事務所を開いたときに片目を入れ、当選したらもう一方の目に墨を入れて両目開眼としているようです。外国の人にはこれが何とも奇妙で理解できないようです。普通であれば選挙に当選すると聖書を片手に神に敬虔な祈りを捧げるのが普通でしょうが、日本人は人が昔からやっているからくらいな軽いノリで選挙を戦っているようです。

 関係のない話で横道にそれてしまいましたが、さて七転び八起きとは尋常では考えられない不屈の精神です。言われて自分の人生を静かに振り返ってみれば失敗も多くあり、まさに七転び八起きの人生だったと思いつつ、最後が肝心、八回目に起き上がり人生を歩まなくてはならないと決意を新たにするのです。


 私の友人には地域づくりという世界に生きてきた人が多く、どこかで自分の信念の結末を政治家として成就したいと、選挙に立候補する人が意外と多いのです。確かに自分が描いたまちづくりの理想を実現する最も早道は首長さんになって思いのまま政治的手法でまちづくりをやればそれに越したことはないのです。首長選挙に立候補する場合は自分の信念もさることながら周りの人を巻き込まなければ選挙にはなりません。自分に対する信用度をどの程度に見積もるか、また対抗馬批判の票数をどこまで味方にするか、選挙費用と合わせて激しい攻めぎ合いの見極めが必要なのです。結果的に信任を得て当選しても次の選挙で勝てる保証はないのです。

 ダルマさんのように七転び八起きしながら最後の選挙で負けた場合はみじめなもので、七転び七起きとなって寂しい結末を送るのです。

 私の友人にもそんな人が何人もいて、時々会うのですがかつての当選した時の胸を張って歩いていた姿からは想像もできない別人かと思われる姿に哀れさえ感じることがあるのです。

 まあ人生は軽い七転びと最後は強い起き上がりで締めくくりたいものです。七転び十起き、てな調子にはいかないものでしょうか。


  「転んでも 最後は起きて 終わりたい 今の世の中 転んで終わる」

  「転んでも タダで転ばぬ 起きる時 必ず何か つかんで起きる」

  「俺なんて 転んだ割に 怪我もなく むしろ大きく なって生きてる」

  「七転び 十起きしたい 人生は だけど八起きで 丁度良いかも」

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