shin-1さんの日記

投稿者: | 2008年11月13日

○私の経歴

 この歳になって履歴書を書くなんて思ってもみませんでした。昨晩大分県から帰って妻と二人で食事をとった後、パソコンに向かって所定の様式の空欄に自分の過ぎ越し半生を思い出しながら打ち込んで行くのですが、中々思い出せずに前に進むこともできず四苦八苦してしまいました。

 私の履歴書の職歴は、昭和38年家業である漁業に従事から始まります。当時私は宇和島水産高校の専攻科へ進む予定でした。ところが親父がガンに倒れやむなく帰郷し、親父に代わって若吉丸の船長になったのです。以来7年間も漁師をしました。しかし夜の遅い青年団と朝の早い海の仕事で疲労が蓄積したのかある日突然意識不明となり病魔に襲われて入院生活を余儀なくされました。この病気が元で公務員になったのですから世の中は分からないものです。いつだったか青年の主張の県代表になったとき朝日新聞が、「酒を飲み過ぎ夜更かしし過ぎて公務員になった男」と新聞で紹介したことを今も覚えています。

 その後役場に入り、教育委員会で社会教育、特に公民館活動をし始めてから、35年間の間に教育委員会13年、産業課4年、企画調整室10年、地域振興課10年、教育長2年しか異動していないのでそんなに書くことはないようですが、これ以外の副産物ともいえる役歴がたくさんあるのです。

 県社会教育委員、県青少年保護審議会委員、県青年団連合会会長、四国四県青年団連絡協議会長、県青少年団体連絡協議会会長、松山工業高校PTA会長、県高P連副会長、えひめ地域づくり研究会議代表運営委員、21世紀えひめニューフロンティアグループ代表、国土交通省観光カリスマ百選などなど書いてゆけば欄がなくなるほどの多さですが、人生の時々にこんな仕事をしたのかと改めて実感しました。


 さてその履歴書に添付する研究業績目録なるものも作らなければならず、適当に項目を書き抜いてみましたが、これもかなりの項目に上りました。その中でも夕日によるまちづくりはトップ項目で、かなりの故事来歴を書かなければなりませんが紙面の都合で3行にとどめました。ふたみシーサイド公園他2つの公園整備事業は75億年のビッグプロジェクトでした。花咲くまちづくり事業、人づくり20年計画の実施も忘れられない多くの成果を産みました。ホタル保護活動、県下最古の現役木造校舎保存運動、双海町誌編さん事業、予讃線海岸周り存続運動、無人島に挑む少年の集いも忘れられない思い出です。

 これが業績かどうかは他の人が決めることでしょうが、私も色々な仕事に携わってきたものだと改めて思いました。履歴者も職務業績ももう自分にとっては過去のことなので、大切なことはこれからどんな生き方をするのかが大事なような気もします。とりあえず私は人間牧場の活動に少し軸足を置いて活動してみたいと書きながら思いました。


  「この歳に なって履歴書 書くとはなあ 思い出しつつ 1行1行」

  「過去などは 何の意味など あるものか これから何が できるか勝負」

  「始まりは 漁師の二文字 活き活きと 生きた昔が 懐かしきかな」

  「夢持って 生きた昔が 懐かしい そんなお歳に なったのですね」