shin-1さんの日記

投稿者: | 2006年4月12日

○わが家の愛玩動物

 最近はどの家庭でも愛玩動物の一つや二つは飼っているようです。隣のおじさんの家では犬と金魚、その隣では犬と猫に小鳥と様々です。その背景には豊かさと満ち足りない心の充足とでもいうべき何かを感じます。しかも犬や猫は外で飼うという概念が崩れ、犬・猫・鳥はおろかは虫類まで人間と同じ世界で暮らしているのですから異常としか言いようがありません。

 わが家でも子どもが小さい頃子どもの要求に押されて犬を飼い小鳥を飼っていました。しかし子どもたちのその熱も大きくなるにしたがって冷め、また動物の死という悲しい別れに直面して、それ以来飼うのを止めています。時々犬や猫と同居している家へお邪魔することがありますが、多分暮らしている人には当たり前と思っているのでしょうが、何かわが家とは違う動物の匂いのようなものを感じたりすることがあります。

 先日一人暮らしのおばあちゃんに会いましたが、そのおばあちゃんの目が真赤に腫れているのです。よくよく聞いてみると同居していた猫が戸口を開けた途端外に飛び出し、車に引かれ死んでしまったというのです。身寄りのないおばあちゃんにとってこの猫は生きがいであり、唯一の話し相手だっただけに、その悲しみは察するに余りあるものでした。死んだ猫をどのようにして手厚く葬るか考え、市役所に電話をかけたのだそうです。犬猫担当とおばあちゃんが言う人は、多分野犬などの係りの人だと思われますが、人間と同じく猫の死骸をダビにふしお墓を造ってやりたい旨の相談だったようですが、担当者は「猫の死骸は人間と同じには出来ません。ゴミ袋に入れてゴミに出してください」で終わりだったそうです。そのことを聞いておばあちゃんの悲しみは倍化し、目を真赤に腫らしたという次第です。

 人間の世界で身寄りのない人にとって愛玩動物は人間以上の共生の意味を持っています。それをゴミと一緒にされたのでは悲しむのが本当です。だからといっておばあちゃんの願いを聞き届けてダビにふしたりのお手伝いは出来ないでしょうが、せめて心を癒す言葉くらいは持ち合わせた行政マンであったらと、おばあちゃんの話を聞いて思いました。

 わが家にも長男が結婚する前から飼っている土佐金という金魚が数匹飼われています。次男にその世話をするよう伝えて家を出ましたから、ブツブツいいながら次男は金魚の世話をしています。でも飼っているとなつくので今は余りブツブツいう声は聞かれなくなりました。

 人間もそうですが、動物や植物には必ず死なるものがやって来ます。可愛ければ可愛いほど死など考えにくいものなのです。しかし死を覚悟して飼うぐらいの覚悟がなければこのおばあちゃんのように気狂いに似たことになりかねません。ペットの飼い方にはくれぐれもご用心。

  「猫死んで 嘆き悲しむ おばあちゃん 死骸ゴミだと 言われ再び」

  「昔かな 将軍綱吉 お犬様 笑ったけれど それに似たよな」

  「犬猫の 病院人より 大流行 保険利くかと 窓口尋ね」

  「犬の糞 片付けせずに 通り過ぎ ウンが付くのか ウンの尽きだか」

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