人間牧場

〇報徳という雑誌の4月号に寄稿が載りました
 大日本報徳社の鷲山恭彦社長とのご縁で年会費1万円を納め、昨年報徳社の社員となりました。社員になると日本で最も古い4本の指に入る「報徳」という月刊紙が送られてきます。元々は私が塾長を務めている年輪塾に、当時東京学芸大学の学長だった鷲山先生をお招きしたご縁などもあって、昨年の新春号の巻頭言に鷲山社長さんが私のことを書いていただき、急にご縁が再開されたのです。

 その報徳という雑誌の4月号に、「特集:2021年・令和3年度新入社員メッセージ」という企画があり、寄稿を頼まれました。私以外の誰が寄稿するのかも分からぬまま、恩もあるので快諾し、ショートな文章なので早速自分の似顔絵イラストとともに編集人宛に送りました。年度末の慌ただしさで、原稿を送っていたことなどすっかり忘れていたら、送られてきた雑誌報徳4月号に掲載されていて、他のメンバーの蘊蓄ある文章に比べ、軽薄な私の文章に赤面するばかりでした。

 私の文章題は「積小為大」です。小学校2年生の時地元の母校である下灘小学校の校庭にあった、二宮金次郎の銅像によじ登ったことから始まる来歴などを書いています。言ったことは録音や動画保存してない限り人の目や耳に触れることはありませんが、文章に書いたものは人の目に触れて拡散します。あとから気がついても後の祭りでしょうが、私の値打ちはこの程度だと自戒しました。そのことをしっかりわきまえて勉学にいそしみたいと思っています。

「報徳と いう名だたる 雑誌載る 自分の書いた 原稿軽薄」
「文章は あちらこちらに 拡散し 人目に触れる 注意しないと」
「今頃に なって気づいた 愚かさよ 後の祭りと 言うのでしょうか」
「この歳に なつても未だ 進歩無し 多分このまま 一生終わる」

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〇桜が間もなく満開です
 一昨日町外に住む親しい友人から「双海の桜の咲き具合はどう?」と電話がかかってきました。聞き及べば松山市内の桜は満開に近く、桜の名所道後公園には連日多くの花見客が押し寄せているそうです。さりとて新型コロナ・オミクロン株の感染者数も高止まりが続き、一向に減らない日々の感染者数に心が曇り、人混みの中へは行きたくないので、「双海くらいが丁度いい」と思ったようでした。

 このところ年度末で、退任者の来訪が相次ぎ、町内の桜の咲き具合がどれほどなのか見てみたいと、早速修理を終えたバイクを走らせ、昨日の夕方桜の名所ふたみふれあい公園まで出かけました。昨日は少し春霞がかかっていて、海や空の青とのコントラストは見えませんでしたが、桜の咲き具合は8分咲きといったところでした。多分この陽気だと今日か明日にでも満開を迎えるだろうと、早速折り返して友人に花見誘いの電話をしました。

 春の花、特に桜はパッと咲いてパッと散る潔さが魅力ですが、年度末年度初めの忙しさにかまけていると、折角咲いた桜の満開を観ずに、また写真に収めることもなく終わってしまいます。退職して17年、何がどうしてこんなに忙しいのか分からぬまま、今年も相変わらずの日々です。超高齢化社会を迎え、100歳まで生きれる時代がやって来たとはいいながら、はとてそこまでは生きれないことを考えれば、余命尽きるまでに幾度桜の花を見ることができるのか?、心もとない話です。今年の桜をしっかり目に焼き付けようと、馬鹿なことを思いつきました。

「咲いてるかい 友人電話 聞かれても はてさてどうか 首をかしげる」
「松山じゃ コロナ感染 数減らぬ 花見のニュース 大丈夫かな?」
「修理した 単車走らせ 咲き具合 8分~9分 間もなく満開」
「あと何年 桜が見れる 両手指 折りつつ余命 短さ思う」

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〇八幡浜ミュージカル劇団旗揚げ公演「二宮忠八物語」観劇
先日パソコンに、友人の二宮さんから、「ミュージカルを観に来ませんか?、よければチケットを送ります」という優しい書込みがありました。予定表を見たところ3月27日(日)の午後5時からだったら、妻も私も行けるかも知れないと思い、甘んじて申し込みをさせてもらいました。やがて3日前に私信にてチケットが送られてきました。

 八幡浜は妻の実家もあるので、少し早めに出て実家に立寄り話をしていると二宮さんから電話が入り、三嶋神社に車を止めるよう指示されました。神社の境内に入ると、宮司をしている二宮さんのご主人と、それにお母さんに加え、川之石公民館長の菊池さんがお揃いで迎えてくれました。聞き及べばお母さんは過去に私の講演を何度か聞いているらしく、私の「昇る夕日でまちづくり」という自著本も手元にあって読んでいるとのことでした。

 夕暮れ時の社殿前で記念撮影をしたり立ち話で談笑した後、菊池さんの車でゆめみかんまで送って貰い、2階サブホールへ入り、少し広めのディスタンスを取った指定席に付き、トライアル公演「二宮忠八物語」を1時間10分にわたって観劇しました。妻の実家の苗字も二宮で、日本飛行機の祖と言われる二宮忠八との遠い縁戚でもあるようで、親しみを込めて大きな拍手を送りました。

 私たち夫婦の次男一生も高校時代から10年余り、松山を拠点に活動していたイリュージョンというミュージカル劇団に所属して活動していたので、毎年松山市民会館ホールで開かれていた定期公演を観劇していて、久し振りのミュージカル公演は、当時を懐かしむよい機会となりました。

「友人の 誘いを受けて ミュージカル 公演観劇 妻と二人で」
「ゆめみかん サブホールにて ディスタンス 二宮忠八 物語観る」
「講演を 2回も聞いた 自著までも 読んだ奥さん 嬉しい出会い」
「何回も ミュージカル観た 経験が 懐かしきかな みんな活き活き」

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〇ジュニアリーダー研修会

 小学校6年生までの児童が学んでいる双海町の子ども教室では、小学校を卒業すると学んだ子どもたちが格上げされ、ジュニアリーダーとなって後輩の面倒を見たりボランティア活動を行う良き伝統が続いています。ジュニアリーダーにはさらに上の高校生や大学生、それに社会人もいて、頼もしい限りです。

みんなで楽しく話し合いもできました


レクチャーする私


早速奏心は、帰宅後庭で作った焚火台を使ってマシュマロを焼いて食べました

 ジュニアリーダーは毎年この時期に間もなく中学生になる予定の予備軍を交えて研修会を開いています。先週の土曜日がその日でしたが、朝から時ならぬ暴風に見舞われ、残念ながら下灘駅下の国道正装プログラムは出来ませんでしたが、旧下灘中学校の体育館に集まり、体育館の清掃をしたり中学校の旧図書室の古い本の片づけをしたり、また最近流行っているキャンプ用に使う簡易焚火台を造ったりしました。

 最後は子ども教室実行委員長の私が、ジュニアリーダーの心構えについて30分ほどレクチャーをしました。子どもたちにとっては何気なく過ぎ去る日々ですが、ボランティア活動などに身を投じると、私がそうであったように、知らず知らずのうちに人とのコミュニケーション能力が備わり、人としてどう生きるべきかが分かって来ます。昨日は部活の都合で来れない人もいましたが、20人を超えるジュニアリーダーとその予備軍が集まりました。嬉しいですね。

「雨風が 吹き降る中で 研修会 ジュニアリーダー 沢山集まる」
「気がつけば こんなに集まる 集団に 嬉しい成果 次が楽しみ」
「30分 レクチャー頼まれ あれこれと 思いつくまま 願いを込めて」
「20人 超えて集まる 集団に しっかり育てて やろうと決意」

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〇大汗かいて牛糞の大移動をしました
わが家は家の横に高齢となった私には、少しお荷物のようにも思える果樹園を含めると、かなり広い家庭菜園があります。親父から受け継いだものなので、親父同様暇さえあれば畑に出て、安心安全な野菜作りに精を出していますが、菜園は何といっても土づくりが大事で、毎年40㎏入っている牛糞を30袋、20㎏入っている豚糞を30袋買い、有機肥料として使っています。

40㎏入りの牛糞の移動を1人でやり切りました

 先日倉庫の肥料置き場の袋が残り少なくなっているようなので、袋に書いている製造販売店に電話で30袋を申し込みました。3年前までは1袋300円でしたが、物価高騰のあおりで、1袋30円値上げされたものの、庭先まで運んでくれたり、10袋に付き1袋サービスがつくので便利この上なく、今年も注文していました。先日その配送が私の留守中行われ、1万円で34袋が車庫前へデンと、私が留守中に積み上げられました。

 「明くる日が雨」という天気予報だったので、濡らすと厄介なので帰宅後一輪車に積んで運び、倉庫の中に積み上げましたが、老いの身には1袋40㎏の重さは尋常ではなく、3列11段はかなりきつく、フーフー言いながら40㎏×34袋=1350㎏をやっとの思いで移動し終えました。終わった矢先外出先から帰った孫2人が手伝いに来てくれましたが、時すでに遅しでした。

 天気の回復を見計らって息子に頼み、果樹園の甘夏ミカンに追い肥として施肥したいと思っています。そろそろ菜園にあれやこれや苗物を植えるシーズンがやって来ました。既にジャガイモやタマネギ、それにハウストマトなどは順調に育っています。雑草も芽を出して動き始めました。今年も忙しくなりそうです。

「帰宅する 庭の隅には 牛糞の 袋山積み 雨が近いぞ」
「よしやろう 一輪車にて 倉庫まで 運んで積み上げ 大汗かいて」
「老いの身にゃ 40㎏の 袋積む 無理を承知で 一人黙々」
「さあこれで 有機肥料で 土づくり 安心安全 野菜楽しむ」

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〇社会教育主事講習修了証書が届きました(その2)
 1か月前、社会教育主事講習を難産の末終えていましたが、昨日の午前中国立教育政策研究所から、社会教育経営論と社会教育支援論の2科目において、単位を習得したことが認定され、修了証が書送られてきたのです。講習に伴うレポートやアンケート、試験など、私にとっては難関を何とかクリアーしたことが認められたのですから素直に喜んで、支援してくれた方々にお礼を言わなくてはなりません。

届いた社会教育主事講習修了証書

 特に受講を勧めてくれたり、受講資料を用意してくれた県教委の安倍係長さんや、Wi-Fi環境の悪い中、何かと手助けしてくれた公民館主事の出海さんにはお礼の言葉もないほどのご恩をいただきました。幸い安倍係長さんや出海主事さんが同じ受講生だったことも私にとっては幸運でした。劣等生ゆえ大変な迷惑をかけたようなので、昨日は所用で松山へ出たついでに県庁を訪れ、お礼のごあいさつをさせていただきましたが、聞けば安倍係長さんは春の人事異動で昇任教頭として学校現場へ赴くとのことでした。

 聞けば今回の社会教育主事講習に参加した受講生の中で、77歳の私が全国で一番最高齢者だったようで、それはそれとしてまた新しい伝説的物語が生まれたようです。講習は今後もオンライン受講が続くことを考えれば、私のような高齢者の受講は年々難しくなるものと思われますが、私にでもできたのですから、私に続くような勇気ある高齢な人の出現を心から望んでいます。はてさて私は昨日を境に、晴れて「社会教育士」を名乗ろうと思っています。そして大げさですが死ぬまで社会教育のために受けたご恩を返したいと、決意を新たにしました。そうそう忘れていた訳ではありませんが、強く後押ししてくれた妻にも感謝しています。

「一枚の 修了証書 届きたる 他愛はないが 嬉しい知らせ」
「2週間 思いを込めて 受講した 今となっては ほろ苦思い出」
「昨日から 社会教育士 名乗れると 嬉しく思う 生涯かけて」
「今回も 多くの人の 世話になる 恩を返そう 決意も新た」 

 

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〇単車の修理
 昨年年代物を思わせる手持ちの古い単車を修理をしてもらい、便利に使っていましたが、庭木からの落下事故や尿トラブルでの入院手術などが重なり、手術後1ヶ月は自転車や単車に乗ってはいけないと注意を受けていたので、約半年間乗ることもなく車庫に置いたままでしが、気候も良くなったので乗ってやろうと、エンジンキーを差し込み、何度もキックをしたもののエンジンは始動できませんでした。

 仕方なく近所の自動車修理工場へ手押しして持って行き、事の仔細を話して修理を頼みました。夕方ウォーキングがてら修理工場を訪ねたところ、どうやら原因はガス欠だったようで、店員さんに「どんな立派な自動二輪でもご飯を食べささないと動かない」と笑われました。わが町には残念ながらガソリンスタンドが姿を消し、ガソリン難民のため買い置きのガソリンを入れてもらい、持ち帰りました。

 単車は何かと便利で、古くなったとはいえまだ動くので、遠出は出来ないものの、町内ならどおってことはなく、しっかりと使いたいと思っています。昨日警察官をしている3男が異動するとの連絡が入りました。日常的に使っている単車を持っていくことが難しいので、当分自宅に置いて欲しいと頼まれましたが、「使っていいよ」と言われても125㏄の自動二輪の免許を持っていないので、当分は長男が便利用に使うようです。随分暖かくなり単車のシーズンがやって来ました。

「半年間 体の都合で 乗らなんだ 単車キックを するが動かず」
「手押しして 修理工場 持って行く ガス欠と聞き 大笑いする」
「暖かく なって単車の 世話になる 便利重宝 古くも動く」
「買い替えの 時期が来ている 単車だが SDGs 勝手に思い」

 

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〇スズキと鯛が届きました
 一昨日懇意にしている地元の漁師さんの奥さんが、発泡スチロールのトロ箱に入れて、スズキと鯛を持って来てくれました。丁度自宅にいて書斎で原稿書きを終えたところだったので、早速外の流し台に出て、出刃包丁と鱗取りを使い粗調理を始めました。最近新型コロナの感染拡大で不用不急の外出を極力しないため、今では魚の粗調理のわが家の担当になってしまいましたが、妻も若嫁も仕事に出ているので、甘んじてやっています。

漁師さんから届いたスズキと鯛

 粗調理が終わったところへ妻が仕事から帰って来ましたが、松山に住む娘宅の長男が春休みで県外の大学から帰省しているので、美味しいスズキと鯛の料理を食べさせてやろうという話になって、妻は早速刺身とアラ煮を作りました。刺身はタッパに、アラ煮は鍋ごとトラックの荷台に積んで2人で松山市道後の長女宅まで運び、居合わせた帰省中の孫も大喜びでした。

 間もなく年度が替われば2年になる大学生の孫は、娘が助産師をして働いていたため、小さい頃は何かにつけて世話をしてやり、夜勤の時などはわが家で預かって世話をしてやりましたが、成人年齢が20歳から18歳に引き下げられたこともあって、もう成人の仲間入りをしています。特に男の子の孫は大きくなると、私たちの手の届かない場所にいるので、どこか寂しい感じもしますが、これも人生だと思いながら、妻は少しばかりのお小遣いを手渡していたようでした。私たちは昨日残りのお魚を刺身とアラ炊き、味噌汁にして美味しくいただきました。

「漁師さん スズキと鯛を トロ箱で 持参してくれ 粗料理する」
「鱗引き 3枚おろす 粗料理 すっかり慣れて 私の担当」
「この魚 帰省している 孫がいる 食べさせたいと 松山出かけ」
「いつの間に 大きくなった 男孫 大学帰省 元気な姿」

 

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〇菜花の収穫
 世の中は狭いもので、ひょんなことから新居浜に住む野本さんと友だちつながりや講演つながりなどで知り合いました。野本さんは八幡浜市双岩出身ですが、その兄弟姉妹である妹が、私の妻の兄嫁なのですから驚きでした。昨年八幡浜の実家に帰省される折わがにを初めて訪ねて来られましたが、その折菜花の種を沢山貰いました。

2畝の菜花畑
摘み取った菜花

 昨年は2度にわたる入院手術で、聞いていた種蒔きの時期すら忘れるほどでしたが、ダメ元で昨年の晩秋の頃畑に2畝播いていました。三寒四温を繰り返すこの頃になって、菜花が伸び花芽が見えるようになりました。この時期はほおっておくと伸び過ぎてすぐに固くなるので、一昨日新芽を摘み取り、妻に頼んで料理をしてもらいました。

 茹でた新芽は色も鮮やかで、胡麻和えにしてもらいましたが、シャキシャキ感もあってとても美味しくいただきました。早速若嫁と魚を届けてくれた漁師さんの奥さんに、摘み菜としてお裾分けしましたが、若嫁はオリーブ油であえ物にしていたようです。今朝は摘み取って近くに住む姉にもお裾分けしたいと思っています。野本さんに感謝しながら旬の菜花をいただいています。食が進みます。

「新居浜に 住む友人に 種貰う あれこれどさくさ それでも芽吹く」
「春が来て 菜花の花が 見え始め 摘み取り妻が 和え物料理」
「今が旬 菜花シャキシャキ 春の味 お裾分けして 喜び分かつ」
「春が来た 遠く近くで ウグイスが 鳴いて三寒 四温の雨が」

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〇線香を手向けに
 新型コロナの感染拡大で葬式事情がすっかり様変わりして、蜜を避けた少人数の家族葬が主流となりました。出歩いたり風の噂で、亡くなった人の情報がいち早く入っていましたが、今は新聞のお悔やみ欄に載せない人もいて、不義理を囲っています。

 下灘の親父の従兄弟の奥さんが、昨年11月に亡くなっていたことを知りました。親父やおふくろの葬儀の時香典を貰ったり葬儀に参列してもらっている義理もあるので、昨日は香典を用意し下灘のお宅にお伺いし、仏壇に線香を手向けさせてもらいました。

 短い時間でしたが、居合わせたご主人と息子さんから、晩年の故人の話や思い出話、それに葬儀後の近況話を聞きました。妻に先立たれると生活力のない夫は無力で、日々の生活は難儀だと吐露されていましたが、わが家でも長年連れ添った母親が他界してから、父親が17年間も隠居家で一人暮らしをしていた姿を見ているので、納得の手合いでした。

 あって欲しくない「もし」ものことがあって妻に先立たれたら、炊事も洗濯も食事作りも殆どやったこのない私はどうなるのだろう?と、一緒に出掛けた妻と帰り道話しましたが、歌手さだまさしさんの「関白宣言」という歌の文句ではありませんが、「お前が先に逝ってはならぬ」の心境でした。

 それにしても、新型コロナの影響で死亡や葬儀の情報を後から聞いいて、線香を手向けに出かけなければならない、こんな状態がいつまで続くのでしょう。多分私が死んでも、ごく近しい内間だけの少人数に見送られて、あの世へ旅立たなければならないようです。なんだか寂しいなあでした。

「知らなんだ こととは言えど すまされぬ 香典持って 線香手向けに」
「連れ添いが なくなり旦那 残される 生活力が ないゆえ大変」
「残されて 17年も 隠居にて 一人暮らした 親父を見てる」
「独り立ち するよう妻が 釘を刺す 明日は我が身か 考えさせられ」

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