人間牧場

梅の収穫と漬け込み

 今年は私が50日間も長期入院していたため、人間牧場の梅の収穫を断念していましたが、先日の日曜日同居の長男息子が、私を4WDの軽四とラックの助手席に乗せ、人間牧場へ梅の収穫に連れて行ってくれました。私はまだ杖歩行ゆえ何もできませんでしたが、息子は梅の木に登って約1時間半ほどで20キロキャリー2つの計40kgの青梅を収穫してくれました。まだ取ると思えば20㎏くらいはあるようですが、今年は見て見ぬふりをして諦めました。

今年も綺麗な梅が採れました

 持ち帰った梅の半分は知人友人にお裾分けしたようですが、わが家は今年は梅酒づくりは断念し、梅干し用に21㎏の梅を丹念に水洗いして半日水気を切り、漬物用ポリ容器の中に少し厚手のビニール袋を使い、20パーセントの塩を入れ、最後の仕上げにカビ防止のため、ホワイトリカーを振り撒いて、きつくビニール紐で縛り密封しました。これから約2ヶ月ほど適当に時々ゆすって塩を馴染ませる予定です。近所の人は重しを使う人もいるようですが、わが家は使ったことがありません。

 8月に入り天気が安定したら漬け込んだ梅を取り出し、サナに並べて三日三晩の土用干しをします。そして赤紫蘇を入れて本漬け込みして冷暗所に寝かせ、今年末には自家製の梅干しができる予定です。梅干しは私の目指す生活の自給品目の一つであり、梅干しは勿論のこと煮魚などの調理用としても使いますが、こんな手間暇をかけるのが嫌で、作った梅干しが欲しいと言う身勝手な親類や友人に、今年もお裾分けしてあげたいと思っています。

「入院で わが家梅の実 どうなるか 心配したが 息子手助け」

「食べれるが 食えん酸 とはこれいかに 栄養成分 誰がつけたか」

「梅洗い 水けを切って 漬け込んだ 塩をふりかけ ホワイトリカーも」

「梅干しを 毎日1個 食べてます 多分少しは 役に立ってる」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇運転免許の高齢者講習

 私が入院中警察から、運転免許証の後期高齢者講習通知が届いたと妻から電話で聞きました。私の誕生日は10月3日なのでまだ半年先ですが、昨年先んじて通知を受けた妻は、「まだ半年もある」と暗記に構えていて、近くの自動車教習所へ3ヶ月前に申し込んだところ満杯で受け入れてもらえず大慌てし、少し遠い上浮穴自動車教習所に頼み込んで何とか受け入れてもらったという切迫感を経験しているので、早々と大洲の自動車教習所へ申し込みをしてくれたようです。

オートマ愛車運転再開

 ところが入院が50日間と以外と伸びたため、6月2日に退院して間もない6月7日が講習の日とあって、退院した明くる日から慣らし運転を始めました。幸い手術したのは左足で、右足を使うオートマ車なら問題はないものの、2ヶ月も運転から遠ざかっていたので、多少不安でしたが、助手妻を乗せ乗せてサポートしてもらい、運転の感を取り戻し何とか6月7日に教習所まで一人で運転して行くことができました。

 この日は1時間程度の認知症講習と試験がありましたが、中々難しかったというのが正直なところです。10日もすれば警察から試験結果が届くそうで、その成績点数で評価され実技試験に行かなければなりません。私たちは公共交通機関の少ない田舎に住んでいるので、車がないと生活が不便になります。ゆえに近所には90歳になっても講習を受けて、車に乗っている人もいて、80歳代などのドライバーは履いて捨てるほどいるのです。免許証を返納するかどうか、これから3年毎に悩ましい選択が迫られます。成績が少し気になります。

「二ヶ月も 入院してて 運転を せずにいたので 多少不安が」

「幸いに 左の足を 手術して 右足健在 オートマ運転」

「認知症 検査と試験 セットです 生きるためには 避けて通れず」

「これからは 安全運転 心がけ 法律順守 心に誓う」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇満開の人間牧場アジサイ園画像で花をお楽しみください

 一昨日息子が運転する4WDの軽四トラックの助手席に乗せてもらい、2か月ぶりに人間牧場へ行きました。2ヶ月ぶりの人間牧場は、そこそこ息子が草を刈っているようでしたが、雑草の勢いには追い付くすべもなく、少し悩みの多い訪問となりました。

 ウッドデッキ下のアジサイ園も少し草に覆われてはいましたが今が見頃のようで、息子が梅の収穫をする間私はアジサイの写真を撮ったりして束の間を一人楽しみました。挿し木をして一本一本植えて増やしたアジサイの花も、さてこれからどうなるか心配です。

 昨日西予市明浜町の友人から、「入院・手術・退院の話を聞いた。草刈りの手伝いがしたい」と有難い電話での申し込みがありましたが、私の同行もまだままならないので保留のままです。これまで人間牧場で大酒を飲んだ仲間は数知れず、その折「草刈りは任せとけ」と酒の勢いを借りて豪語した仲間は沢山いますが、すっかりそのことを忘れたのか、これまでは皆無の状態です。大笑いです。

 さて満開となっているアジサイの花も早急に愛でないと、幾ら雨に強い花でも勿体ないので、せめて家族だけでも楽しみたいと思っています。知人友人の皆さんには一足先にタブレットで撮影したアジサイの花模様画像でアップしておきますので、バーチャル画面でお楽しみください。

「久方に 息子運転 トラックに 乗せてもらって 人間牧場」

「大草に 埋もれたそこここ 身動きが 取れぬ体が 歯がゆく思う」

「酒飲んだ 勢いみんな 任せとけ 言ったけれども 助っ人未だ」

「画像撮り facebookに アップする バーチャル花見 ご自由にどうぞ」

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇卒業生会員名簿「玉洋」が届きました

 私は愛媛県立宇和島水産高等学校漁業科の卒業生です。20年前母校の漁業実習船「えひめ丸」がアメリカの潜水艦「グリーンビル」にハワイ沖で衝突し、水深500mの海底に沈み9人の尊い命が奪われましたが、沈んだ「えひめ丸」(500t)は4代目の船で、私は初代「愛媛丸」(214.5t)に乗ってオーストラリア近くの珊瑚海まで遠洋航海に出かけているのです。

届いた同窓会名簿「玉洋」

 私は昭和37年度卒業ですから、卒業してから早くも6年近くが経ちました。学校の性格からとりわけ漁業科は船乗りになった人が多く、他の高校のような同窓会や同級会に出かけたこともない、いたって不真面目な卒業生ですが、何度か学校から頼まれ生徒の前で卒業生としてお話をしたことがあり、加えて個人的な交遊もあって、何度も学校へ足を運んでいます。

先日大先輩で、愛媛丸沈没事故の慰霊のために奔走し、鎮魂歌「希望海」の作詞をした何かと懇意だった玉井恭介さんが突然亡くなり、水産高校漁業科との深い絆が切れかけた感じがしていましたが、注文していた卒業生会員名簿「玉洋」が届き、音信の途絶えていた同級生などのことが60年ぶりに分かり、早速音信を復活し始めました。60年ぶりの音信が楽しみです。

「水産高 漁業科卒業 懐かしい 名簿が届き ワクワクしながら」

「愛媛丸 遠洋航海 珊瑚海 マグロを追った 青春の日々」

「えひめ丸 米軍原潜 衝突し ハワイ沖にて 9人亡くなる」

「絆絶え 思い出のみと なっていた 名簿頼りに その後消息」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

◯私のトレードマーク

私はもう40年も前木で出来たアタッシュケースを手に入れました。以来どこへ行っても「木になるカバン」と名付けたこのかばんを持って全国行脚を続け、私のトレードマークとなり、世間に知られることとなりました。

木で出来た手帳と名刺入れ

木になるカバンの思い出は山ほどありますが、先日息子が木で出来た表紙の手帳を、友人が木で出来た名刺入れをそれぞれプレゼントしてくれ、木になるカバンの3点セットとして結構気に入り使っています。

人間のイメージというのは結構残像として残るもので、30年ぶりに出会った人から「懐かしいカバンですね」と覚えていた過去の記憶を語られびっくりしました。勿論私にはもう一つ、夕日という誰にも負けにくいトレードマークがあって、様々な小道具を入れて、今もフーテンの寅さんのように、全国行脚を続けています。

「木で出来た 手等に加え 名刺入れ 小道具沢山 木になるカバン」

「イメージを つくる作戦 成功し 木になるカバン 加えて夕日」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇三愛わらべ仏へのお礼参り

 わが家の入り口付近には祠があって、石仏を祀っています。その祠に松前町の教深寺の石黒夏生さんという住職さん自らが彫られいただいたた「三愛わらべ仏」を、お祀りしています。この度50日間入院している間、近所に住む姉やわが妻は、この祠に日参して、私の病気が早く良くなるようにと祈願してくれていたそうです。

石仏と三愛わらべ仏にお礼参りしました

 6月2日に無事退院できたので、急な坂道はまだご法度と病院の先生に言われていますが、そのことを百も承知で明くる日の3日に杖をついて手すりを持って坂を登り、線香を手向けて、お礼の参拝をしました。石黒さんからわらべ仏をいただいた時、「三愛」とは①法縁(仏の縁)、②地縁(地域の人の縁)、③血縁(親族・親・姉弟の縁)だと教えていただいていたので、その人たちを思い出しながら手を合わせました。

 私は無信心で、家の仏壇や神棚、それに祠には枯れないようシキビやサカキを供え、またわが家と妻の実家のお墓にも時々出かけシキビを替えて、神仏へのご加護を祈る程度のことしかやっていませんが、それでもこれも長男の勤めだと疑うことなく実行しています。思ったより早く手術ができ、思ったより早く回復し退院できたのも、ある意味神仏のご加護だと思っています。足が良くなったらしっかりとお礼参りをして、健康への誓いを新たにしたいと思っています。

「やっとこさ 退院出来て 帰宅した 聞けば姉・妻 日参祈り」

「急な坂 ご法度ですと 言われてる それでもお礼 お参りしたくて」

「より早く 手術ができて 退院も 早まる幸せ 有難きかな」 

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇近所の病院で受診

退院して2日目の昨日は、愛大附属病院の先生に紹介状を書いてもらった、近所のたけます診療所へ、あいさつを兼ねて受診に出かけました。妻が前もって紹介状を持って頼みに行ってくれていたので、待合室で血圧を測ったりしながら待ちました。最近はこの病院でも新型ワクチンの接種を行っていて、私も入院中だったので遅ればせながら6月28日にこの病院で第1回目の接種を受ける予定で予約をしています。

傷口の処置は愛大病院、伊予病院、たくえます診療所とこれが3回目ですが、処置の仕方が微妙に違っていて、また傷口も防水シールを貼っているので濡らしてもいいという病院もあれば、帽子シールは極力濡らさない方がいいという病院もあってまちまちながら、今の受診病院が一番と信用して、処置をしてもらいました。前2つの病院は少し遠いので、たけます診療所は家から歩いても5分程度と近いので大助かりです。

病院へ行く道をリハビリのつもりでのんびりゆっくり歩きました、私が杖をついて歩いているのを不思議に思う人も多く、出会う度に「杖をついてどうしたの?」「実は外反母趾の手術で入院していて・・・」と立ち止まって話すので、中々前へ進みませんでした。それでも約2か月ぶりの周囲の景色は濃い緑に覆われ、いよいよ夏本番といったところです。昨日は昼前から雨が降り出し、低気圧と前線の影響でかなり激しい雨が降る予想でしたが、大したことなかったようです。

「紹介状 書いてもらって 目と鼻の 先の病院 受信可能に」

「処置仕方 3つの病院 それぞれに 微妙に違い 多少戸惑う」

「杖ついて 歩く姿が 奇異見える 合う人ごって 止って説明」

「見慣れてた 光景緑 濃くなって 夏も本番 深呼吸する」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

◯2ヶ月ぶりの散髪

伊予病院を退院後、妻に頼んで途中の伊予市街にある散髪屋へ立ち寄ってもらいました。日頃は混み合って時間待ちするのですが、午後5時過ぎとあって空いていて、直ぐに散髪が始まりました。

散髪して病人脱出

入院の1週間前に散髪をした折外反母趾の手術で少し長めの入院になるかも知れないと話していたことを店長が覚えていてくれて、「今回はかなり伸びましたね」と言いながら、男前を上げてもらいました。

さっきまで髪がバサバサの時には病人風に見えていましたが、髪を切りひげを剃るとまるで別人のようにシャキとしました。さあ国入りです。家では鬼嫁と二人の孫が温かく出迎えてくれました。50日ぶりのわが家でした。

「退院後 散髪屋さん 直行し 病人卒業 元気回復」

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇試験書き込み

病院に入院中の50日間は、パソコンでインターネットが使えず、パソコンは主にワードで文章書きをしていました。今日退院して帰宅後持ち帰った荷物を解き、パソコンを書斎の上に置き、50日ぶりにパソコンのインターネット接続をしました。幼稚なため多少時間がかかりましたが、夕食が終わって午後8時、無事接続が完了したので、facebookのワードプレスに試験書き込みを行いました。明日の朝からはパソコンを使ってブログを作成します。

 

[ この記事をシェアする ]

人間牧場

◯思い出の235号室

手術のため約20日間愛大附属病院に入院し、その後リハビリのため転院して約30日間ここ伊予病院で過ごしました。私が過ごした病室は2人相部屋の西病棟2階235号室でした。最初は肺疾患で入院していた患者さんがいましたが、肺炎再発で救急車に乗り県立中央病院へ転院したため、半分以上は私だけの部屋となりました。

病室と言いながら私の場合はパソコンとタブレットを持ち込んで、機能的には自宅の書斎と同じに使い、有り余る自由時間を使って大いに空想を膨らませることができました。あらためて病院のWi-Fi環境が良かったことに感謝しています。

昨晩使っていた衣類や道具類を退院に向かて片付けながら、両足をベッドに並べて靴下を脱いで見ましたが、仰々しかった包帯やギブスも消え、傷口を抑える白いガーゼと防水テープしか貼られていません。まだ足首の腫れは残っていますが、これも日常生活で徐々に消えていくものと思われます。

30日間過ごした235号室での思い出を、パソコンとタブレットにしっかりと記憶させ、去ります。もう二度と病院に変えることのないよう節制に務める予定です。

「思い出の 235号室 今日でお別れ 二度と戻らぬ決意」

[ この記事をシェアする ]