〇震災地で空き巣泥棒
九州熊本・大分で起こった地震から3週間が過ぎました。1000回を越えるという異常なほどの余震に悩まされながら、被災した人たちは懸命に生き、懸命に復旧復興の歩みを始めています。数日前ネット情報で空き巣被害が発生しているというニュースを見聞きしました。火事場泥棒ともとれるこの悪質な窃盗略奪行為は、阪神淡路大震災や東日本大震災の時にも多少あったようですが、日本社会にも少し変化の兆しが見え始めたような気がして心が傷みます。
日本では阪神淡路大震災が起こったときも新潟中越地震が起こったときも、災害に乗じた略奪は殆ど起きなかったことが、世界の人々から驚きをもって賞賛されました。同じようなことがインドネシアの地震についても起こりました。それは美しいアジアの風土の力が、人々に「悲しみを抱きしめて生きる」力を与えていたのでした。思い起こせば2005年8月にアメリカ合衆国をハリケーン「カトリーナ」が襲い、大きな被害が出ましたが、テレビで放映された映像には、被災者の多くが大声で泣き叫び、自らの権利を主張したり、各地で略奪や車をひっくり返し、放火するなどの混乱が横行していました。
日本と海を挟んだアメリカでは何故このような、人々のまったく違った行動が生まれたのでしょう。ある学者によるとそれは食文化の違いに起因するようだと述べています。現代の文明は自然の生態系を壊し、小麦を作ってパンを食べ、ミルクを飲んでヒツジやヤギを飼い、肉を食べる人たちによって作られました。ある意味略奪の文化だといいます。私たち日本人は縄文時代以来主食に米を食べ、蛋白源として魚を食べて独自の文化を作ってきました。これが悲しみを抱きしめて生きる人間性を育てたようです。ある人は宗教の違いだともいいますが、同じイスラム教徒なのに、激しく闘い泣き叫ぶイラクの人々と、悲しみを静かにこらえるインドネシアの被災者とは際立った違いがあるのも、食文化の違いで説明が出来るようです。
今日本の食生活は大きく変化し、米や魚、味噌汁といった日本食が激減し、パンと肉にその座を奪われようとしています。だとしたら震災のドサクサに人の悲しみ等関係なく略奪や泥棒が横行し始めた、社会現象も説明がつくようです。まあこれは仮説であって一概には言えませんが、世界一安全で思いやりの国だと思っていた日本の社会も、次の世代にはどうなるか、心が傷みます。九州熊本・大分震災から3週間、よく降る雨の中で避難生活を続けなければならない人たちのことを思うと胸が痛みます。
「震災で 被災した街 泥棒が 信じられない 出来事起こる」
「米・魚 食べてる私 日本人 悲しみ堪え 被災を思う」
「泣き叫び 略奪横行 ハリケーン 被災はしても 日本整然」
「今日も雨 余震に脅え 避難所で 三週間も これから先も」