人間牧場

〇舞たうん110号のコラム

 私は請われるまま色々な雑誌等に文章を書いていますが、えひめ地域政策研究センター発行の舞たうんという雑誌には今号で17回目となる記事を掲載しているのです。舞たうんの編集はセンターの研究員が順番に担当し、編集会議にテーマや内容を提案して承諾を受けると、原稿依頼や県内外各地へ取材に赴くのです。連載57回を数えるタウンツーリズム講座主宰の岡崎直司さんに比べれば私の17回などまだまだ序の口ですが、それでも研究員からテーマを告げられると、「はてさて何を書こうか」と思惑をめぐらせるのです。

 私の記事は「特選ブログshin-1さんの日記」という連載なので、毎日アメーバブログに二本の記事を書いているような軽いタッチのエッセイ風に書いています。今回の特集テーマが「障がい者にやさしいまちづくり」なので、障害者について書いてみました。昨日印刷されて届いた舞たうん110号の表紙を見て「おや?」と思い、私の浅はかさに一瞬心が曇りました。私はこれまでも今回の記事にも「障害者」という漢字を使っています。ところが表紙に書かれた文字は「障がい者」と、「害」をひらがなの「がい」で標記しているのです。

 何年か前から「痴呆症」という言葉が「認知症」という言葉に変わったように、「障害者」が「障がい者」に変わっていたのなら勉強不足だと思い、えひめ地域政策研究センターが開くのを待って朝9時前に編集人の河野さんに電話を入れました。河野さんは温かく対応していただき、その辺については「害」でも「がい」でもどちらでもいいという返答をいただき、少し胸の痞えが下りたのです。と同時に私の障害者に対する心構えはまだまだだと、あらためて感じました。

舞たうん掲載記事P20
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
舞たうん掲載記事P21
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 何年か前、職場で人権同和教育について話し合ったことがありました。何気なく使っていた「バカチョンカメラ」という言葉が障害者を差別している言葉ではないかということになりました。私は何度「バカチョンカメラ」という言葉を平気で使っている人に「それは差別だから使わないように」と注意をしたことでしょう。車や交通機関がないことを「足がない」と何気なく使います。これも足の不自由な障害者を差別する用語です。障害者差別ではないけれど、セクハラと思われる言葉も随分平気で使っています。今一度言葉遣いについて考えてみようと思いました。
 今朝私の書いた舞たうんの掲載記事を食卓で読んで聞かせてやりました。まるで舞たうん読み聞かせ隊のように・・・・。妻はいい文章だと手前味噌ながら褒めてくれました。ギノー味噌提供でした。(笑い)
 
  「障害者 障がいと書く 文字を見て 一瞬たじろく 俺はまだまだ」
  「何気なく 使っているが 差別語が いっぱいあると 拳拳服膺」
  「差別語は 知らなかったで 済まされぬ しっかり学習 心に刻む」
  「言葉より 差別の心 直さねば この世の中の 差別なくせず」 
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〇10月の自画像

 今日は朝から曇り空で、昼前からおとなしいシトシト降りの雨になりました。孫希心の通う上灘保育園では近くの潮風ふれあい公園にピクニックに行く予定らしく、リュックと水筒を持って出かけました。先ほど午後4時過ぎに帰って来ましたが、雨に濡れることもなく、小さなポリ袋にドングリや松ボックリを入れ、わが物顔で得意になって持ち帰りました。早速家の玄関先の靴箱の上に置いているお皿に飾り付けてやりました。今朝私が散歩の途中に拾ったイガ付きの山栗も一緒にディスプレイして秋を演出しました。

孫希心と私が拾ってきた木の実で玄関先をディスプレイしました
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 私はつい最近、暇さえあれば裏山の急峻な山道を散歩しています。そして杉やヒノキの縦間からの木漏れ日を受けたり、頂上の少し広いところで腰痛体操をしています。お陰様で今年は腰痛にもならず、整体のご厄介になっていないのです。今日のような雨模様に日でも長靴と雨傘の出で立ちで散歩する姿を見て、隣のおじさんは「雨が降るのにどこへ行くの」と不思議がって見ていますが、「体調維持のための散歩です」と答えると、「羨ましい」と言ってくれました。このおじさんは86歳になりました。奥さんは82歳だそうですが、昨日の深夜に徘徊騒動があったようで、心配していました。
10月の自画像は長袖にチョッキ、長靴に雨傘という出で立ちです
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 隣のおじさんと話しながら、93歳になる私の親父にも話が及び、もうそろそろ「自転車に乗るのを辞めたらどうか」と提案がありました。辞めさせたいのは私も同感ながら、自転車をやめた途端ボケては大変と思うのでと、軽く受け流しましたが、隣のおじさんやおばさん、そして親父や私と、忍び寄る老いを感じた一日でした。
 人間は誰でも歳はとりたくありません。しかし人間は一年に一つ確実に歳を重ねて行くのです。加えて気力と体力のバランスを保つのは容易なことではありません。気力はともかく、体力は日ごろの鍛錬が何よりです。これからも体力保持のためにまず歩く、そして呼吸法や腰痛体操などをしながら、頑張りたいと思いました。
 
  「近いのに 隣の情報 知らなんだ 海の向こうの オバマ知るのに」
 
  「いつの間に 忍び寄ったか 老い世代 悔やんでみても 止められやせぬ」
  
  「下降線 せめてイーブン 保ちたい 日々の暮らしで 何とかしたい」
 
  「ああ今年 また一つ歳 重ねたり 足し算よりも 取るは引き算」
 
 
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〇幼稚園児のみこし守

 「お父さん、私仕事の日でどうしても尚樹のみこし守を見に行くことができないの。時間があれば見に行ってやって欲しいんだけど・・・」と、先日娘から頼まれたものですから、人に会う予定を繰り延べて行くことにしました。先日の定期健康診断で次の予約日を12月に9日に決めていたものの、その日に鳥取からどうしても講演に来て欲しいので変更して欲しいと相談があったため、ついでに県立中央病院へ立ち寄り、主治医の先生に相談して変更してもらうことにしました。10診のクラークさんに中で診察中の先生に聞いてもらい、一週間後で変更できホッとしました。

えひめ幼稚園園庭でのみこしのお話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院の近くに松山工業高校があり、少し遠いのですが校門を入ったところの駐車場に車を置かせてもらい、少し遠いものの体力づくりのつもりで銀天街、大街道の街中を少し足早に歩きました。娘に言われたとおり10時30分の5分前にえひめ幼稚園に到着し園庭へ入ると、豆絞りの鉢巻を頭に巻いた園児たちが出てきました。同じような背丈で同じような姿をしている沢山の園児の中から孫尚樹を見つけるのは至難の業です。4歳児の孫をやっと探し当て、向こうも私の姿を確認したようで、嬉しそうにはにかみながら手を振ってくれました。

祭り鉢巻も凛々しい孫尚樹

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 園庭には沢山の両親や祖父母が集まっていて、デジカメやビデオカメラの方列で、うっかり前を横切れない状態でした。やがて園児たちが大街道のアーケード目がけて歩き始めました。アーケードの中は祭り幟が立ち、両側には白い御幣が飾られて祭り気分を演出していました。園児が順番にみこしを担ぎワッショイワッショイと掛け声をかけて一番町通りまで歩きました。父兄も同じようにみこしを囲み大移動していました。
 一番町通りでみこしの前で組毎に記念写真を撮るのですが、人数が多いので孫尚樹の順番は中々来ず、やっと終ったのは出発してから1時間も経っていました。

記念撮影

 

一番後ろでみこしを担ぐ孫尚樹
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 今日から松山地方の秋祭りです。天気予報では今日と明日は雨模様のようです。孫朋樹も地元のみこし守に参加するようですが、天気ばかりは人間の力ではどうにもならず、雨に濡れて風邪を引かないよう注意しなければなりません。
 日本列島の各地からは初雪や初冠雪、コハクチョウ飛来の話題が届くようになりました。例年より20日間も早い冬の到来だとも報じていました。こちら四国でもいよいよ秋本番です。
 
  「秋祭り 幟御幣も はためいて ワッショイ掛け声 街中響く」
 
  「どれが孫? 同じ背丈の 園児ゆえ 探すの苦労 やっと見つけて」
 
  「おみこしが 園児父兄を 従えて 大名行列 わがもの顔に」
 
  「親馬鹿と 言われる親が カメラ手に ポーズ求めて 園児応える」 
  
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〇誕生日の祝詞

 昨日の朝は、友人から携帯メールやPCメールで誕生日を祝う祝詞が何件か届きました。この歳になると誕生日は「目出度くもあり目出度くもなし」って感じもしますが、まあ素直に喜ばなければなるまいと思っているところです。祝詞を贈ってくれた人の中には元愛媛県議会議長俊成薫さんのような偉い人もいるのです。昨日は運よく午前中在宅だったので、俊成さんからお祝いの電話を受けることができました。俊成さんは今年80歳になられたそうです。電話の話題はもっぱら政治の話で、いつもながら鋭い政治批評に脱帽といった感じでした。俊成さんとの出会いは色々ありますが、特に忘れられないのは私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループが無人島に挑む少年のつどいという事業をやっていたころ、連れて行った子どもが船の間に挟まって骨折を疑い、私がボランティアとして参加していた看護婦さんと高浜まで海路を運んで、再生会病院へ運んだことが、海上保安庁に知られることとなり、大騒動が起こりました。俊成さんは海上保安協会の会長をしていたことを思い出し、何かと終息にご迷惑をかけたのです。そんなご縁を忘れることなく私の誕生日には必ず祝詞を贈ってくれるのです。

達筆な俊成薫さんから贈られてきた祝詞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう一枚、昨日小さなハガキが届きました。高知県幡多郡大月町に住む堀充恵さんからのHappy Birthday!!カードです。堀さんも私の誕生日に毎年忘れることなくこうしてハガキを送ってくれるのです。堀さんとの出会いは多分私が高知県へ講演に行った折、講演会場で出会ったのが始まりです。以来私の町へ訪ねて来たり、私が大月に講演に行くと必ず姉妹揃って顔を見せてくれるのです。私も大月を通る度に道の駅の前に「123」という弁当屋を開業しているので、お店に立ち寄って妹さんの顔を見たりしています。堀さんは地元高校の事務員をしていましたが、今は多分退職して悠々自適の暮らしをしているようなのです。堀さん姉妹にも長い間会っていないので、出会いたいと思いを巡らせながら祝詞のハガキを読みました。

堀充恵さんからの祝詞ハガキ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「誕生日 祝詞いただく その度に 目出度くもあり 目出度くもなし」

  「誕生を 祝ってくれる 人ありて 優し心根 嬉し恥ずかし」

  「嗚呼今年 また歳一つ 重ねたり 思い巡らす これからのこと」

  「しっかりと 生きよう決意 新たして 誕生の日は 今年も過ぎた」 

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〇誕生日祝いの花束が届く

 昨日の午前中のことです。このところの忙しさで書斎の机の上が乱雑になったり、仕事のまとめができていないため、久しぶりにゆっくりした時間が取れたので、書斎で机の上の片付けや締め切りの迫った原稿を書いていました。数日前まで網戸だった書斎の窓は、このところの温度低下で閉められているため、外の音は完全に遮断されて静かで、窓越しに見える風景に秋の気配を感じていました。
 ふと外を見ると二人の女性が何やら荷物を持って自宅の庭に入ってきました。二人も書斎の机の前に座っている私を見つけ軽く会釈をしました。とっさに私の頭脳回路のシンパシーが働き、その二人が緒方二三子さんと西岡真由美さんであることを思い出したのです。

花束をプレゼントしてくれた西岡さん(左)と緒方さん(右)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急いで玄関先に出て二人を出迎えましたが、西岡さんは大きな花束を、緒方さんの手は紙袋をそれぞれ持っていました。緒方さんの手荷物の中身は旧瀬戸町特産の金太郎というサツマイモであることは、長年の経験から容易に想像ができるのです。「まあお上がりなさい」と書斎兼応接間へ案内しましたが、二人から「お誕生日おめでとうございます」と花束とサツマイモのプレゼントをいただきました。
 毎年私の誕生日に花束が届くようになったのは今から15年~16年前です。今でもはっきり覚えていますが、当時私は双海町役場の地域振興課長でした。その朝も毎朝5時に起きてシーサイド公園の掃除をする日課をやるべく、シーサイド公園で黙々と掃除をしていました。人工砂浜やイベントホールの水槽掃除は、予想以上にきつくてて汚れますが、8時近くになりもうそろそろ終ろうとしていた時、うら若き二人の女性が目の前に花束を持って現われたのです。そして今日のように「誕生日おめでとう」とその花束を手渡されました。

プレゼントしてもらった花束

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の誕生日もすっかり忘れ、薄汚れた格好で掃除をしていた矢先の花束プレゼントは、天にも登る嬉しさでした。その日はシーサイドにお店を構えているじゃこ天のおばちゃんたちもプレゼントを用意していて、屋外での誕生日セレモニーは、そこら辺のお客さんも巻き込んでとてもホットな出来事として、今も心に残っているのです。
 以来私が役場を退職してからも、変わらず私の誕生日10月3日を忘れずに、花束と瀬戸金時サツマイモを届けてくれるのです。妻が「お父さんはこの歳になっても誕生日に、花束を届けてくれるファンがいるのだから凄い」と褒めてくれるように、私も凄いと思っていて、この二人の女性につけても、もっともっと進化していい生き方をしなければならないと、強く心に誓うのです。

 昨日は息子嫁が二人のために美味しい紅茶を入れてくれました。息子嫁は実家が喫茶店を経営していて、そこの店員として働いていた経験で、お茶の入れ方出し方は心得ていて、砂糖の添えの代わりに自家製の蜂蜜を出してくれました。まあその紅茶の美味しかったこと、手前味噌ながら息子嫁の笑顔と言葉の気配りに感心してしました。
 話の流れで今年の春から同居するためリフォームした、息子嫁自慢のキッチンも見てもらい、話に花を咲かせました。聞けば緒方さんの娘さんは来春の就職も内定しているとか、また西岡さんの息子さんは名前が奏志とか、わが家の内孫の名前が奏心で、奇遇にも同じような名前に驚き大爆笑しました。人のご縁は不思議なもので、これからもお互いい人生でありますように心から祈った誕生日でした。

  「十六年 続く花束 プレゼント 私照れ気味 汗顔でした」

  「この歳に なっても無縁 有縁に する友ありて 縁の不思議を」

  「花束に 負けないくらい 進化して 生きよう誓う 僕の記念日」

  「幸せね 妻がポツリと いうセリフ 夕餉の膳を いただきながら」

 

 

 

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〇鳥取県倉吉への旅(その2)

 第30回地域づくり団体全国研修交流会鳥取県大会プレ大会は、「日本一小さな県から大きく発信」~集い・語り・紡ぐ~に向けてというテーマで、9月1日鳥取県立倉吉未来中心セミナールームで開かれました。

 

鳥取県立倉吉未来中心倉吉未来中心の内部

 

 

 

 

 

 

 

 

 

倉吉未来中心の内部
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
20世紀梨ミュージアムの屋外には梨も沢山実をつけていました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全体会の様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第一部、岡崎先生と私の対談

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 岡崎先生と私の対談、分科会でのワークショップ、分科会発表でプログラムは一応終わり、午後6時30分から倉吉駅前のホテルに会場を移し交流会がありました。私は電光掲示板を胸につけ、請われるままに裏が味噌の名刺を配り続けました。お陰様で100枚用意した名刺は殆んど底をついた感じです。
 その夜は近くのスナックへみんなで繰り出し、歌を歌ったり、ある人は踊ったりしていました。私は酒を飲まないため素面で、ウーロン茶を飲みながらお話をしましたが、カラオケの音が大き過ぎて詳しい話はできませんでした。

 明くる日は早めの7時から朝食を取り、名刹の投入堂へ行く予定でしたが、朝から振り出した雨のため行くことを断念し、そのまま来た道を引き返し、12時前には双海町へ無事帰って来ました。宇和島の森田さんの車で、森田さんが運転をしてくれてたため、今回の旅はとても楽な旅でした。今回の旅に同行した森田さんも谷本さんも松本さんも、かつてはえひめ地域政策研究センターへ出向して研究員をしていました。ゆえにその時々に地域づくりについて時には語り合い、時には実践してきた間柄なので、往復8時間余りの車の中は、久しぶりの話しに花を咲かせることができ、充実した旅となりました。

  「中国路 四人の仲間 うち揃い 楽しい話 往復の道」

  「スナックで 酒も飲まずに 人の歌 上手い上手いと 手を叩きつつ」

  「デジカメの 写真読み出し 旅のつれづれ ブログに書いて」

  「度肝抜く 施設行政 作り過ぎ これから先が 思いやられる」

 

 

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〇67回目の誕生日

 自分の名前や歳さえ忘れるようになっているのに、自分の誕生日など覚えているはずはないのに、昨日の夜娘家族と息子家族が松山に美味しい中華料理屋さんがあるので、みんなで食事をしながらお父さんの誕生日を祝いたいと申し出がありました。私は前日から鳥取に出張していて、少し疲れ気味なので余り気乗りはしませんでしたが、もう予約しているというのでしぶしぶ言葉に甘えることにしました。本来私の誕生パーティーですから、息子や娘がお金を出すのは当然でしょうが、そこはちゃっかり妻の財布から出るのですから、これはもう私の誕生日に名を借りた便乗夕食会の何ものでもないのです。そうはいいつつ妻曰く、「誕生日を祝ってくれる家族がいるのだから、幸せと思わなくっちゃ」と、甘い顔をしていました。

 今朝西条に住む女性の友人から、「誕生日おめでとございます」とメールが届きました。丁度妻と二人で朝食を食べていた時だったので、妻が「お父さんは幸せね」と笑顔で言ってくれました。もうこの歳になると私の携帯に女性からメールが入っても、妻は私を信用しきっているのか妬く事もなく、少々物足りなささえ感じるのです。
 早いもので私は今日で67歳です。気がつけば退職して6年半が過ぎたのです。私は60歳から始まった文字通り第二の人生を、それまでの半生以上に楽しく生きています。仕事ではない講演や大学での講義等、仕事のような遊び半分の仕事に現を抜かし、地域づくりと称するこれまた遊び半分のボランティア活動を目いっぱい楽しみ、自費で造った人間牧場を拠点に、いささかなりの地域貢献をしながら生きているのです。誰に命令されるでもなく、楽しい、新しい、美しいをモットーに、家族や仲間とともにイキイキと輝いて生きているのです。

 やりがいのある仕事と充実した私生活を両立させることをワークライフバランスといいます。誰もが願わくば仕事と私生活を両立させたいと思っていますが、仕事に比重をかけると私生活が疎かになり、私生活に軸足を置きすぎると職場での仕事が上手く行かず、世の中は中々上手く行かないものです。
 その点今の私は均衡のとれたワークライフバランスだと思うのです。勿論私のワークライフバランスを保つために、多くの人が支えてくれていることは百も承知で感謝しながら生きています。私が健康なのは妻のお陰、私が活動できるのは友人のお陰と思っています。一日や一ヶ月を何も考えずに暮らしても、それなりに過ぎて行くものです。でも私の一日一ヶ月は、ブログに書いた記事が示すとおり、ハラハラ・ドキドキ・ジーンの連続で、人から見れば他愛ないことで記録に値しませんが、私なりに満足して生きているのです。

 高知県馬路村の友人からたった今、携帯にメッセージが入りました。「順調に加齢してますね」「私も順調に加齢」とあります。私も友人も同じように一年に一つずつ加齢するのです。数日前に出会った同級生が、「わしらは苦労して育ってひとつもいいことがなかった。つまらん」と嘆いていました。そして「お前が羨ましい」とも言ってくれました。同じ時間、同じ日数、同じ年齢を生きても、心一つでこうも生き方が変わるのかと、その人の後ろ向きな生き方を思いました。私たちは過去へタイムスリップすることはできません。過去を嘆いても何も見返りはないのです。「もっと前を向いて目標を持って生きて行こう」と諭しましたが、同級生は「お前のように生きることはできん」と、ばっさりでした。人はどうであれ、自分の中に生きているもう一人の自分を強くしながら対話して、これからも楽しく生きて行こうと思っています。「67歳万歳!!」「67歳最高!!」です。

  「誕生日 おめでとうメール 女から 妻妬くこともなく 風に流して」

  「もうそんな 歳になったか 六十七 まだまだ先は 長くて楽し」

  「誕生日 祝って食事 支払いは 妻の財布を 当てにする子ら」

  「何歳に? あなた順調 私も同じ メールを読んで ハッと気がつく」 

 

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人間牧場

〇鳥取県倉吉への旅(その1)

 昨日はいつもより少し早目の朝3時に起床し、ブログ記事を少しあせるような気持ちで2本書き、宇和島のまちづくり親友森田さんと谷本さんが同乗して、朝6時30分に双海地域事務所まで迎えに来てくれました。地域事務所前で親友松本さんと合流して、鳥取県倉吉で開かれる地域づくり団体研修交流大会プレシンポに参加するため出発しました。昨日は天気も良く伊予インター~瀬戸大橋~山陽自動車道~中国自動車道~一般国道を走り、真庭市から中国山脈の峠を越えて、関金~三朝~倉吉と順調に走り、予定より少し早目の11時前には会場となる鳥取県立倉吉未来中心の中にある地域づくりセンターへ到着しました。
 プレシンポの開会は午後2時なので、そろそろ集まってきた実行委員会の皆さんと名刺交換したり、控え室で色々な話をして過ごしました。今回のプレシンポは直前の熊本大会が東日本大震災の影響で直前になって中止となり、リレーのような形でバトンタッチするはずのバトンが渡らなくなって、困惑の中で開催されました。

 このプレシンポには地域づくりセンター所長福田京子さんの計らいで、地域づくり団体全国協議会会長の岡崎先生と私たち4人にお誘いがありました。私は愛媛県大会実行委員長として、3年前の苦労話をして欲しいというのですが、正直言って3年前のこと等詳しくは覚えていないのですが、それでも当時の報告書を書棚の中から引っ張り出して、ほんの少しだけ準備をして参加したのです。
 プレシンポなので開会行事は殆んどなく、いきなり岡崎先生と私の対談で始まりました。最初の計画では二人の対談だったのに、二日前になって実行委員長の福田さんが進行役を務める鼎談になったようで、県庁の思惑や心配を少し垣間見る思いがしました、岡崎先生も私もそこら辺は鷹揚なので、務めて明るく一時間ばかり話をさせてもらいました。

 第一部の対談に続いて第二部はワークショップです。四つの分科会に別れそれぞれのテーマに基づいて話し合いをしました。私は第2分科会で、「参加者満足度向上の大会づくり」というテーマに沿って、まず私が30分基調ミニ講演をやり、県内から集まった11分科会の代表が、もし若松進一さんに来てもらうとした、どんなアプローチが必要か、ミニのプレゼンテーションを行ないました。分科会場には江府町議会議員の中田さんや、元朝日新聞の記者で鳥取県議会議員の砂場さんなど知り合いの人もいて、私への支援発言もしていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第2分科会の司会は年輪塾塾頭清水さんの友人の藤原一樹さんでとてもラッキーな出会いでした。藤原さんは紅茶の会の代表を務めていて、今後の出会いの深まりを大いに期待しました。上のパンフレットが来年のプログラムで、分科会の行なわれる市町村が紹介されていました。

  「鳥取は 日本で一番 人口の 少ない県と 自慢タラタラ」

  「鳥取は 地域の個性 ジゲおこし それぞれ特徴 ありて楽しみ」

  「会場に かつての仲間 ちらほらと 支援発言 有難きかな」

  「対談が 鼎談になり 心配を したがかえって 話充実」 

 

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〇青森県産リンゴならぬリンゴの絵が届く

徳田糸江さんから届いた真っ赤なリンゴの絵手紙

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日私の元へ青森県産のリンゴが届きました。リンゴといっても絵に書いたリンゴで食べられないのです。送り主は大洲市新谷に住む私の友人徳田糸江さんからです。徳田さんは双海町出身で山を一つ越えた大洲市新谷へ嫁がれていますが、西田和子さんや亀本幸三さん率いる大杉年輪塾の強力メンバーとして活躍をしています。インターネットホームページによると徳田さんは、四国遍路客のためにお風呂を造って接待される等頭の下がる活躍をしていますが、時々西田和子さんたちと一緒に年輪塾や双海町のイベントに参加してくれるのです。

 糸江さんのお兄さんが私と同級生だし、同じ下灘中学校の卒業生でもあるので、何かと心が通じ合い、時々達者な多芸を生かしてこうして絵手紙をいただくのですが、無芸な私には返信のすべもなく、失礼とは思いましたがこうして、ブログ初日の話題に取り上げさせてもらいました。
 本来ハガキは表は住所と名前、裏にお便りを書くのでしょうが、絵手紙の場合は裏に絵を書くため表に便りが書かれていました。
 「先日はまちづくりフォーラム下灘駅での講演、とても素晴らしく感動をありがとうございました。下灘駅は私にとっても心の駅で、思い出がいっぱい詰まった駅です。この風景を眺めていると心が癒されます。潮風が心地よく、笑顔になれた一日でした。私は海が大好きです。つらい時など海を実に良く行きました。茜色に染まった夕日のしずむ中のハーモニカは最高でした。感動をありがとうございました。お礼まで!!」と嬉しいお便りでした。

 ふと、あの日糸江さんが見た夕日、私がカリスマ対談しながら見た夕日のことを思い出し、デジカメの中に残っている夕日の写真を取り出そうとしました。ひょっとしたら消したかも知れないと思い、デジカメのメモリーを取り出し、パソコンに挿入して呼び出してみました。「あった、あった」です。

下灘駅から見えたあの日の夕日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は糸江さんのお便りにもあったようにこの日ハーモニカで、臆目もなく赤とんぼと夕やけこやけの歌を吹いたようです。すっかりそのことを忘れていて、糸江さんからのお便りで改めてそのことを思い出しました。
 私はリンゴが大好きです。リンキャベという造語を作るほどリンゴとキャベツは殆んど毎日欠かすことなく食べ続けているのです。食べれないリンゴの便りでしたが、食べたリンゴはなくなるものの、糸江さんからのリンゴの便りは、いつまでも大切に取っておきたい便りでした。

  「絵に描いた 食えないリンゴ 便りにて 届いて嬉し 早速ブログ」

  「お話と 下手糞ながら ハーモニカ 褒めてもらえて 少し勇気が」

  「同郷は 同じ思い出 持っている 下灘駅も 記憶の底に」

  「ひと山を 越えて届いた 絵手紙に どこか懐かし 風情感じる」

 

 

 

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〇転居初日の一筆啓上

 お早うございます。ただいま10月1日朝4時です。私の新しいブログアドレスhttp/blog.yuuhi.jp での書き込みが只今から正式に始まりました。今まではアメーバブログでしたが、word press を使ってのブログ書きは馴れないために、10月の練習期間も色々な問題にぶつかり、その殆んどはまだ未解決なままなのですが、とりあえず自分の気持ちを一新し、これから精進を重ねて書こうと思っていますのでよろしくお願い致します。

シーサイド公園恋人岬の夕日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今朝は間もなく起きてくるであろう妻の用意してくれるはずの朝食を食べ、身支度を整えると、鳥取県倉吉市で開かれる、鳥取県地域づくり研修交流大会に招かれているため、宇和島市の森田さん、谷本さん、伊予市の松本さんと4人で出かける予定です。新しいブログの出発の日と重なってしまって、詳しく書くことができないまま午前6時30分に双海地域事務所の前で待ち合わせして乗せてもらい鳥取に向けて出発する予定です。

 帰宅は明日の夕方になる予定ですが、今日は孫希心君が通う上灘保育園の運動会で、家族みんなが参観に行くようで、娘家族も昨晩からわが家へ泊まっていて、私は残念ながら参観ができないのです。昨日は午前中から雨が降りました。最初の天気予報では雨でしたが、昨日の夜の天気予報では曇り空のようで、ひょっとしたら雨天は体育館に変更する計画も、ムダになるかも知れないようです。願わくば孫希心君の初めての運動会なので腫れて欲しいと願っています。

 昨日の夜は双海中学校の学校評議委員会が午後7時からありました。夕方NHKのディレクターから四国羅針盤という番組で、震災福島からやって来て双海町で農業を営む渡辺さんのことが放送されるので見て欲しいと連絡がありましたが、残念ながら重なって見ることができませんでした。ビデオ録画もできていなかったようですが、ディレクターの話では私もチョイ役でチョイ出演していたようです。
 まあブログ初日はこのように何かと忙しくて、まともな記事をかけない出発となりました。悪しからず・・・・。

  「転居した アドレス書いて 書き初め 不安だらけに 多忙追い討ち」

  「先月も 忙しかった 今月も 予定を見れば 結構忙しい」

  「後ろ髪 引かれる想い 運動会 参観できず 孫は不機嫌」

  「白々と 東の空が 開け始め 今日も一日 忙し動く」

 

 

 

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