人間牧場

〇飽きが来ずに秋が来た

 夜が明けるのが遅くなり、夜が来るのが早くなったと感じるようになりました。季節はもう完全に秋モードです。これまでだと午前4時に起床して、書斎でブログを書いたり本を読んだりしていると直ぐに夜が明けるような感じがしていましたが、朝5時にやって来る新聞屋さんも牛乳屋さんも完全に暗がりで、懐中電灯片手にやって来ます。東の空が明るくなると、前夜のテレビによる天気予報を確かめるように、東の空を見るのが日課になってきました。今朝は薄雲がかなり速い速度で東から南西の方に流れていました。こんな時は決まって秋特有のコチ若しくはくだりと地元で呼ぶ東寄りの風が吹くのです。

空が高くなったような朝の空
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 東よりの風は陸風が海風に変わる9時過ぎから強くなり始め、昼ごろには白波が立つほど強くなりますが、「くだりと夫婦喧嘩は夕方に凪ぐ」といわれるように、夕方5時ごろには一旦止みますが、明くる日も同じようなパターンで吹くので、猟師さんたちはいい日和なのに漁にも出られず、ジレンマを感じながら過ごすのです。
 秋風が吹くのは主に10月から11月初旬にかけてですが、やがてその風が収まると本格的な冬の北西の風に変わり、来年3月初めまで深い眠りに就くのです。
 
 私の書斎をダイニングに衣替えしてから、外を眺め夫婦二人で話しながら食事をする時間が増えてきました。食卓の上に花を飾り、日々の出来事や、見聞きした話題を話すのですが、妻は近所の歯科医院にパートで勤めているため、町内の話題を患者さんが話すので、むしろ私より町内の話題は豊富で、「へえ」と思うことや、「お目出度お悔やみ」など話題には結構事欠かないのです。
 妻の作った手料理を食べながら二人で話し込む風景がダイニングの窓に映る姿は何ともほほえましく、幸せさえ感じています。このまま幸せが続くように今晩も二人で色々な話をしました。だとさ・・・。(笑い)
 
  「旧書斎 ダイニングになり 朝昼晩 二人で食事 窓に写りて」
 
  「食卓に 野花一輪 活けにけり 夫婦の会話 仲を取り持つ」
  
  「今晩も 妻の手料理 満足し 秋の夜長を あれこれ話す」
 
  「何気ない 日々の暮らしが 幸せと 感じる歳に なってしまった」
[ この記事をシェアする ]

人間牧場

〇舞たうん110号のコラム

 私は請われるまま色々な雑誌等に文章を書いていますが、えひめ地域政策研究センター発行の舞たうんという雑誌には今号で17回目となる記事を掲載しているのです。舞たうんの編集はセンターの研究員が順番に担当し、編集会議にテーマや内容を提案して承諾を受けると、原稿依頼や県内外各地へ取材に赴くのです。連載57回を数えるタウンツーリズム講座主宰の岡崎直司さんに比べれば私の17回などまだまだ序の口ですが、それでも研究員からテーマを告げられると、「はてさて何を書こうか」と思惑をめぐらせるのです。

 私の記事は「特選ブログshin-1さんの日記」という連載なので、毎日アメーバブログに二本の記事を書いているような軽いタッチのエッセイ風に書いています。今回の特集テーマが「障がい者にやさしいまちづくり」なので、障害者について書いてみました。昨日印刷されて届いた舞たうん110号の表紙を見て「おや?」と思い、私の浅はかさに一瞬心が曇りました。私はこれまでも今回の記事にも「障害者」という漢字を使っています。ところが表紙に書かれた文字は「障がい者」と、「害」をひらがなの「がい」で標記しているのです。

 何年か前から「痴呆症」という言葉が「認知症」という言葉に変わったように、「障害者」が「障がい者」に変わっていたのなら勉強不足だと思い、えひめ地域政策研究センターが開くのを待って朝9時前に編集人の河野さんに電話を入れました。河野さんは温かく対応していただき、その辺については「害」でも「がい」でもどちらでもいいという返答をいただき、少し胸の痞えが下りたのです。と同時に私の障害者に対する心構えはまだまだだと、あらためて感じました。

舞たうん掲載記事P20
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
舞たうん掲載記事P21
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 何年か前、職場で人権同和教育について話し合ったことがありました。何気なく使っていた「バカチョンカメラ」という言葉が障害者を差別している言葉ではないかということになりました。私は何度「バカチョンカメラ」という言葉を平気で使っている人に「それは差別だから使わないように」と注意をしたことでしょう。車や交通機関がないことを「足がない」と何気なく使います。これも足の不自由な障害者を差別する用語です。障害者差別ではないけれど、セクハラと思われる言葉も随分平気で使っています。今一度言葉遣いについて考えてみようと思いました。
 今朝私の書いた舞たうんの掲載記事を食卓で読んで聞かせてやりました。まるで舞たうん読み聞かせ隊のように・・・・。妻はいい文章だと手前味噌ながら褒めてくれました。ギノー味噌提供でした。(笑い)
 
  「障害者 障がいと書く 文字を見て 一瞬たじろく 俺はまだまだ」
  「何気なく 使っているが 差別語が いっぱいあると 拳拳服膺」
  「差別語は 知らなかったで 済まされぬ しっかり学習 心に刻む」
  「言葉より 差別の心 直さねば この世の中の 差別なくせず」 
[ この記事をシェアする ]