人間牧場

〇誕生日の祝詞

 昨日の朝は、友人から携帯メールやPCメールで誕生日を祝う祝詞が何件か届きました。この歳になると誕生日は「目出度くもあり目出度くもなし」って感じもしますが、まあ素直に喜ばなければなるまいと思っているところです。祝詞を贈ってくれた人の中には元愛媛県議会議長俊成薫さんのような偉い人もいるのです。昨日は運よく午前中在宅だったので、俊成さんからお祝いの電話を受けることができました。俊成さんは今年80歳になられたそうです。電話の話題はもっぱら政治の話で、いつもながら鋭い政治批評に脱帽といった感じでした。俊成さんとの出会いは色々ありますが、特に忘れられないのは私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループが無人島に挑む少年のつどいという事業をやっていたころ、連れて行った子どもが船の間に挟まって骨折を疑い、私がボランティアとして参加していた看護婦さんと高浜まで海路を運んで、再生会病院へ運んだことが、海上保安庁に知られることとなり、大騒動が起こりました。俊成さんは海上保安協会の会長をしていたことを思い出し、何かと終息にご迷惑をかけたのです。そんなご縁を忘れることなく私の誕生日には必ず祝詞を贈ってくれるのです。

達筆な俊成薫さんから贈られてきた祝詞

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう一枚、昨日小さなハガキが届きました。高知県幡多郡大月町に住む堀充恵さんからのHappy Birthday!!カードです。堀さんも私の誕生日に毎年忘れることなくこうしてハガキを送ってくれるのです。堀さんとの出会いは多分私が高知県へ講演に行った折、講演会場で出会ったのが始まりです。以来私の町へ訪ねて来たり、私が大月に講演に行くと必ず姉妹揃って顔を見せてくれるのです。私も大月を通る度に道の駅の前に「123」という弁当屋を開業しているので、お店に立ち寄って妹さんの顔を見たりしています。堀さんは地元高校の事務員をしていましたが、今は多分退職して悠々自適の暮らしをしているようなのです。堀さん姉妹にも長い間会っていないので、出会いたいと思いを巡らせながら祝詞のハガキを読みました。

堀充恵さんからの祝詞ハガキ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「誕生日 祝詞いただく その度に 目出度くもあり 目出度くもなし」

  「誕生を 祝ってくれる 人ありて 優し心根 嬉し恥ずかし」

  「嗚呼今年 また歳一つ 重ねたり 思い巡らす これからのこと」

  「しっかりと 生きよう決意 新たして 誕生の日は 今年も過ぎた」 

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人間牧場

〇誕生日祝いの花束が届く

 昨日の午前中のことです。このところの忙しさで書斎の机の上が乱雑になったり、仕事のまとめができていないため、久しぶりにゆっくりした時間が取れたので、書斎で机の上の片付けや締め切りの迫った原稿を書いていました。数日前まで網戸だった書斎の窓は、このところの温度低下で閉められているため、外の音は完全に遮断されて静かで、窓越しに見える風景に秋の気配を感じていました。
 ふと外を見ると二人の女性が何やら荷物を持って自宅の庭に入ってきました。二人も書斎の机の前に座っている私を見つけ軽く会釈をしました。とっさに私の頭脳回路のシンパシーが働き、その二人が緒方二三子さんと西岡真由美さんであることを思い出したのです。

花束をプレゼントしてくれた西岡さん(左)と緒方さん(右)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 急いで玄関先に出て二人を出迎えましたが、西岡さんは大きな花束を、緒方さんの手は紙袋をそれぞれ持っていました。緒方さんの手荷物の中身は旧瀬戸町特産の金太郎というサツマイモであることは、長年の経験から容易に想像ができるのです。「まあお上がりなさい」と書斎兼応接間へ案内しましたが、二人から「お誕生日おめでとうございます」と花束とサツマイモのプレゼントをいただきました。
 毎年私の誕生日に花束が届くようになったのは今から15年~16年前です。今でもはっきり覚えていますが、当時私は双海町役場の地域振興課長でした。その朝も毎朝5時に起きてシーサイド公園の掃除をする日課をやるべく、シーサイド公園で黙々と掃除をしていました。人工砂浜やイベントホールの水槽掃除は、予想以上にきつくてて汚れますが、8時近くになりもうそろそろ終ろうとしていた時、うら若き二人の女性が目の前に花束を持って現われたのです。そして今日のように「誕生日おめでとう」とその花束を手渡されました。

プレゼントしてもらった花束

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分の誕生日もすっかり忘れ、薄汚れた格好で掃除をしていた矢先の花束プレゼントは、天にも登る嬉しさでした。その日はシーサイドにお店を構えているじゃこ天のおばちゃんたちもプレゼントを用意していて、屋外での誕生日セレモニーは、そこら辺のお客さんも巻き込んでとてもホットな出来事として、今も心に残っているのです。
 以来私が役場を退職してからも、変わらず私の誕生日10月3日を忘れずに、花束と瀬戸金時サツマイモを届けてくれるのです。妻が「お父さんはこの歳になっても誕生日に、花束を届けてくれるファンがいるのだから凄い」と褒めてくれるように、私も凄いと思っていて、この二人の女性につけても、もっともっと進化していい生き方をしなければならないと、強く心に誓うのです。

 昨日は息子嫁が二人のために美味しい紅茶を入れてくれました。息子嫁は実家が喫茶店を経営していて、そこの店員として働いていた経験で、お茶の入れ方出し方は心得ていて、砂糖の添えの代わりに自家製の蜂蜜を出してくれました。まあその紅茶の美味しかったこと、手前味噌ながら息子嫁の笑顔と言葉の気配りに感心してしました。
 話の流れで今年の春から同居するためリフォームした、息子嫁自慢のキッチンも見てもらい、話に花を咲かせました。聞けば緒方さんの娘さんは来春の就職も内定しているとか、また西岡さんの息子さんは名前が奏志とか、わが家の内孫の名前が奏心で、奇遇にも同じような名前に驚き大爆笑しました。人のご縁は不思議なもので、これからもお互いい人生でありますように心から祈った誕生日でした。

  「十六年 続く花束 プレゼント 私照れ気味 汗顔でした」

  「この歳に なっても無縁 有縁に する友ありて 縁の不思議を」

  「花束に 負けないくらい 進化して 生きよう誓う 僕の記念日」

  「幸せね 妻がポツリと いうセリフ 夕餉の膳を いただきながら」

 

 

 

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