〇心を磨く100の智恵・その1
何年か前、私が塾長を務める年輪塾の塾頭清水さんから、「菜根譚」という一冊の本を贈られました。その時は人間牧場の背もたれ椅子に座り二日ほどで読破しました。私の体の基層部分にはその時の記憶が残っているものと思われますが、一昨日人間牧場・水平線の家の長い書架の掃除をしていると、再び「菜根譚」が目に付き、他の2~3冊と共に自宅へ持ち帰り、読み返しています。
「菜根譚」とは「堅い菜根も良くかめば、滋養となって心身は健やかになる」という意味のようですが、最初に読んだ当時は乱読で、深い意味も分からず私にとっては堅いままの菜根でしかなかったようです。
「菜根譚」は第一章品格を磨く、第二章よりよい人間関係を築く、第三章心に安らぎをもたらす、第四章正しい道を歩む、第五章人生を考えると続いていますが、学習のつもりで少し時間はかかりますが、心を磨く100話の智恵と題して自分なりに解読したいと思いました。表題の中には浅学ゆえ不得意な部分もありますが、とりあえず順を追って自分なりに言葉の意味を考え、とりあえず今年いっぱいを目途にやってみたいものです。
心を磨く100の智恵・その1「評判を気にしすぎない」
【周囲からの賞賛や非難に惑わされるな。落ち着いた気持ちで庭先の花が咲いて散り行く姿を眺めていよう。出世や損得にも心を乱されないことだ。落ち着いてよく見ていれば、空に浮かぶ雲も風まかせに形を変えていくだろう。】
一人や二人の職場は別ですが、勤めている人にとって春は異動の季節です。今は勤務評定や評価という基準があって一応化学的にその人の能力が判断されることになっていますが、最後に決めるのはやはり人ですから異動が正しかったかどうか疑問です。私が勤めた役場では毎年のように転勤させられる人、長年その職にとどまり、まるで燻し銀のような人など様々ですが、人事異動をする側は常に周りの評判を気にしています。挨拶ができるかどうか、仕事が速いか遅いか、間違いが少ないかどうか、私生活はどうかなど、公私にわたって目耳に入ってくる評判を基にその人の評価がされるのですが、評判の中には故意に流された間違ったものもあるようです。仕事ができるということは失敗の機会も多く、逆に何もしないと失敗は殆どないのです。上司にゴマをすって世渡り上手に生きる人もいますが、化けの皮がはがれまいと一喜一憂して生きるより、常に研鑽を積んで自分流を貫くことが大事です。
人間には天気のように晴れに日もあれば曇天雨の日もあります。籠とは昇り調子、辱とは失意です。人生において籠と辱は必ず交互にやって来ます。籠の時有頂天にならず、辱の時腐ることなく次の籠を待つくらいの度量を持って生きて欲しいと思うのです。人間は弱いものです。仲の良い同年齢や同期生が昇進すれば、何で自分がと思うのは当然です。損か得か、好きか嫌いかより善か悪かで判断することも大切です。
課長や部長といった肩書きには責任という重い仕事や新しい発想、機を見て敏な判断力が求められます。その能力がない人が役職につくと悲惨で上下の信用もなくノイローゼになって体調を崩す人だっているのです。定年になり職場を離れてみて初めて自分の愚かさに気付くのですが、これを後の祭りというのでしょうか。
「何年か 前に乱読 した本を 読み返しみる 題名どおり」
「菜根を 噛み砕きたる 力なし 少しの余裕 解読挑む」
「評判にゃ 評判どおり あるものの 評判倒れ 幾つもありて」
「前向きの ことを英語で ポジティブと 言うのだそうだ そうだそうだと」