shin-1さんの日記

○残りものに福がある

 仲間と時々飲み会をします。飲み会といっても昔のように二次会三次会と回を重ねて、浴びるほど飲んだ昔とはまったく別人のように、酒を全く飲まずウーロン茶で付き合うのです。最近そのウーロン茶に疑問が生じてきました。というのもウーロン茶を飲んだ明くる日はどこかお腹の調子がしっくりしないのです。料理を食べながらウーロン茶を飲むのですが、他の人のビールの進み具合に習って相手がウーロン茶を進めてくれるのをいい気になって飲んでいました。しかしウーロン茶を三杯も飲むと腹が張ってくるのです。ある人が自動販売機で販売しているお茶などはどんなものかよく分からないので飲まない方がいいというので、それ以来ウーロン茶は少しにして、熱い日本茶をいただくようにしているのです。熱い日本茶はいくら飲んでもタダですからこのくらいの貢献はないのです。会費制だからそこまで気を使うことはありませんが、それでも温かい日本茶はやはり食事を引き立たせてくれるようです。

 先日の夕方誘われた地元の飲み会に参加しました。前約の打ち合わせがあってかなり遅れての参加になりましたが、みんなが最高に盛り上がっているころ座敷に入るとまるで主役のように大きな拍手で迎えていただきました。「残りものに福がある」と感じましたが、残りものに福はこればかりではありませんでした。皆さんはお酒が進んで、次々に出てくる料理の美味しい部分はほとんど手つかずの状態で、遅く来たのだから食べろ食べろとアワビやウニの乗った刺身や並みでない上のお寿司が私の前に運ばれて、結局食べ切れなし分は折箱に詰められ、持ち帰りの残りものに福となったのです。

 こればかりはではありません。この日は福引がありました。私が行く前に福引は既に終わっていましたが、どういう訳か一番上等なクジが残っていて、それが私に当たってしまいました。幹事さんがあいさつで「残り物には福がある」という言葉を喋りながらその景品を渡してくれたのです。私もお返しのあいさつで「残り物には福がある」という話をしました。時間に遅れて行ったばかりに「残り物には福がある」に出会った嬉しい一日でした。

 私たちはややもすると残りものに対するイメージを悪くとらえる風潮があります。良く妻と二人で話すのですが、結婚も早婚でいい人を探そうとする人もいますが、晩婚でもいい人と巡り合う人はいくらでもいます。私がその例で、私26歳、妻25歳で結婚しました。当時はそんなに早くもなく遅くもない結婚風潮年齢でしたが、妻の場合は25歳と少し晩婚意識があったようです。でも私は残りものといえば妻に失礼ですが、まあブログですから大目に見てください。残りものの妻と結婚し福を引き当てたのです。おノロケではなく本当にそう思うのです。これもブログでのおノロケです(笑い)。

 さてさて私たち夫婦の人生も21年刻みの日時計で行くと、いよいよ4クォーターめに入ってきました。これまでの3クォーターはどちらかというと苦労の多いものでしたが、せめてこれから残りの人生は「残り物に福がある」人生で会って欲しいものだと妻と夜な夜な話すのです。


  「残り物 ついつい悪く 思うもの 意外や意外 福が残りて」

  「ひょっとして 妻も残りか? 思うだけ 残り物には 福があったよ」

  「妻が言う あなたも残り? いや違う 俺はお前に 選ばれし福」

  「残りもの 同士で夫婦 なりにけり 福と福とで 今は幸せ」

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shin-1さんの日記

○間違ったキーで水平線の家のカギは開かない

 わが家には幾つかのカギがあります。乗用車、単車、軽四トラック、自転車など車のキー、家の玄関や勝手口のキーなどに加え、人間牧場のキーや大学研究室のキーなど様々です。その殆どのキーは忘れたり紛失したときを想定してスペアのキーを作っているのです。ですからどれがどれのキーか確認しないととんでもない間違いを起こしてしまうのです。自分の名前とまではいきません、今日は何曜日で何日だったか忘れるような年代になると、このキーをいちいち覚えることは至難の業なのです。そのため妻は玄関の一番見えやすい場所に吊り下げてくれているのですが、時々へまをやる時があります。車に乗ってエンジンをかけようとするとキーが入らないのです。よくよく見れば乗用車の鍵で軽四トラックに乗ろうとしたりすることがあります。家の敷地内ですから玄関に入り別のキーを持ち出せば間違ってもリスクはそんなに高くないのです。ところがてっきり人間牧場のキーだと思って出かけて、約10キロも離れた場所でキーの間違いに気づくとこれはもう最悪で、泣きたくなるような事態になるのです。もう一度引き返してキーを取り帰ると有に1時間はかかるのです。

 そんな間違いを昨日やってしまいました。人間牧場を訪ねた昨日、いつものように軽やかな気持ちで山道を登って行きました。昨日は天気も良く、大河内さんからリクエストなあった習いたての「しあわせのうた」を口ずさみながら、咲き始めた椿の花のトンネルを楽しみ、やっと到着です。車のエンジンを止め急な坂道ゆえにサイドブレーキとギアをエンジンブレーキがかかるようにして降りました。やがてポケットからキーを取り出して玄関の鍵を開けようとするのですが、ポケットから取り出したキーはまったく違ったものなのです。顔から血の気が引くのを覚えましたが既に後の祭りです。どうしようか思案しましたが、後の予定もあるので引き返す時間的余裕はなく、右往左往です。つくづく自分の未熟さや確認の甘さが嫌になりながらも、そこら辺をウロウロしていて、ハッと気が付きました。このようなことがあることを予想して、スペアーキーをどこかに置いていたことを思い出しました。というのも水平線の家を建築した当時、大工さんが完成間近な頃、大工仕事の度にキーを取りに来ることもできず、大工さんと私の約束である場所にスペアーキーを隠していたのです。でももう三年半も前の出来事ですから、多分その場所のキーは息子用に渡しているだろうと半信半疑でした。

 ところがどうでしょう。その場所には3年半も前に置いていたキーがちゃんと置いてあるではありませんか。まさにラッ・キーとはこのことです。嬉しくなって水平線の家の鍵をあけましたがばっちしでした。カギは本来そんな墓所に置いておくためのものではないのですが、幸か不幸か今回は幸運を得ました。泥棒はそんな鍵のありかを探すのだそうですが、もう二度とこんな間違いをしないことを自分に言い聞かせ、そのキーは私のポケットに収まり、3年半ぶりにわが家へ帰ってきました。

 家を出る時に必ず携帯電は持っただろうかとポケットを確認し、腕時計は、財布は、免許証と名刺れは、ハンカチは、などなど毎日やっても携帯電話を忘れて途中で引き返したりする慌て者です。その度に妻に注意され、その度に妻をあきれさせて笑われるのです。

 ブログでその醜態を告白しましたが、これからは沢山ある話がyのキーの中から間違わないように目的のキーを取り出したいと思いました。


  「あれ?変だ 鍵が開かない 間違った ドジな自分に ホトホト嫌気」

  「ちょっと待て 三年半も 前だけど 大工と俺の 隠せしキー出る」

  「ああ俺も やはりぼけたか 歳のせい? 確認もせず 別のキー持ち」

  「多過ぎる わが家の鍵の 置場所に 新たなカギが 一つ加わる」 

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shin-1さんの日記

○春はそこまで

 風邪をひいた年末年始は、「今年の冬は寒い」と思ってたのに、このところの温かさをマスコミは一斉に「温暖化の影響」だと騒いでいます。またスギ花粉も飛び出して花粉症にご用心や、インフルエンザにご用心などと、相変わらず訳の分からぬお天気談義が続いているようです。

若松進一ブログ(松山から25キロ、歩いて到着した中学生)

 それにしても今日は穏やかな日和でした。立春が過ぎるとこんなにも春の足音が早いのか?と思わせるような陽気です。愛媛県では立春前後、中学2年生を対象に各学校で少年式という、全国的には珍しい行事が組まれています。中学2年生といえば昔の元服の年齢と同じだそうで、元服の誓いである「自覚」「健康」「立志」の三本柱を掲げて様々な催しをするのです。私が今日訪ねた国立大洲青少年交流の家には、内子中学の生徒が歩いてきていましたし、帰って訪ねたシーサイド公園には松山南中学校の生徒が25キロも歩いてやってきていました。中にはPTAの役員でしょうか府警の顔もちらほら見えて微笑ましく感じました。


 私は国立青少年交流の家での打ち合わせの前に新任の所長さんや次長さん、それに児玉係長さんを交えて昼食を御馳走になりました。いつものことながらこの施設での食事はバイキング方式で、発足当時の青年の家だった頃には考えられないような充実したメニューで、カレーや日本そばまでいただいて、満腹になりました。打ち合わせが終わり早々にお暇した帰り、大洲のホームセンターに立ち寄り、コンクリートブロックを9枚買い求めました。田舎のオープンカーで出かけていたので、後ろの荷台に積んで帰りました。このブロックは山奥組の井上さんが11日の年輪塾オープンセミナーに先立って、蜂の分家をしてくれるためのものです。多分このブロックを敷いた上に蜂の巣箱を置くのでしょうが、詳しいことは分からないのです。とりあえず指示通りにブロックを用意したので、今年は人間牧場での蜜蜂飼いプロジェクトがスタートします。上手くできるといいのですが・・・。

若松進一ブログ(自然に温度が上がっている腐葉土づくりの苗床)

 帰り道人間牧場へ上がりました。二日前に覆いを被せた腐葉土づくりも、春の陽気に誘われて熱気ムンムンの状態がビニールの上から見えて、少しだけ安心をしています。この分だと遅れを取り戻して昨年と同じ頃には芋を苗床に伏せれるかも知れません。

若松進一ブログ(出来上がった年輪塾の名札)

 昨日市役所の米井さんに頼んで書いてもらっていた年輪塾塾生の名札に穴をあけ吊り下げました。前期のものは叔父に頼んで書いてもらっていたため多少釣り合いがとれませんが、新しくメンバーに加わった方々の名前が加わり急に賑やかになったようです。塾生は塾長の私と塾頭の清水さんを加えて11人になりました。まだ塾生になりたいという希望者が何人かいるので、そのうち塾生の人数も増えることでしょう。

 今月11日に開催予定のセミナーは塾頭の清水さんと小番頭の松本さんが中心になって準備を進めています。10年間で40回の塾を開いたフロンティア塾以来の開塾です。定員25人に対し直ぐに申込みが満杯になったと松本さんから連絡がありました。

 今日は迎える準備として少しばかり掃除をしておこうと、掃除機を取り出して掃除をしました。窓を全開して春の空気を入れましたが、こんな天気であって欲しいと、11日の天気を祈りました。

  「天気だと 温暖化かも 大騒ぎ インフルエンザ 何処へ行ったの」

  「ブロックを 九枚用意と メール来て 蜂の分家に 期待集まる」

  「墨字書く 名札穴あけ 吊り下げる 開塾準備 万端整う」

  「立春を 期して誓いの 少年が 二十五キロも 歩いてゴール」

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shin-1さんの日記

今治市の旧大西町に住む大河内さんからメールで、「来週人間牧場で開催される年輪塾のセミナーで、ハーモニカを吹いてほしい」とリクエストがありました。お粗末で下手糞ながらハーモニ家を自認する私としては、リクエストに応えなければならず、「どんな歌が所望ですか」とメールのやり取りをしました。その中に「しあわせのうた」というのがありました。私はこのリクエストを聞いててっきり「♭幸せはおいらの願い~」とかつて青年団時代に大声をあげみんなで肩を組みながら歌った労働歌かと思いました。また別の「幸せの歌」をも思い出し、運よく通じた携帯電話で確かめたところ、「しあわせのうた」ではない「しあわせのうた」とこんがらがってしまいました。何度か話すうちに「ああ、あのしわわせのうたか」と「芹洋子」という歌手の名前で二人の意見が一致したのです。

(歌詞掲載不可のため割愛)

 インターネットで検索し、上記のような歌詞は確保しましたが、はてさて私はこの歌を正直言って知っていても、口ずさむ程度で歌ったことがないのです。私の場合楽譜があっても読めないため、体感音楽で声を出して歌えないとこの歌は歌えないのです。妻に聞いても聞いたことはあるが歌えないというし、八方ふさがりです。仕方ないから正直に「知らない」と言えばいいのでしょうが、せっかく楽しみにしているのですから何とかしようと思いつつ、書斎で木になるカバンの中からハーモニカを取り出し吹いてみましたが、正直自信のない音でした。練習する時間もないのでまあ何とかなるだろうと、いつものポジティブな考えが閃き、外出してしまいました。

 私たちは何かにつけて「知ってるつもり」で日々を暮らしています。歌もその通りで「知ってるつもり」で口ずさんでいますが、歌ったり演奏したりとなると中々上手くできないものです。「心に太陽を、唇に歌を」といわれるように生きたいものです。

 昨日、今月中旬に講演に行く予定の北海道美幌町から電話がかかってきました。タダ今氷点下15度だそうで、網走ではやっと流氷が接岸したそうです。北に住む人が羨ましいと思わず、南や西に住んでいる私が幸せだと、この歌を口ずさみながら思いました。

 「西に住む 私幸せ 花の咲く 町でポカポカ 来る春を待つ」

  「西に住む 私幸せ 今日もまた 綺麗な夕日 見送りできる」

  「西に住む 私幸せ 海の幸 山の幸食べ のんびり過ごす」

  「西に住む 私幸せ 家族みんなで 笑って暮らす」

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shin-1さんの日記

○車窓から垣間見える社会

 車を運転していて、交差点で信号赤の指示に従って止まります。前の車の様子は余り見えませんが、バックミラーから見える後ろの車と、横の車線に並んで止まった車にはついつい目が行くものです。特にそれらの車の運転をしている人が女性だったら、余計気になって見て見ぬふりをしてさりげなく見るものです。やはり私は男だから異性に興味があるのかもしれません。今朝も松山市内の交差点で一人はメールする人、一人はお化粧する人、もう一人は煙草を吹かす人の姿を見ました。

 運転しながら携帯電話をすることは道路交通法違反ですから絶対してはなりません。かくいう私も止むにやまれぬ用件が入り携帯電話に出た瞬間、後ろからパトカーのサイレンが鳴り捕まった経験があるだけに、今は現に謹んでいるところなのですが、電話どころかメールを打ち続けているのです。信号が青になって他の車は発進したのに、そのことにも気付かず、ついにはブーイングのクラクションを鳴らされ初めてそのことにkがついたようです。最近は歩きながら携帯メール、自転車に乗りながら携帯メール、講演を聞きながら携帯メールなどなど、特に若い人たちに多いようです。音楽を聴きながら勉強することができる「ながら族」にとっては、当たり前のことかもしれませんが、私たちのような一極集中しかできない古い人間には、携帯電話をかけながら運転することなどもっての外だと深く深く反省しながらその女性の姿を見ました。

 車のバックミラーにお化粧する女性が写りました。その人は運転しながら片手に口紅を持っていました。やがて車が止まると、まるで唐辛子のような真っ赤な口紅を塗っていました。最近の若い人は人の前だろうが電車の中だろうが平気でお化粧をします。普通お化粧は人知れずするものとばかり思っていましたが、ひどい人は人の前で小道具を取り出しつけまつげまでつけるのですから驚きです。ある時電車の中で口紅をつけていて電車が大きく揺れ、口紅が唇どころか顔に大きくはみ出した姿を見て思わずくすくす笑いをしたことを思い出しました。朝寝坊をしてお化粧する暇もなく勤めに行く女性にとって車の中は化粧室なのかもしれませんが、せめてつけるのだったらつけまつげくらいは自分の家でつけて外出してほしいと思うのです。つけまつげのできそこないはまるでたわしのようで、興ざめするのです。

 若い女性のたばこを吸う姿も最近はよく見かけるようになりました。「タバコは百害あって一利なし」と言われるように、タクシーも駅のホームだって間接喫煙の害があるということで、禁煙の場所は次第に広がりを見せています。タバコを吸うことは20歳以上になれば別にどうこう言うことはなく個人の自由ですし、自家用車の車内で吸うことも別に悪いことではありません。しかし子どもを産み育てる若い女性だけは止めた方がいいのにと思うのは間違った考えでしょうか。目鼻立ちもよく好きそうな女性が、格好よく煙草を吹かす姿は映画に出てくるシーンとよく似ています。でもそこらへんの田舎の娘がいくら気取って煙草を横食わえにしていても、余り魅力は感じないものです。車の窓から見える女性の人間模様も中々楽しいものだと思いました。おっと、よそ見せず前を向いてしっかりと運転してください。若松進一さん。

  「ふと見れば 隣の女性 スパスパと タバコ吸ってる 顔はいいのに」

  「あの人も 車の中は 化粧室 口紅赤く 唐辛子のよう」

  「メール打つ 信号青に なりました クラクション音 そのこと気付く」

  「色々な ことを窓から 垣間見る 人はどこかで 人を見ている」

 

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shin-1さんの日記

○春はそこまで

 昨日は春の陽気を思わせる穏やかな立春でした。午前中締切の迫った原稿を2本書きあげてメール添付して送りました。FAX以外使えなかったリタイア初期が全く嘘のようなパソコン使いの進化には目を見張るものがあって、てきぱきと仕事が片付く自分に少しだけ有頂天になってしまいました。

 午後からは寸暇を惜しんで人間牧場へ出かけました。落ち葉を利用した腐葉土づくりと苗床づくりの工程が止まっているのです。腐葉土づくりは葉っぱ+牛糞+油粕+米糠+水などで発酵促進させますが、このところの慈雨で水分の供給ができたため、その上にナイロンをかけて温度を逃さないようにするのです。湿った苗床の葉っぱにそっと手を置いてみると、既に発行が始まっているのかかなり燃えているようでした。早速用意した透明のビニールを畳一畳程度に二枚切り分け苗床全体にかけました。四隅の端々を丁寧に土の中へ埋め算木で固定して出来上がりです。このところの陽気に誘われたのか小さな虫たちがたかっていましたが、ビニールをかぶせられたため逃げ場がなくなり、ビニールの中で右往左往していました。この虫たちも発行に一役買ってくれるのです。

 昨年の予定表やブログを見ると3月10日ごろに種芋を伏せているようなので、これから約一ヵ月で腐葉土が完成するか微妙になってきました。苗床には腐葉土になる前の熱源が必要なため、昨日の状態だと何とか間に合いそうです。

若松進一ブログ(満開の梅の花)
若松進一ブログ(花の蜜を吸う野鳥、名前は?)

 ハコベなど畑の草もこのところの雨と温度上昇で早くも青々と茂ってきました。梅畑へ下りてみると10本ある梅の木の何本かは花が満開に咲いて芳しい香りを漂わせていました。梅の木の下に行きしばし一人で花見をしました。しばらくしていると梅の花には沢山の野鳥がやってきています。圧倒的に多いのはやはりメジロで、鶯色の羽根を羽ばたかせながら器用に木にしがみついて花の蜜を吸っているのです。私が口笛で目白の鳴き声をすると、メジロたちはにわかに色めき立って寄って来るのです。

 茶色がかった別の野鳥もやって来ました。目白のようにちょろちょろせず悠然と構えて蜜を吸っています。持っていたデジカメで撮ろうとすると、少し離れた梢に移動したためシャッターチャンスは逃しましたが、バードウォッチングがこんなに身近なところで、しかも肉眼でできるのです。小鳥たちももう間もなく歌を覚えて歌うことでしょうが、メジロに交じって羽根を休める鶯を見つけました。来月には鶯の初鳴きが聞こえることでしょう。

若松進一ブログ(わが畑の水仙も今が満開見ごろです)
若松進一ブログ(黄色くなり始めた閏住の菜の花畑)

 一連の作業や花見が終わり帰りの道沿いにわが家の畑があります。かつてはミカン園でしたが、母の死後放任園になっているのです。私の計画では退職後この畑を再び開墾して花木を植える計画でした。しかし私の退職後の生活に思ったほどの余裕がなくなり、断念せざるを得なくなったのです。でも決して諦めているわけではなく、時期を見つけてと思っていますが、遺された時間はそんなにないので、早い決断が必要なようです。その畑にはもう野生になった水仙が所狭しと咲いていました。水仙の花はもうそろそろ終わりですが、北向きの斜面ではまだまだ花を楽しめそうです。

 昨日の愛媛新聞の一面に閏住の菜の花畑が掲載されました。帰り際、その閏住菜の花畑の側に妹の開いているくじらという店があり立ち寄りました。マスコミは凄いもので、新聞に今日掲載されただけなのに、花見の客がたくさん来始めたようでした。まだ少し黄色い花色は薄いようでしたが、道行く人の目を楽しませていました。


  「梅林の 花から花へ メジロ飛ぶ 蜜吸い遊ぶ 春はそこまで」

  「この畑 母のいるころ 草もなし 我が世になりて 荒れるがままに」

  「水仙が やがて終われば 菜の花と 花の暦は 今年も巡る」

  「腐葉土に なるため燃えた 自然熱 やがて種芋 育てる力」   

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shin-1さんの日記

○節分・立春

 昨日は節分、親父の作ってくれた鬼ぐいにヒイラギを挟んだものを玄関や神仏供えて夜豆をまきました。「鬼は外福は内」と少し控え目な声で播いたのです。はてさて歳老いた親父と私たち夫婦の三人しかいないわが家は、一番鬼に近い人間はやはり私のようで、「鬼は外」と妻に豆を投げつけてもらい、一旦外に出て「福は内」と家の中に入りました。子どもじみたことですがこんなことでもしないと平凡な日々の暮らしにメリハリがつかないのです。妻は毎度のことながら呆れ返って豆を播き、二人で豆を食べました。昔は歳の数だけ豆を食べていましたが、私64歳、妻63歳ですから、とてもそんなに多い数の豆は食べきれないのです。したがって私は10歳単位で一個食べることにして二人とも四捨五入して7個ずつ食べました。そして妻の兄が持参してくれた恵方巻き寿司を今年の方角東北東に向かって食べました。何の意味もないと思うバカバカしい習慣ですが、それでも吉を呼びたいと思い妻と二人で美味しく頂きました。それでも不思議なものでこのような習慣でもやればどことなく安心するのですから人間の心もいい加減なもののようです。

若松進一ブログ(ほころび始めた白梅の花)
若松進一ブログ(西洋椿の花)

 昨日一日降った雨も上がって、今日は立春らしく温かくて穏やかな日です。窓越しに見える家の周りの雑野草もどことなく生気が出たような気もします。思い切って外に出てみました。庭の梅の木は膨らみ始めた白梅の花が早春の香りを漂わせつつあります。親父が育てている盆栽も知らない間にもう梅の花は満開で、そっと鼻を近づけ花の香りを楽しみました。また大きな西洋椿も誇らしく咲き、花を咲かせているのに見てくれるご主人に不満を言っているようにも見えました。

 運よく下灘に住む親父の妹が陽気に誘われて自転車でやって来ました。いつも美味しい魚を届けてくれるので、家庭菜園に入りカリフラワーとチンゲンサイ、カブと丸々太ったキャベツを収穫し段ボール箱に入れてやりました。この叔母は叔母と呼んではいますが、私より一歳年上だけなのです。12人兄弟の長男である親父と末っ子に生まれた叔母とは兄弟といいながら30歳近くも歳が離れているのです。親父の隠居でお茶を飲みながら少しの間話して叔母は帰って行きました。同じ町内に住んでいるのに、毎日忙しく暮らしているものですから、ついついご無沙汰ばかりです。

 「春が来た」という歌を歌いたくなるような立春です。寒波もこれから何度かやってきそうですが、春遠からじといったところです。しかし春が来たからといって浮かれた話だけではありません。世界同時不況の影響を受けて私の姉の長男も派遣切りに遭い帰郷しています。大学院まで出て昔の私たちの時代からすると考えられないような高学歴なのにです。どこかいい職場はないか私もあれこれつてを頼りに探していますが、高学歴がかえって邪魔になって中々いい職は見つかっていないのです。こんな時こそ顔の広さが物を言うと私の出番を誰もが言うのですが、世の中そんなに甘いものではないようです。当分失業保険がもらえるようですが、年齢的に高くなっていて親の焦る言葉が身に染みて分かるだけに、心が重い立春です。

 それでも、自分の故郷を見向きもしなかった長男が帰って来て急に賑やかになった嬉しさは隠しきれないようで、これで地元で働く場所さえ確保できれば、派遣切りも不幸中の幸いと受け止めれるのでしょうが、姉の家に春が来るのはもう少し先のようです

  「派遣切り 人のことかと 思いしに 身近な甥に 悩みの春が」

  「立春の 声聞き春は そこまでと 小鳥さえずり 花が教える」

  「菜園の 野菜収穫 おすそ分け 叔母は喜び 自転車帰る」

  「歳の数 食べろと言われ よく食べた 今は適当 年齢相応」

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shin-1さんの日記

○雨の一日は雨読と雨書と雨校正

 昨日は朝から夜まで一日中雨でした。雨が足繁く降るようになると春近しの感じがするのですが、水分とと気温を必要とする人間牧場の落ち葉による腐葉土づくりのことが気になっていながらその暇もなく、また折角時間が取れたのに昨日のような雨では農作業をすることができず、晴耕雨読に甘んじ中ればならない空を見上げて少し憂鬱な一日を過ごしました。それでも宿題となっていた「耕す心の時代」を一冊速読ながら読み上げ、予約の入っていた印刷インクのの匂いがする「夕やけ徒然草・水の書」を仕分けて送ったり、また文化振興財団から届いた原稿の校正をしたり、まだ手の付いていない原稿書きをしたり、何かと足を引っ張っていた細かい作業が一気に片付き、外の雨とは裏腹に心の霧が少し晴れた気持になりました。

 1月を総括すれば風邪を引いたことが足を引っ張り、中旬から下旬にかけては日程が詰まりかなり忙しい日々を過ごしました。それでも県外に近県ながら講演で3回も出張しました。また念願の「夕やけ徒然草・水の書」の原稿書きや印刷までの工程が入って、忙しい日々だったように思います。そんな忙しさも過去となってしまいましたが、出会った人や書いた原稿、出来上がった自著本、書いたブログ64本は生きた証とでもいうべき形になって残っているのです。

 午前中清水研究員と私の書斎で打ち合わせを行い、お茶を飲みながら色々な事を話しました。その途中に偶然にも大河内結子さんから電話が入り、年輪塾公開セミナーの折にハーモニカを吹いて欲しいとリクエストがありました。私は楽譜を見て演奏することはできず、むしろ体感音楽の部類なので、リクエストされても歌えない歌は吹けないのです。そのあとメールで届いたリクエスト曲を見て少し安心しましたが、吹けるかどうか心配で、清水さんが帰ってから木になるカバンからハーモニカを取り出し吹いてみました。私がハーモニカを吹いていると、書斎の外窓からやって来た親父が不思議そうに見ていました。多分息子がハーモニカを吹く姿を始めて見て驚いたのでしょう。親父を座らせ聞き覚えのある軍歌を3曲吹いて聞かせたら、「中々上手いが何処で習ったのか」と外聞もなく褒めてくれました。「独学だ」と言葉を返しましたが、91歳の親父には理解できたかどうかは分かりません。でも初めて親父に軍歌ながらハーモニカを聞かせて良かったと思っています。大正・昭和・平成と揺れ動く社会に翻弄されながら生きてきた親父には、もう口ずさむ歌などありませんが、戦争という暗くて悲しいタイムトンネルを抜けた経験だけは今も脳裏に深く刻まれているのです。昨日は伊予路に春を呼ぶ椿神社の春祭りです。戦後間もない子どものころ、親父に連れられて椿祭りに行った折、露天商の並ぶ参道の片隅で、傷痍軍人の人たちが口にハーモニカを加えて軍歌を吹き、物乞いともとれる姿を見ました。なけなしの小銭をポケットの中から一枚取り出し、お皿の中に入れてあげたことが懐かしく思い出されました。

若松進一ブログ(矢野鎮男さん)
若松進一ブログ(中嶋都貞さん)

 夕方から町民会館で開かれた史談会2月例会に出席しました。最近は会員が二人づつ持ち回りで「戦争を語る」というテーマで卓話をするのです。昨日は本村の矢野さんと会長の中嶋さんの話を聞きました。矢野さんは昭和15年生まれですから戦争の記憶は殆どなくむしろ戦場に出征したお父さんの話や銃後の守りに苦労したお母さんの話が胸を打ちました。中嶋会長さんの話は、終戦間近なころに志願兵として海軍航空隊に入隊しパイロットを目指した思い出を語られました。中嶋さんは当時の資料を数多く持っていて、この日も沢山の資料を見せていただきましたが、海軍ゆえにこれらの資料は帰らぬ遺骨の代わりになったかも知れないと述懐されました。戦争を直接体験した人の数も次第に減って、中嶋さんの話は今まで聞いたことのない貴重なお話でした。

 雨の一日でしたが、遠い記憶に遡る一日でもありました。人はそれぞれの思い出とともに生きています。中嶋さんの生き方から学ぶとすれば、やはり記憶と記録の違いだと思います。半世紀も過ぎると記憶は完全に途切れます。ところが記録は記憶を思い出させてくれるのです。特に日時などは覚えることは至難の業ですが、記録にはちゃんと残るのです。記憶と記録の違いを教えていただいた雨の日の一日でした。


  「記憶ほど 当てにならない ものはない 記録残すは 今人務め」

  「椿さん 参道で見た 軍人の ハーモニカ吹く 悲しき音色」

  「雨の日は 身辺整理 こまごまと 出来てすっきり 慈雨と思いつ」

  「一月は 忙しい日々が 続いたな 二月ゆっくり したくもできず」


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shin-1さんの日記

○夕やけ徒然草・地の書を発刊しました

 年末年始にかけて思わぬ風邪に見舞われたため、延び延びになっていた「夕やけ徒然草・水の書」の編集や校正、印刷作業が終わり、やっと発刊の運びとなりました。1月30日に開催された地域づくり人養成講座にどうにか間に合いそのお披露目となりました。私はこれまで「町に吹く風」「昇る夕日でまちづくり」「今やれる青春」「ミレミアム2000年その日私は」「夕やけ徒然草・地の書」などを出版してきましたが、自著本としては6冊目の「夕やけ徒然草・水の書」の出版もやはり、浅学非才な私には少し背伸びをするような感じのものとなりました。元来私のような凡人が自著本を出すこと自体無茶な話で、人に読んでもらうようなことは書けないのです。それでも人間は少し背伸びをしないと進化しないと思い、ねじり鉢巻きほどではないにしてもそれなりにない知恵を絞って書いたのです。

 本は活字のため幸せなことに、私のいぼ痔・切れ痔、痔ろうと思われる汚い文字は活字になって跡形もなくなるのです。また文章の続きの拙さは編集の段階で少しだけ手直し加筆があるのです。本当はこの手の本の類は方言で書きたいところなのですが、残念ながら現代人には標準語が標準語で、方言で書くと注釈をつけなければならなくなるため、今回も普通の言葉で書きました。しかしこれを喋りで演じる時には、相手の顔触れを見て方言でしっかり語りたいと思っています。

 前回の「夕やけ徒然草・地の書」は第1話から第30話が収められていましたが、今回の「夕やけ徒然草・水の書」はその続編で第31話から第60話までが収められています。「水の書発刊に寄せて」という序文には「水五則」について書きました。第31話PTAとかけて何と解く」、第32話IQ人間とEQ人間、第33話屋台と西洋料理店、第34話次男からは産めない、第35話水戸黄門のテーマソング、第36話大仏と鯨の喧嘩、第37話知らないのに知ったふり、第38話うどんの花が見てみたい、第39話天国に行ったみたい、第40話お金の井戸と知恵の井戸、第41話時間の長さは皆同じ、第42話小さなやかんは直ぐたぎる、第43話根も葉もない話、第44話孫の存在、第45話芋の思い出、第46話鯖はいらんかな~、第47話金の卵、第48話自慢話と噂話、第49話人の前で話をするコツ、第50話結婚披露宴の司会、第51話アイディアの泉、第52話病院から焼き場へ直行便、第53話もう点くぞ、第54話ああ定年、第55話塾、第56話だんだん大きくなる話、第57話リンキャベ、第58話産めよ増やせよ、第59話平凡な非凡、第60話東大の卒業証書で牛は動かぬと、まあ今回も面白い話満載です。

若松進一ブログ

 それにしても紛らわしいと、出来上がってから思いました。表紙の装丁が色使いまでまったく同じなのです。僅か左隅に書かれた地の書と水の書が違うだけなのです。火の書、風の書、空の書がそろえばまあいいかと思いつつ、かかわってくれた友人に感謝をしています。

 地の書で稼いだ木戸銭の中から水の書の印刷代としてお金も支払ったし、これから落伍にせいぜい磨きをかけて水の書を、人の迷惑も顧みず販売したいと思っています。そしてその利ザヤを人間牧場の運営費に当てて地域貢献したいと思っているのです。

 私の経済理論は単純で入力と出力のバランスです。本を作り本を売る、本を作ったお金を回収して次なる本へ投資する、残ったお金で地域貢献をする、まあこんな単純さゆえに人から批判されることもなく、ワンコインだったらと気軽に一口乗ってくれるのです。

 楽しい生き方の裏にはこうしたしたたかさや裏ワザが必要なのかも知れません。


  「二冊目の 本は自転車 操業で 儲けた金で 活動仕組む」

  「一年で 千人の前 落伍する チリも積もれば 凄いものです」

  「良く似てる 本を五冊も シリーズで 百五十話を 目指し二冊目」

  「今回も 本と喋りが セットです 本に負けない 喋り特訓」 


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shin-1さんの日記

○夕日が見えた束の間の幸せ

 「このまま車で走ると夕日を拝むことはできない」と思い、直感的に松前町北黒田の信号を右に曲がりました。一直線の道を進むと見慣れた元気人村という温浴施設の前に出ました。車を道端に止め偶然持っていたデジタルカメラを車内から取り出して、とりあえずまず防波堤から一枚シャッターを押しました。昨日の夕暮れはこれまでの荒れた冬の天気がまるで嘘のように、晴れ渡った空を真っ赤に染めて沈もうとしているのです。どう表現すればいいのか、私はこれまでの夕日のデーターを頭の中に蘇らせながら探しました。「そうだ、サーモンピンクがいい」と直感的に思いました。防波堤の上に一人腰をかけて座り沈みゆく夕日の天体ショーを一人楽しみました。双海町の夕日であれば、場所やアングルを変えて忙しく動き回るのですが、他所の町の夕日はさすがにそんな気にもなれず、夕日が沈むまでのひと時を大事にするべく眺めたのです。時折通る自転車やジョギングする人たちは、この素晴らしい天体ショーを見ることもなく、無反応な顔をして去って行きました。

若松進一ブログ

 これが平成21年、2月2日の瀬戸内に沈む美しい夕日です。私の心とデジカメにしっかりと記憶させました。この日もあいにく水平線近くに雲があって少し早目に雲の彼方へ没してしまいました。ふと気がつくと足元から冬の寒さが体中に伝わってきました。「そうだ、せっかくだから冷え切った体を元気人村の風呂で温めて帰ろう」と思いつき、温浴施設の暖簾をくぐりました。室内は外の寒さとはまるで別世界のような温かさです。お風呂の好きな私は時々ここを利用するため、受付のお嬢さんともすっかり顔なじみで、「まあ若松さんお珍しい、今日は大学の帰りですか」と、突っ込んだ質問です。「はいその通り大学の帰りです。今日は海岸で夕日を見ていたら体が冷えまして、温泉に浸かろうと思いまして」「それはありがとうございます。ごゆっくり」と、まあこんな他愛のない会話を交して浴場へ入りました。

 すっかり陽の落ちた海や空を窓越しに眺めながら冷え切った体を湯船に沈めていると、隣には顔見知りの人が何人もいて、会話が弾みました。中に水産高校の同級生もいて驚きの会話を交わしたり、サウナ、水風呂、薬草湯などを巡りながらすっかりリフレッシュしてポカポカです。「ああこれも夕日の導きか」と思いつつ、時を過ごしました。火照った体を冷ますべく休憩室の背もたれ椅子に横たわってテレビを見ました。浅間山、桜島の火山小規模噴火のニュースが流れていました。不況を反映した国会の論戦や、国務長官に就任したヒラリー長官が最初の訪問国に日本を選びそうだとのニュースも、大きな話題なのにどこか白けた話題になって、記憶のかなたに消えそうな感じがしました。

 外に出ると冬の夕暮れは早くもう真っ暗でした。急いで車を走らせ家路を急ぎました。夕日の高入りは雨の証拠だと直感していましたが、カーラジオの天気予報だと明日は西から天気が崩れて雨のようです。私にとって夕日は何よりの薬です。束の間の夕陽を見れた幸せを感じました。


  「よその町 だけど夕日が 見れました 束の間だけど 幸せでした」

  「高入りの 夕日に雨の 予感あり 明日は雨かと 心曇りて」

  「夕日見て 冷えた体を 温める 温浴湯船 見慣れた顔が」

  「番台の 娘優しく 声かけて 益々心 ポカポカなりぬ」

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